前回までの記事の続きです。
マルクスは20世紀を大混乱に陥れた共産主義思想の産みの親です。一方、19世紀に生きた現実のマルクスはただのニートでした。どこかの支援者の金を頼りに、人生のほとんどを大英図書館に毎日行って、決まった席に座り、思想にふけることに費やした無職のオッサンです。
「令和の虎」で神田みつきが指摘して、成田自身も認めている通り、成田悠輔の思想はマルクスと似ています。「お金が価値を持たない社会になる」、「誰かがお金不要の社会に変えるんじゃなくて、社会が自然とお金不要になっていく」は、明らかにマルクス経済学のパクリです。
マルクスも唯物史観とか意味不明な造語を使っていましたよね。唯物史観とは、物の生産量によって社会体制が決まる、という歴史観です。
「物の生産量が限られると、一部の者しか豊かになれないので、必然的に封建社会になります。産業革命が起こると、封建社会よりは多くの者が豊かになれるので、資本主義社会になります。さらに高度な物質文明になると、全ての者が豊かになれるので、誰もが平等に豊かで、ムダな競争もない共産主義社会になります」
マルクスは「物質の存在はどんな思想も否定できない」「物質的に豊かになれば、必ず共産主義社会になる」「これは科学的に導かれる歴史の必然だ(マルクスは自らの思想を科学的社会主義と呼び、自画自賛していました)」と主張し、20世紀のほぼ全ての知識人に影響を与えました。私は21世紀を主に生きていますが、このマルクスの思想の影響を受けた一人です。
ご存知の通り、現在にいたるまで、共産主義国家は全て失敗しました。つまり、マルクスの思想は間違っていたわけです。特に経済面でなぜ間違っていたかは「自由平等道徳競争」に書きました。その他、これまでの記事にも、これからの記事にも「なぜ共産主義が失敗したのか」については語っていきます。
「令和の虎」の「成田悠輔」の神回ですが、1回目観ただけでは、私は半分くらいしか意味が分かりませんでした。2回目観て、ようやく「コイツら、しょせんyou tuberだ。成田は自分でもよく分かっていないことを言っているし、聞いている奴らもなに言われているか分からないまま金捨てているんだ」と確信しました。そう確信したのは、ドラゴン細井から「土地はAIのものになるんですか?」と聞かれて、成田が「ならないですね。土地、身体、家族、国がどうなるのかは私にも全く分からない」と言った時です。
そんなわけないですよ。土地が国家のものにできるように、AIのものにできますよ。というか、AIのもの(コンピュータ上のデータ)になるべきですよ。いえ、紙を異常に重視する日本以外の国は、「日本の地籍調査の進捗率も知らない不動産屋たち」に書いた通り、土地はコンピュータ上のデータにもうなっていますよ。
成田の説によると、お金以上の複雑なデータで、お金が不要の社会になるんですよね。だったら、今のお金で解決できている土地問題が、その複雑なデータで解決できないわけがありません。理論的に矛盾しています。土地が有限とか、関係ありませんよ。だいたい、この世界の物は全て有限ですよ。土地に限らず、お米だって鉛筆だって無制限にいくらでも作れません。成田の言うお金不要社会で土地問題が解決できないのなら、証明してください。一応、成田の「22世紀の資本主義 やがてお金は絶滅する」(成田悠輔著、文春新書)も読んでみますが、確実に、証明できていないはずです。おそらく、「令和の虎」同様、成田は本でも難しい理屈をこねまわして、ごまかしているはずです。
成田の話を聞いた連中が、根本的に間違っている点も指摘しておきます。これからの私の記事に書くように、将来、お金の概念が今と異なるものになることは、私も同意します。少なくとも、手で触れるお金(硬貨やお札)は、もう既にほぼなくなっている国があるように、確実になくなります。だから、「お金がいらなくなる社会は確実に到来する」という成田の予言は、ある意味では正しいです。
しかし、今はまだそのお金不要社会が到来していません。だから、今現在は、お金必要なんですよ。成田の妄言で1千万円や2千万円も捨てたバカどもは(本当は捨てておらず、パフォーマンスでしょうが)、1千万円や2千万円も軽く捨てられるほど大金持ちだ、と自慢しているに過ぎません。羨ましいと同時に、そんなバカどもがそんな金持ちになっている日本という社会を残念に思います。
「自由平等道徳競争」の「村上ファンドのフジテレビ買収事件」の例にも書いた通り、十分なお金がないと、そもそも自由競争に加われません。多分、番組に出たお金持ちたちは、1円も捨てなかった孫を除き、自分の夢を全て達成するためのお金は十分稼いでいたに違いありません。だから、お金の価値は既になくなっている、という成田の主張にコロッと騙されて、お金を捨ててしまうんですよ。私だったら、といか、99%以上の日本人は、成田のあんな胡散臭い話をいくら聞いたって、1円だって捨てませんよ。繰り返しますが、未来にお金不要な社会になったとしても、今は紛れもない資本主義社会で、お金万能の世界だからです(厳密にはお金万能の世界は過去から現在、さらには未来にも存在しませんが、ここでは大げさにそう表現させてもらいます)。
さらに私が「コイツら正気か?」と疑問を感じるのは、成田の説を聞いて、お金を捨てるということは、「令和の虎」を全否定していることになる、と全ての出演者が気づいていない事実です。
ゲストの話をインターネット公開番組で聞いて、「社会を良くしてくれる」「利益が出る」と出資者たちが考えれば、必要な額だけゲストに出資する、というのが「令和の虎」ですよね。つまり、出資者たちはお金を出す(貸す、あるいは与える)ことによって、社会を良くできる、と信じているわけですよね。それこそ、資本主義の根幹思想じゃないですか。だから、「出資での社会改良」を実現するためには、出資者たちにお金がないとできないんですよ。
なんでお金捨てているんですか(笑) お金なかったら、あなたたちは「令和の虎」の仕事できなくなりますよ。意味分かりません。こんな自己矛盾が極まった番組、他にあるんですか。
もしかして、みんなこの矛盾に気づいて、「成田、アホだな」「成田の話を真面目に聞くコイツらも、バカだなあ」と嘲笑して観ているから、500万再生を越えているんでしょうか。確かに、こんな喜劇、なかなかないですよね。100年後の日本人たちは、「成田悠輔」の神回を大真面目に観ていた日本人が何万人もいた事実に、笑っているに違いありません。
と書いている私も、恥ずかしながら、1回観ただけではその喜劇に気づきませんでした。2回目で、ようやく成田と他の出演者たちの理論的矛盾に気づきました。
とはいえ、成田の珍説を聞いて、私の未来社会の道しるべ(このブログの名前ですが、ここでは文字通りの意味です)がより明確になったのも事実です。ここまで読んだ方なら、私の考えた未来社会の道しるべ「AIが作る人類の理想郷」がどのようになるか、もう分かったかもしれませんが、確認のため、次の記事を読んでもらえると嬉しいです。