未来社会の道しるべ

新しい社会を切り開く視点の提供

シンギュラリティが生む「人間の数値化社会」

前回までの記事の続きです。

「令和の虎」の神回「成田悠輔」の「AIによって、お金が不要の社会になる」の根本的な間違いに、何割くらいの人が気づいているでしょうか。

コンピュータは全て数値で考える、という科学的事実に成田が気づいていないことです。確かに、最新のAIは文系的な思考もできるように人間には思えてきました。しかし、AIに限らず、コンピュータができるのはあくまで数値計算だけです。だから、言語だろうが画像だろう音楽だろうが、ともかく全てデジタルにしている、0か1にしている、つまりは数値化しているのです。

成田の言う「その人のこれまでの生きてきたデータから、今現在、その人がなにをできるかが決まってくる社会」は、必ず到来するだろう、と私も思います。というか、「令和の虎」の成田によって、その未来がいずれ実現することに私も気づきました。その未来を言葉にした、もしかしたら人類最初の人かもしれない成田の知性には感服します。

ただし、成田の未来社会の予想図は「お金不要社会」になるという点で、根本的に間違っています。正しくは、次の通りです。

 

その人のこれまで生きてきたデータから生まれる「複数の数値」によって、今現在、その人がなにをできるかが決まってきます。

 

「複数の数値」とは、なんでしょうか。

一つは間違いなく、今で言う「お金」です。つまり、労働の対価です。もっとも、未来には「お金」ではなく、「労働値」や「働き度合い」や「社会貢献度」など、別の呼ばれ方をしている可能性は十分あります。

もう一つは、今の中国などで普及している「信用スコア」になります。シェア自転車をきちんと返却したか、公共料金を毎月支払っているか、交通違反をした前歴がないか、ネットショッピングの支払いが滞っていないか、タクシー配車アプリを利用した時に無断キャンセルせずに乗車したか、犯罪者の手伝いをしていないか、などによって、上下する数値です。

「信用スコア」に組み込むこともできますが、少なくとも今から100年間は「信用スコア」と別に「犯罪スコア」が必要なはずです。当然ながら、「犯罪スコア」が一定数以上の人は刑務所にいなければいけません。万一、脱獄できたとしても、たまたますれ違った人が顔認証で脱獄囚の「犯罪スコア」を調べると一定数を越えていることが分かるので、すぐに通報され、また刑務所に逆戻りします。「犯罪スコア」をうまく利用して、その他のインフラを整えれば、それこそ刑務所の要らない社会も実現できるのですが、それについては「『人間の数値化社会』での囚人寮改革」の記事に書きます。

他に社会に必要なスコアは「移動スコア」でしょうか。未来社会には、移動するためにも、「移動スコア」を使います。もっとも、徒歩で移動するのなら、「移動スコア」は減らないかもしれません。でも、自転車で移動すれば、確実に「移動スコア」は減りますね。電車、バスなら、さらに「移動スコア」は早く減ります。それらと比べると段違いに早く減るのは、やはり「自家用車の運転」でしょうね。でも、4人で車に同乗すると、約4分の1になるので、「移動スコア」が気になるのなら、同乗者は増やした方がいいでしょう。ちなみに、遠い高校に電車通学が必要だったり、学校で留学許可を得たりしたら、「移動スコア」は一気に上がります。「移動スコア」のイメージがついてきたでしょうか。ややこしくなるので、書きませんでしたが、バスや電車乗る時は、当然ながら「移動スコア」の他に「お金スコア」も必要ですよ。車購入する時は、バス乗車1万回くらいの「お金スコア」は必要になるかもしれません。中古車購入なら、バス乗車1万回分の「お金スコア」まではいかないでしょう。未来のことなので、よく分かりませんが。

他に社会に必要なスコアは「学力スコア」でしょうね。「学力スコア」があれば、成田が言うように、学歴は不要になります。

(アホか! 学力スコアは学歴以上に差別を生むだろう!)

はい、そうですよ。そんな当たり前のこと、いちいち指摘しないでください。いかんせん、数値化ですからね。誰にとっても上下が明確ですよ。当然ながら、今の学歴が就職に大きく影響するように、「学力スコア」は就職に大きく影響します。それが嫌なら、勉強すればいいじゃないですか。でも、これまでみたいに、どの大学卒業したとかは大して重要ではなくなりますよ。学校名より、その人が真にどれくらいの学力、知力を持っているかが重要になります。僕は「学歴社会」より「学力スコア社会」がより公平だと思いますし、「学力スコア」を社会的に好ましい制度にすることも可能だと考えます。

なお、「学力スコア」は、当然ながら、現在同様、細分化されますよ。「英語スコア」「数学スコア」「国語スコア」「理科スコア」「社会スコア」には最低限、分類されます。他にも数値そのものを持たない人が多くなるでしょうが、「中国語スコア」「漢検スコア」「数学オリンピックスコア」も入ってくるでしょう。それらの「スコア」がそれぞれどのように「学力スコア」に影響するかは、「信用スコア」の決め方同様、難しい問題でしょう。それこそAIが機械学習で決める、つまり人間にはどう決めているか分からなくなるのかもしれません。

他にも「法律スコア」ができれば、司法試験は残るでしょうが、弁護士資格は不要になりますよ。また自動的に更新性になります。「20年前に司法試験で高得点取っているいるものの、それ以後、一度も司法試験は受けていない」ということは一目瞭然になりますから。「司法試験合格時は法律知識豊富だったが、今はほとんど忘れている」というエセ弁護士は淘汰されていきます。今は弁護士の相談費用の相場が決まっていますが、これも格安から超高額までの格差社会になるでしょうね。

他に「料理スコア」「掃除スコア」「洗濯スコア」「保育スコア」「教育スコア」なんかあれば、結婚のミスマッチは激減するでしょう。

他にも「ITスコア」「建築士スコア」「内科医スコア」「牧師スコア」などができたら、一気にそれらの資格にとってかわられるわけです。

「野球スコア」「サッカースコア」もできて、さらに細分化されて「ピッチャースコア」「ショートスコア」「ライトスコア」もできて、「ダンススコア」「歌唱スコア」「笛スコア」「アニメ絵スコア」「水墨画スコア」「毛筆スコア」などもできて、ドラゴンボールの「バトルポイント」みたいなスコアもできるかもしれません。

書いている私も訳分からなくなってきたので、これくらいにしておきます。

今の私には想像しにくい社会ですが、マルクス唯物史観にならっていえば、人間が好むと好まざるにかかわらず、人間は上記のような多くのスコアで客観的に現わされる存在になっていくはずです。

それこそコンピュータのシンギュラリティ(技術的特異点)が起これば、あと数年のうちに実現可能になるかもしれません。ただし、科学的に実現可能になっても、本当に社会に実現させるには、人類の頭脳を慣れさせる必要があるので、数十年単位の時間は必要になるかもしれません。でも、未来志向の強い僕なんかは(科学的に実現可能なら、1日でも早く実現してほしいなあ。数値化されたら僕の「学力スコア」が成田悠輔や「令和の虎」の他の出演者たちより遥かに高い、とみんな分かるだろうから。もちろん、僕の「教師スコア」は「天才教師・永井みつる」より遥かに低いけどね)と思ってしまいます。

次の「『人間の数値化社会』が開くパンドラの箱」の記事に続きます。