未来社会の道しるべ

新しい社会を切り開く視点の提供

アメリカの医療は先進国最悪である

国全体での医療費高騰の一番の原因を次の中から選べ。

1、国民所得の上昇

2、医療技術の進歩

3、高齢

4、医療保険の普及

5、病気の蔓延

日本の医学部には準国家試験に等しいCBTという全国統一試験があります。現在それに合格しないと、5年生以降の病院実習ができません。そのCBTの試験に、上の問題が出題されて、答えは2の医療技術の進歩でした。その根拠となっているのは、これらの論文(http://content.healthaffairs.org/content/28/5/1276.abstracthttp://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMp1200478#t=article)らしいです。ただし、どちらもアメリカの研究です。私が使った問題集では、3の高齢化が△になっていました。ともかく、少なくともアメリカでは、医療技術の進歩が医療費の高騰に最も寄与しているようです。

そのアメリカの医療費は次のグラフにあるように2位を突き放しての世界最高です。

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これはアメリカ人が豊かだから、他のものにも金を使って、医療費にも使っているのではありません。GDP比でみても、アメリカは2位集団から頭抜けて世界最高です。

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では、これだけアメリカ人が医療に金を費やして、医療研究に金をつぎ込んで、病気を克服できているかというと、そんなことはありません。WHOの2015年発表で、平均寿命順位は日本が1位なのに対し、アメリカが31位です。

オバマケアで国民皆保険が名目上達成されましたが、医療費が全体として安くなってはいません。だから、これまで保険外だった人が保険内に入ったことで、もともと保険内にいた人がその割を食って、保険適用疾患が制限されたりしています。

どこの国でもそうですが、莫大な医療研究費は、最終的に患者が負担することになります。本気で医療費を抑制したいのなら、医療研究を止める覚悟も必要なのかもしれません。どんなに医学が進歩しても、人は必ず老化して、衰え、死にます。「医学の進歩=善」とは限りません。少なくとも、他の研究同様、費用対効果は考察されるべきです。

あらゆる分野で、日本はアメリカを基準にする傾向があります。医療についてまで「日本の医療はアメリカより10年遅れている」と言われることがあります。確かに医学をはじめ、多くの学問分野では、アメリカが最先端です。しかし、医学の進歩はアメリカ人全員の健康促進に必ずしも貢献していません。高額すぎる医療費を払えないため、先端医療どころか、日本並みの医療ですら受けられない人がアメリカ全体で何割もいるのです。ノーベル平和賞受賞者の大統領が(日本では50年以上前に実現している)国民皆保険を実施しようとしても、上記のように竜頭蛇尾で終わっています(ただし、長期間国民皆保険をアメリカで改善し続けたら、好ましい制度になっていく可能性は高いと思います)。

ほとんどの日本人は、ほとんどのアメリカ人よりも多くの病気について適切な治療を受けられ、ほとんどアメリカ人が支払うよりも安い医療費で済みます。私に言わせば、アメリカの医療は日本より10年、あるいは50年遅れています。

世界から注目される高齢化先進国・日本

「日本は世界最高の高齢化先進国ですから、日本がどうやってその問題に対処していくのか、私たちは注目しています」

大学時代に留学生たちから、こんな言葉をよく聞きました。日本の高齢化率が世界最高だということは、どんな発展途上国から来た人でも知っており、将来、自分たちの国がそうなることも知っていました。

その留学生たちと話していて、当初、私はこう思っていました。

(おいおい、あなたの国はまず人口爆発を心配すべきだろう。小児が下痢で死んで若者がエイズ赤痢で死ぬ国なのに、高齢化の心配? 時代感覚おかしいよ)

後でよくよく調べてみると、時代感覚おかしいのは私の方だと分かりました。

ほとんどの発展途上国では人口爆発は収束に向かっています。特に女性が生む子どもの数(合計特殊出生率)は大量出血患者の血圧のごとく、青ざめるような急降下を示していました。また、死亡原因における感染症割合は20年か30年以上も前に減少に向かっており、代わりに慢性疾患によるガンや心疾患が増加して、国全体の最大の死因になっていました。そもそも、全世界での平均寿命は71.4才(2015年WHO統計)になっていることからして、世界全体で高齢化が進むことは疑いようがなかったのです。

日本は他の先進国が100年かかった高齢社会を24年の短期間で到達してしまった、と言う人が現在でもいますが、時代遅れな見解と断定していいでしょう。これに限らず、「外国は欧米の先進国だけ」という狭い視野で「他の先進国と比べて日本はおかしい」と語るのは21世紀になって17年も経過した今、十分に注意すべきです。日本がおかしいのではなく、「他の先進国」が異常だったのです。大多数の国は、日本と同じか、もっと早いスピードで人口爆発社会から高齢社会を迎えようとしています。

発展途上国の20才前後の学生が将来の高齢社会を心配するのは、なんら不思議でなく、彼らが現役世代のうちに高齢化率21%以上の超高齢社会に到達する可能性だって十分あったのです。「発展途上国人口爆発エイズ感染症死多い」という私の発想は、少なく見積もって10年、場合によっては20年か30年も遅れていたのです。「変化のスピードが恐ろしく遅い時代」と日本人を批判している私も、世界全体の流れに遅れている日本人の一人だったようです。

戦争とマスメディア

「あなたはマスコミに洗脳されていない自信がありますか?」

ここで「全く洗脳されていない」と自信を持って言う人は、返って危険でしょう。新聞やテレビニュースを全く見ない人でも、マスコミでニュースを作る側にいる人でも、どんな人でも、自分が思っている2倍は洗脳されていると思います(なお、新聞やテレビニュースを全く見ない人やジャーナリストは自分が思う10倍は洗脳されているでしょう※)。それくらいの自覚は持っておくべきだと思います。

日本のマスコミは、特に新聞は、第二次大戦(日中戦争と太平洋戦争)を止めることはできませんでした。止めるどころか、どの新聞社も積極的に第二次大戦を応援していました。これは国家総動員法による強制があったからですが、それ以前より新聞は戦争を煽っていました。日露戦争でも反対論があったものの、開戦が近づくにつれ、もっとも反戦色の強かった万朝報でさえ戦争に賛成するようになり、開戦時の新聞は全て戦争賛美一色でした。

日露戦争時も、第二次大戦時も、戦争に疑問を感じていた知識人はいました。しかし、どの新聞も主戦論になって、戦争を囃し立てています。その最大の理由は、その方が新聞発行部数を増やせるからです。戦争ほど、新聞が爆発的に売れる事件はありません。母国が戦争になれば、誰だってその情報が知りたくなります。そして、ほとんどの国民は母国寄りの意見を好みます。母国が勝っていれば、それを派手に称賛した記事を読みたいでしょうし、負けても次には勝てるような勇ましい記事を読みたいでしょう。

戦争と新聞について考察した本は多くありますが、どれを読んでも、戦争のたびに新聞の発行部数が飛躍的に伸びたことを記しています。新聞社も私企業です。究極的には金銭的利益を求めます。そう考えると、新聞に戦争を止める力はないように思うかもしれません。

しかし、世界を見渡すと、マスコミが終わらせる役割を果たした戦争もあります。ベトナム戦争です。また、イラク戦争終結でもマスコミの影響は大きかったでしょう。戦争勃発を止めた例もあります。

ただし、これはアメリカの例で、それが可能だったのは、アメリカ人ジャーナリストたちに国際的な深謀遠慮があったからでしょう。日本人ジャーナリストで、そんな国際的な視野を持っている人は、いなくはないでしょうが、極めて少数のように思います。日本人の幼稚な外国嫌悪感情を抑制すべきなのは、そんな感情を持つ人がよく見るテレビや読売新聞や産経新聞でしょうが、これらのマスメディアに国際的な深謀遠慮を期待するのは、現状、無駄かもしれません。

 

※「新聞やテレビニュースを全く見ない人やジャーナリストは自分が思う10倍は洗脳されているでしょう」に疑問を感じる人がいるかもしれないので、書いておきます。
まず、「新聞やテレビニュースを全く見ない人」は知性が低いので、洗脳されやすいです。また、たとえ直接マスコミに接しなくても、周りの人を通じてマスコミの情報には接してしまいます。
「ジャーナリスト」は洗脳源にどっぷり浸かっている上、プライドが高く、辞めない程度にマスコミに疑問を感じていないので、一般の方以上に洗脳されているでしょう。
特に、「新聞やテレビニュースを全く見ない人やジャーナリストは自分が思う10倍は洗脳されているでしょう」と言われて、「そうかもしれない」と思わず、「そんなことはない」と思う人ほど洗脳されているに違いありません。

戦争と大衆

「あなたは母国が戦争したときに、戦争を支持する大衆の一人にならない自信がありますか?」

日清戦争日露戦争満州事変、日中戦争、太平洋戦争、これら全ての戦争で日本の一般大衆は開戦前から熱狂的に戦争を支持しました。「どうして日本はあんなバカな戦争をしてしまったのか?」は、第二次大戦後、何万回も日本人の中で問われていますが、「一般大衆が戦争を支持したから」がその最大の理由でしょう。つまり、日本人である「あなた」の責任でした。

GHQが戦争責任を軍人や政治エリートに限定してしまったことは、日本史上において痛恨の失敗だったと私は考えています。だから、現在に至るまで、日本人の大衆は「軍部が庶民を無理やり戦争に巻き込んだ」「空襲や原爆で庶民は耐えがたい苦痛を受けた」と考えて、第二次大戦の被害者意識から抜け切れていません。

「突然、小さな紛争が起こり、死傷者が出たために、お互いの敵愾心が強くなり、小競り合いを繰り返しているうちに戦闘は大きくなっていき、気づいたら、大戦争になっていた」ということが現在の日本で起こる可能性がゼロでない、と私は考えています。特に、このような流れができたとき、日本の一般大衆が歯止めになることは期待できないように私は考えています。私は自身のブログで政治家やジャーナリストなどのエリートを何度も批判していますが、「学歴社会嫌いな私が学歴好きになった理由」に書いたように、それでも知的エリートは一般大衆よりは高い倫理観を持っていると、自分の経験から考えているからです。

だから、世論を誘導できるマスコミには期待しています。自分が会ったこともないスポーツ選手が金メダルを獲っても自分の人生にはなんの関係もないのに、マスコミが報道しているだけで、一緒になって興奮してしまう被洗脳者が溢れているこの国で、マスコミが果たせる役割は大きいはずです。

しかし、次の記事に書くように、人間社会の性質とマスコミが私企業である以上、マスコミに戦争勃発を止める力はないようにも思います。

現在、メディアは新聞やテレビ以外にも、一般大衆が作るネット上に多く存在しています。これによって、マスコミの暴走を防ぐ効果はあるでしょう。このブログを読むような方は、広い視野と物事の本質を見抜く力をある程度持っているでしょうから、日本が本当に戦争に進みそうになった時、国境紛争が起こった時、ネットで情報発信して、その動きを逆転、静止、あるいは抑制してほしいです。

極端な話、たとえ戦争になったとしても、そんな良心的な日本人がいたことだけは一つでも多く記録として残しておいてほしいです。

小沢一郎の「自衛隊の国連軍化」案

日本外交のトラウマ」の記事で小沢一郎を名指しで批判したので、彼が日本最高のタカ派でないことを示しておきます(私がそう思っていないことを示しておきます)。「日本改造計画」(小沢一郎著、講談社)に書いているように、小沢一郎自衛隊を国連軍としてのみ活動することを提案しています。日本は第二次世界大戦を起こした国として、アジアの国々から軍事活動を警戒されています。だから、日本単独で軍事行動するのではなく、国際連合が平和維持のために必要だと判断した時だけ、他の国と一緒にPKF(平和維持軍)に加わるという案です。この理屈だと、2003年のイラク戦争は国連決議がないので、日本は参加できません。

この自衛隊を国連軍にする意見はタカ派からもハト派からも反対されて、現在、国会でろくに議論もされていません。私はこれが不思議でなりません。自衛隊自体いなくていいという極端なハト派や、日本が核を持つべきだという極端なタカ派を除けば、この意見に反対する理由が分かりません。おそらく、タカ派は国連の決定ではなく、日本が独自に決定した方がいいと考えているのでしょう。つまり、国連の決定よりも、日本政府の決定の方を信用しているのでしょう。しかし、イラク戦争の参加例にあるように、国際社会よりもアメリカに気をつかうような日本政府の方針を信用しているのでしょうか。そんな日本人が多いと私には思えません。

小沢一郎の主張のように、日本の軍事活動がアジアの国に危惧されているのも事実です。たとえば、自衛隊カンボジアへのPKO派遣では、アジアの国はもちろん、世界中の国が「第二次大戦後初めて日本軍が海外派兵した」と報道しました。当時既に戦後50年近く経っているにもかかわらず、「また日本が戦争するつもりなのか」と危険視されていたのです。日米安保条約について日本人はアメリカが日本を守ってくれる条約だと思っているかもしれませんが、アメリカ世論が考える日米安保条約の一番の目的は日本の防衛(12%)でなく、日本の再軍備防止(49%)です。(於衆議院憲法調査会 2004・5・12 小熊英二 第9条の歴史的経緯について)。アメリカだって、日本を信用していないのです。日本に侵略された過去を持つアジアの国はもっと日本を信用していません。

だからこそ、日本軍ではなく国連軍として活動すればいいのです。「日本が独自に判断して、アメリカに協力するときもあれば、国連に協力するときもある」のではなく、「国際連合が平和維持のために必要と考えた軍事活動に日本の自衛隊もいる」の方が国際的には納得してもらえるでしょうし、評価してもらえるはずです。

私の究極の理想は自衛隊自体いないことですが、まだまだ現実的ではないでしょう。そうであるなら、また自衛隊の活動を真の国際貢献につなげたいなら、自衛隊を国連に任せた方がいいだろうと思います。

 

※注意 カンボジアへの日本人派遣活動は、自衛隊派遣が必要だったかはともかく、大局的に成功だったと私は思います。現在、カンボジア親日国になっているのも、この時のPKOの日本人たちが活躍したからでしょう。ただし、自衛隊の活動よりも、その後の日本の民間人の地道な活動がカンボジア人を親日にしていったと私は考えています。

湾岸戦争のトラウマ

前回の記事の続きです。

湾岸戦争時の日本外交を例えるなら、次のような話になるでしょうか。

街のガソリンスタンドがテロリストたちに襲撃されたとします。あなたは他のガソリンスタンドを使うこともできたので、あまり関心がなかったのですが、街の自治会が一致団結して自衛団を作って、テロリストを掃討する計画を立てました。自治会はあなたの家族も自衛団に加わるように要求しましたが、「暴力による解決は避けるべきだ」を家訓とするあなたはそれを拒みました。すると、自衛団の中でいつも威張っているボスが「だったら金を出せ。あんたは金持ちだから、いっぱい払えるだろう」と要求してきます。あなたは家族内の反対を振り切って、不承不承で要求金額を払いました。その金を使って、自衛団たちは全く経済損失のないままテロリストを掃討できました。襲撃されたガソリンスタンドのオーナーは、自治会報に個人名をあげて感謝広告を出しましたが、あなたの名前はありませんでした。激怒したあなたがボスのところに行って、自分たち家族がいかに金銭的に貢献したかを述べると、ボスは「じゃあ、その金あげるから、お前の家族がテロリストと戦えよ」と言い返してきました。

あなたは「二度とこんな連中に協力するものか!」と思うのではないでしょうか。これで「ボスの言う通りだ。申し訳ない」と思ったら、あなたは家族から半殺しにされるでしょう。

しかし、多くの日本の保守派政治家は仲間から半殺しにされるような、その卑屈な思想に流れました。湾岸戦争後、国際社会で紛争が起これば、アメリカの言うように、日本人も参戦すべきだ、と考えるようになったのです。

今の若い人たちは知らないかもしれませんが、この時の思想潮流は、現在の日本外交政策に間違いなく影響を与えています。

この時から自衛隊の海外派遣がなし崩し的に行われていくことになります。「大量破壊兵器があるから」との理由で始まった2003年のイラク戦争でも、日本は自衛隊の現地派遣に徹底してこだわりました(そして「大量破壊兵器」はありませんでした)。

しかし、これらの自衛隊派遣は、憲法9条との整合性で問題があります。そして、「だから自衛隊派遣は止めよう」という意見にはならず、「だから憲法を変えよう」という意見になっていったのです。それが保守派政治家(および保守派国民)による昨今の憲法改正の大きな根拠です。

しかし、これは根本的なところで間違っているでしょう。前回の記事に書いたように、そもそも自衛隊を派遣しなくても、国際的な人的貢献は可能です。なにより、湾岸戦争時のアメリカ外交はどう考えても理不尽です。アメリカの横暴に追従して始まった自衛隊派遣を憲法改正してでも認めるべき、というのは滅茶苦茶です。そこまで日本はアメリカの従僕になるのでしょうか。

湾岸戦争のトラウマ」を知らない若い世代のために、これだけは書いておきます。前回の記事に書いたような見解は、1990年代にはそれほど珍しくありませんでした。左翼が嫌いな知識人でも「そこまでアメリカの言いなりになってどうする! アメリカの言う通りに自衛隊を派遣する必要などない!」という意見はよくありました。

「他の国が参加しているのに、日本だけが戦闘に参加しないわけにはいかない」という固定観念を持っている人もいるでしょうが、それは日本の常識でなかったことを知って(世界の常識でもありません)、その固定観念を何度かは疑ってみてください。

日本外交のトラウマ

湾岸戦争は1990年8月、イラククウェートに侵攻したことがきっかけとなって勃発しました。冷戦中はアメリカとソ連の拒否権発動でまともに活動していなかった国連安保理が、冷戦終結により一致団結して多国籍軍を結成し、1991年1月、あっという間にクウェートが解放された戦争です。

多国籍軍は34ヶ国70万人で結成されていましたが、54万人はアメリカ軍です。湾岸戦争は事実上、アメリカとイラクの戦争です。日本国憲法9条がある日本は参戦しませんでしたが、日本はなんと1兆5千億円(130億ドル)も湾岸戦争のために支出しています。アメリカが金を要求してきたからで、バブル期に対米弱腰外交を驀進していた日本は10億ドルをあっさり出して、アメリカ財務大臣が来日すると30億ドルも出して、それでも足りないと言われると、さらに90億ドルも支払っています。

しかも、金だけでは不十分で、与党自民党内には小沢一郎を筆頭に、自衛隊多国籍軍に加わるべきだと執拗に主張する者までいました。もともと大した政治信条のない海部首相はそれに洗脳され、アメリカ側代表者に「日本人は一人当たり100ドルも貢献した」と主張したものの、「では、100ドルあげるからあなたが戦場に行ってくれ」と言い返されると、なんと、海部はなにも言えなかった、というのです(「日本改造計画小沢一郎著、講談社)。

この時、あなたが海部首相ならどうしていますか? 私なら椅子を蹴っ飛ばして、「130億ドルももらって、感謝の言葉がないどころか、こちらを責めるとはなにごとか! だったら、今すぐ金を返せ! 在日米軍駐留費だって来年からは1円も払わない!」と叫んでいます。

湾岸戦争が日本外交のトラウマになっている最大の根拠は、クウェートニューヨークタイムズに出した「Thank you広告」です。湾岸戦争に協力してくれた50数ヶ国に感謝を示したのに、その中に1兆5千億円も寄付した日本の名前はなかったのです。

これも日本は激怒すべきです。「なぜ莫大な血税を寄付した日本の貢献が無視されているのか! クウェートにとって日本は大切な石油の輸出先だろう!」

私は長年そう思っていたのですが、クウェートが「Thank you広告」で日本を無視したのは、日本が寄付した1兆5千億円のうち6億円程度しかクウェートには回っていなかったことが原因のようである、と最近知りました(「戦地派遣」半田滋著、岩波新書)。そうであるなら、アメリカ軍(多国籍軍)だけに多額の寄付をしたことを反省すべきです。

「国家の命運」(藪中三十二著、新潮新書)で元外交官の著者が言っているように、「血税」の名の通り、お金は日本国民の血と汗の結実であり、命をかけて働いた成果です。1兆5千億円といえば、競技場からシンボルマークまで日本中で争点になった2020年東京オリンピックの予算1兆6千億円から1兆8千億円に匹敵します。それほどの金額を寄付したのに感謝されないなど、国家として、政治家として、許していいわけがありません。

それに人的貢献といっても、戦闘行為そのものに参加しなくてもできます。平和構築の分野で、兵士でなく民間人が人的貢献できるのです。

「国家の命運」に、こんな例が書かれています。2008年末、アメリカの高官が「アメリカは『Yes, we can.』という雰囲気だが、日本はいつも通りの『No, we can not.』だ。アフガニスタンにしても日本は自衛隊も出せず、大した貢献はできないのだろう」と言ってきたので、著者の外交官は立ち上がり、こう言い返したそうです。「日本はアフガンの地で5百の学校を建て、1万人の教師を養成し、三十万人の生徒に教育を与えてきた。50箇所に病院を作り、40万人分のワクチンを供与してきた。650キロに及ぶ難しい道路を建設し、カブール空港のターミナルも完成させた。今もJICAが派遣する60人の専門家集団が現地の人々と一緒になって汗をかき、農業、医療、教育などに携わっている。アフガンの8万人の警官の給与の半分を日本が支払っている。こうした日本の支援は、アフガニスタンの大統領から一般市民まで幅広い人たちに感謝されている。これこそが日本の『Yes, we can.』である」

アメリカの高官は一瞬、驚きと戸惑いの表情を浮かべて、「いや、日本がそういう活動をしているとは知らなかった。素晴らしいことだ」と返したそうです。

湾岸戦争時のアメリカの日本に対する横暴な態度は理不尽極まりありません。その横暴な態度に卑屈になった政治家は国賊と非難されるべきです。

しかし、この記事に書いたような見解から、日本政府が湾岸戦争時の外交をトラウマにしているわけでは全くありません。実際、「アメリカの横暴外交に同調しない」「戦闘行為以外にも人的貢献はできる」という主張など、日本政府から聞いたことがないはずです。

知っている人も多いでしょうが、十分に知らない若い世代のために、その事実を次の記事に示します。

親が子どもの名前をつける制度

先日、ある飲み会で自己紹介しました。自分の子どもが欲しいこと、子どもの教育本を100冊以上も読んでいることを熱弁しました。

「あれ? 結婚してましたっけ?」と聞かれて、「結婚どころか彼女もいません!」と言うと大ウケして、次に「子どもの名前はなにを考えていますか?」と聞かれて、私はこう答えました。

「もちろん、子どもの名前も考えています! ただし、僕一人で決められるわけではなく、将来の妻とも考えていくべき問題なので、秘密です!」

私の返答で「流行りのキラキラネームだ!」とか「〇〇なんて名前つけられた子どもに限って反対の××になったりするんだよね」とかで笑おうと思っていた人たちが、真面目な返答に引いていくのが分かって、そこで止めました。しかし、実際は主張したいことがまだありました。

「そもそも、親が名前を決める現状のシステムに私は反対です。よほどのことがない限り、名前はその人に一生着いて回ってしまいます。イジメの原因にもなります。本来なら、ある程度の年齢になったら、本人が自分で名前をつけられるようにするべきだと私は考えています」

飲み会の自己紹介でここまで言ったら、変人が確定するので、さすがに言いませんでした(ここで確定しなくても、日本人集団にいる限り、いずれ私の変人評価は確定しますが)。

あらゆる調査結果が示すように、多くの人は自分の名前が好きです。私は例外で、自分の名前が嫌いです。若い頃はもっと嫌いでした。

自分の名前が好きな人が多い理由は「不満のない幸せな人生を送っているから」「(無意識のうちに)自己肯定感の強い自分になっているから」が大きいでしょうが、「名づけた人(多くは両親)との関係がいいから」も大きいでしょう。一方、私は自分の名前をつけた両親との仲が最悪です。

どんな時代のどんな社会でも、親との関係が悪ければ、その後の人生は恵まれたものにはならず、出世しません。だから、過去から現在まで、親が子どもの名前を決める制度を変更しようとする動きは生まれないのでしょう。

とりわけ日本のように少数派が迫害されやすい社会では、「子どもの名前を親が決めるのはおかしい」という疑問すら口にするのが憚られてしまいます。「なんで自分の名前が嫌いなの?」「別に変な名前じゃないでしょ?」について、私が真摯に上記のような主張をしても、変人扱いされるのがオチです。

名前の問題を考えると、親との関係がいい人たちだけで社会体系が構成されている、といつも私は考えてしまいます。当たり前ですが、子どもは親を選んで生まれてくるわけではありません。親といい関係を築けた人たちに「もし、ひどい両親の元に生まれていたら、自分の人生は一体どうなっていたか」を考えてもらいたいので、この記事を書いておきます。

人は自分のためにしか生きられない

前回までマザー・テレサナイチンゲールガンジーと3名の私の尊敬する人物を紹介させていただきました。この3人は自分を犠牲にしてでも他者のために生きていますが、なぜそんなことができたのでしょうか? 

その理由は誰にも特定できないでしょうが、3人ともが非常に恵まれた子ども時代を過ごしていることはその必要条件だった、と私は考えています。不幸な子ども時代を送った者ほど、人の不幸が分かるとは思いますが、だからといって、人に優しくできるとは限りません。不幸なほど人は心に余裕がなく、他人に優しくできなくなる場合の方が多い、と私は考えています。

また、3人とも他者を助けることで、自分の中で充実感が得られたから、慈善事業にあれほど人生を費やせたのだと確信します。なんの見返りもなく、誰からも称賛されず、実践しても辛いだけだったら、3名とも偉業を成し遂げることは不可能だったと私は考えます。

究極的に、人間はなんの満足感もない事柄を継続することなどできないでしょう。完全な自己犠牲など不可能で、全ての慈善活動は偽善的な側面、自分のためにしている側面があると私は考えています。全てなので、上の3人の慈善活動も偽善的側面はあると見なしています。

「究極的に人は自分のためにしか生きられない」の考え方は、私の社会観の大きな柱になっているので、これまで多くの日本人、外国人に語ってきました。その経験では、カナダ人の多くがこれと同様の考え方を持っていたのですが、日本人だとこの考え方に強い反感を示す人が少なくありませんでした。反感を示す方たちは、人間の浅い内面しか見ていないように思えてなりません。

非暴力を成功に導いたガンジーの実像

20世紀に最も人類に貢献した人物といえば、ガンジーだと私は考えています。もっと言えば、人類史上で彼ほど偉大な人物はいない、とさえ考えています。

暴力に対して非暴力で対抗する理想主義を主張するだけでなく、その実践により、大英帝国が絶対に手放したくなかった植民地インドの独立を達成させた功績は、歴史上比類ないものがあります。その理想主義に感銘を受けた人物にはアインシュタイン、マーティー・ルーサー・キング、ダライ・ラマネルソン・マンデラなどのノーベル賞級の著名人をはじめ枚挙に暇がありません。ガンジーがいなければ、理想的すぎると批判される日本国憲法9条もなかったでしょう。冷戦が第三次世界大戦にならずに終結した理由の一つには、ガンジーの非暴力の思想と功績が世界中に広まっていたことがあると私は考えています。

ただし、そんなガンジーも人間です。欠点はありますし、失敗を何度も犯しています。以下、「ガンジーの実像」(ロベール・ドリエージ著、白水社)を元に、ガンジーの欠点と失敗の代表的なものを示していきます。

ガンジーはロンドンに留学するほど裕福な家庭に育っています。イギリスで弁護士資格を得たガンジーはインドに戻って弁護士業を始めますが、すぐに挫折して、南アフリカに行きます。この南アフリカ滞在中に列車から放り出されるなどの理不尽な人種差別を受け、ガンジーは人権擁護の活動家に生まれ変わります。ただし、この人権擁護の対象はインド人だけでした。ガンジーの自伝には250ページも南アフリカに費やされているものの、南アフリカの圧倒的多数の被差別人種、黒人については全く触れていません。ガンジーにとって南アフリカの人種問題は、インド人が白人と対等になることが全てだったようです。

ガンジーの政治感覚は、今から考えれば、甚だしい見当違いが少なくありません。たとえば、1930年代のヨーロッパ訪問で、ガンジーユダヤ人問題について次のように発言しています。「ユダヤ人が消え去ったなら、彼らの人類に対する貢献は最大となる。私がドイツのユダヤ人の立場なら、亡命を拒み、苦しみの中に喜びを見出すだろう。もしもユダヤ人がこの考えを受け入れるなら、虐殺も喜びの出来事であろう」

西洋文明を嫌悪するガンジーの考えは全く科学に基づいてはいませんでした。特に健康についての考えは、ひどいの一言に尽きます。ガンジーの著作である「健康の手引き」は日本の巷に溢れるトンデモ本よりも非科学的で、もはや宗教本と言っていいでしょう。肉食は最も遅れた民族の食事で、お茶とコーヒーは脳を障害させ、カカオは感触を鈍くする毒を含み、牛乳や豆まで有害だとの主張には何の根拠もありません。ガンジーと同じ遺伝子と同じ生活習慣を持つ人でなければ、絶対に実践してはいけません。

ガンジーの教育論も極めて独善的です。科学技術を徹底的に批判していたガンジーは、教育に本の使用、つまり教科書の使用を認めませんでした。教育すべき唯一の技術は、手紡車と手織機だと本気で信じていたのです。恐ろしいことに、ガンジーはアシュラムという道場で、自身の息子を含めた何名かの子どもにこの教育方法を実践しました。当然のように、その子どもたちは文章もろくに読めない、知性も感性も精神力も弱い大人になり、挙句、ガンジー自身にも疎まれた者までいます。

マザー・テレサナイチンゲールもそうですが、ガンジーも伝記(偉人伝)ではその欠点がほとんど書かれていません。あるいは欠点も長所のように解釈する本まであります。どんな聖人でも欠点があり、失敗することは当たり前なので、子ども向けの伝記だとしても、正しい人間観を養うため、それらは欠かさず書いておくべきだと私は思います。

近代病院は医者ではなく看護師により創られた

ナイチンゲールは資本主義勃興期のイギリス家庭に生まれました。貧富の差が極限まで広がっていた時代の上流階級であり、名前のフローレンスはイタリアの都市「フィレンツェ」のことです。両親が2年間の新婚旅行中にフィレンツェナイチンゲールを産んだことが由来です。そんなことが可能なくらいお金持ちなのに、両親は事実上、働いていませんでした。

ナイチンゲールには姉がいますが、この姉は社交界で「どの男がどれくらい金持ちか」しか興味のない女性だったようです。慈善活動を通じて貧民に同情するようなナイチンゲールと姉は意見がほとんど合いませんでした。

ナイチンゲールが子どもだった頃、看護師は現在のように立派な職業として認識されていません。能力の低い女性が仕方なく就く卑しい仕事でした。看護師の労働環境は劣悪でしたが、看護師の人間性も劣悪でした。

だからナイチンゲールが「看護師になりたい」と言い出して、家族全員が猛反対したのは無理もなかったでしょう。とりわけ、妹のいい子ぶりに日ごろから頭にきていたナイチンゲールの姉は精神が極度にかき乱され、寝込んでしまったそうです。それでも、ナイチンゲールの決意は変わらず、根負けした父はドイツでの看護師活動を許しました。そこで現実の厳しさを知って諦めることを父は期待していたようですが、実際はその逆で、ナイチンゲールは看護の重要性を確信し、ロンドンの病院で看護師として働くことになります。

当時、病院は病気を治すところというより、病人を見捨てるための場所でした。一度入院したら退院することはほとんどなく、死ぬまで病室にいるのが一般的だったようです。まだ感染症の原因が細菌やウイルスと特定されていない時代なので、病人は厄介払いするかのように病院に送られました。お金持ちは医師に往診に来てもらって、病院にかかることはほとんどありませんでした。

病院の衛生状況も、今の基準でいえば醜悪としか言いようのないものでした。ベッドのシーツや病院服は患者が死ぬまで変えません。病室の掃除はしませんし、空気の入れ替えもしません。一般人より栄養が必要なはずの患者に、一般人以下の粗末な食事しか与えません。看護師が患者の食事を介助することはなく、食事を患者の目の前に置くだけで、患者が食べていなければ、看護師はそれをそのまま下げます。患者と看護師が話すことも、基本的にありません。

ナイチンゲールはそれを根底から変えます。後にナイチンゲールが提唱した「患者をよく観察すること、患者の環境衛生を整えること、患者の精神面のケアをすること」はこの時、その土台ができていたようです。実際、この改革により病院環境は見違えるように改善し、病気の治癒率も上がり、イギリス中でナイチンゲールの看護活動は評判になりました。

それを知った陸軍大臣は、当時勃発していたクリミア戦争の後方病院の看護をナイチンゲールに依頼しました。その病院では死者が続出しており、世論の非難が沸騰して、大臣は頭を抱えていたからです。ナイチンゲールは自ら選抜した38名の看護師だけで、数千人の患者のいる兵舎病院に赴任しました。

ナイチンゲールは便所掃除を手始めに、徹底的な衛生環境の改善を行います。患者の体を洗い、病室に光を入れ、清潔な水を使用し、栄養のある食事を摂ってもらうようにしました。栄養のある食事を用意することは、当然のことながらお金がなければできませんが、上流階級のコネを使って、実現させたようです。さらに、患者の精神面のケアを忘れず、全ての患者と会話するように努めました。

ナイチンゲールの看護改革には、現地の軍上層部から強い抵抗を受けます。軍上層部にとって、戦場でケガした落第者たちに、前線で戦っている勇敢な兵士以上に手厚い保護を与えるなど、許せないことでした。このままでは、軽いケガでもして病院送りになった方がマシと考える者が出てきて、軍紀が緩むと考えたわけです(実際そう考える兵士はいたでしょう)。ナイチンゲールは看護の激務で体力を消耗すると同時に、軍上層部との対立で精神を消耗していったようです。それでも、ナイチンゲールは自身の看護理念を実践し続け、結果、兵舎病院の死亡率は42%から2%と劇的に減少しました。

この革命的な成果は、イギリス本国はもちろん、世界中に喧伝されました。病院での衛生状況の改善、患者の精神面でのケアが、病気療養にいかに有効かを世界中が知ったようです。この瞬間に近代病院が誕生したと言っても過言ではないでしょう。以後、世界中にナイチンゲール流の看護を取り入れた病院が設立されていきます。病院は病人を見捨てるための施設ではなく、病気を治して復帰するための現在のような施設になりました。

ナイチンゲールは、クリミア戦争で1日1200人もの傷病兵に8時間連続で膝をついて包帯を巻き続けたり、毎晩数千人の患者を見回ったりした過労がたたって、その後の人生のほとんどを病床で生活することになります。しかし、その後も看護師の育成と地位向上に精力を傾け、現在、看護師を卑しい仕事だとみなす者は誰もいなくなりました。

 

※注意 上ではナイチンゲールだけが近代病院の創始者のように書いていますが、そのような認識は世界中のどこにもありません。ナイチンゲールが近代病院を形作る上で大きな役割を果たしたことは確かだと私は考えていますが、ナイチンゲールがいなくてもいずれ近代病院が確立されていったことも確かだと私は考えています。また、クリミア戦争での兵舎病院での死亡率は、ナイチンゲールの到着後、急上昇していたことが後に判明しています。ナイチンゲールが不衛生なままの兵舎病院に兵士を多く送ってくるように要請して、感染症が蔓延してしまったからです。この後、兵舎病院で死亡率が激減したのは、看護師たちによる衛生環境改善よりも、病院工事による患者すし詰め状況改善と汚水処理状況改善の影響が大きかった、というのが現在の通説です。さらに、ナイチンゲールが長年信奉した病因瘴気説は、ナイチンゲールの生存中に科学的に完全に否定されています。

マザー・テレサの日本人へのメッセージ

マザー・テレサというと、若い世代には歴史上の人物でしかないでしょう。生まれたのは1910年でオスマン帝国と聞くと、なおさらのはずです。

テレサはその地方では裕福な家で育ち、幸せに満ちた子ども時代を過ごしていたようです。敬虔なカトリック教徒であった彼女は世界の不幸な人のために生きたいと考え、21才の時からインドの修道院で働いています。しかし、修道院で上流階級のキリスト教徒ばかり相手していた彼女は、これで本当に不幸な人を救っていることになるのか、と疑問を感じ続けていました。

ついに1948年、テレサ修道院の外に出て、当時インド最大の都市であったコルカタの貧民のために活動することを決めます。この決意を聞いた同僚の修道女たちは、スラムのひどい状況を知っているものの、単なる修道女のテレサが一体なにをしたいのか、なにをできるのか、よく分からなかったそうです。

テレサがスラムで行った活動は、大まかに二つだけです。一つは、青空教育です。浮浪児たちに無料の教育活動を行っていました。もう一つは、浮浪者たちに笑顔で話しかけることです。彼女は物質的豊よりも精神的豊かさ、身体状態よりも精神状態を常に重視していました。どんなに貧しい人でも、どんなに身体が病気に蝕まれていても、精神的な豊かさを得ることはできると信じていたのです。不幸で見捨てられている浮浪者たちの心を少しでも救いたいと、テレサたちは毎日多くの浮浪者に笑顔で声をかけ続けました。

テレサが精神面を重視したことが最もよく分かる活動が「死を待つ人々の家」です。これは医学的に絶対に助からないと分かった人たちを看取る施設です。経済的な観点からいえば、このような人たちにお金や労力を注ぎ込むのは必ずしも有益ではありません。しかし、そんな見捨てられた人だからこそ、私たちが心を救わなければならない、とテレサは考えていたのです。

テレサの活動は順調に進んだわけではありません。ヒンドゥー教が多数派のインドでは、キリスト教徒のテレサの博愛行動は、どうしても布教活動の一環として見られましたし、事実、その側面はありました。しかし、相手の宗教を問わず、また無理な改宗をさせることもなく、教育活動や心の救済をする姿勢にインドの人たちもテレサの活動を次第に受け入れるようになっていきます。

そのうちにテレサが設立した「神の愛の宣教者会」の活動は、世界的にも知られるようになります。1965年にはカトリック教会から、ベネズエラでも活動してほしい、とお願いされました。テレサはインド以外での活動を全く考えていなかったようですが、実際にベネズエラに行って、見捨てられた浮浪者たちを見ると、「確かにこの人たちを救わなければならない」と考えを改め、ベネズエラにも神の愛の宣教者会を設立します。

ノーベル平和賞を受賞したテレサはさらに有名になっていき、1981年には講演を依頼されて、日本にも来ます。テレサは講演目的で日本に来たのですが、滞在中に神の愛の宣教者会を日本にも設立することを決めます。どうしてテレサは世界第2位の経済大国になっていた日本に、インドの貧民のためだった修道院を作ったのでしょうか。

それは東京や大阪で、インドのコルカタ同様に不幸で打ちひしがれている浮浪者たちを見たからです。物質的にも精神的にも恵まれた日本人たちが、そんな浮浪者たちを見ていながら、無視して通り過ぎていたからです。

「どうして日本人たちは不幸な同胞たちを見捨てているのでしょうか。日本は物質的に豊かになったとしても、精神的に豊かになったと言えるのでしょうか」

私がこの言葉を知ったのは、発言後20年以上経過した時で、既にマザー・テレサは亡くなっていましたが、強い衝撃を受けました。私も浮浪者たちを無視している多くの日本人の一人だったからです。また、そのことに疑問を感じたこともないに等しかったからです。

よく考えてみれば、いくら私が貧しいと言っても、浮浪者一人くらいを養うことはできます。ワンルームマンションでも、工夫すればあと一人くらい眠れる場所は作れますし、食料だって一人分くらいは用意できるでしょう。毎日、笑顔で語りかけることだってできます。間違いなくできるのに、していません。「私が日本の最も嫌いなところ」で書いたように、「人間は皆同じ」だと私は考えています。同じ社会にいる以上、私が浮浪者として見捨てられていた可能性はあり、誰かが浮浪者として見捨てられている責任の少しは私にもあります。社会道徳的に明らかに私は救うべきだし、物理的に金銭的に救える能力もあるのに、救っていないのです。

上のマザー・テレサの言葉を知って、私の道徳観は変わりました。だからといって、私が浮浪者を自分の家に住まわせているわけではありませんし、毎日笑顔で浮浪者に話しかけるようになったわけでもありません。そんな自分の生き方が、人として最も大切な道徳に欠けているところがある、と常に自覚するようになったのです。もちろん、今この瞬間もそう思い続けています。「どうして不幸な人を見捨てているのに、平気で暮らしているのか?」と私が無視してきた数えきれない不幸な人たちに問われたとして、私は言い訳など全くできず、謝罪の言葉を述べるしかない、と肝に銘じています。

抽選制民主主義

代議制民主主義の国では、国民が民主的な投票によって代表者を選び、その代表者たちが国民の守るべき法律を定め、税金をどう徴収するかを決め、税金をどう使うかを決めます。

これは合理的に思えるのですが、なぜこの政治形態が上手くいかないのでしょうか。国民が選んだ代議士の政治に、どうして国民が不満を持つのでしょうか。

その大きな理由の一つに「民主選挙で決まる人」と「適切な政治判断ができる人」が一致していないことがあるでしょう。国民から選ばれるためには、当然、自己アピールが得意な人でなければなりません。口下手な人はまず選ばれませんし、外見の悪い人だって選ばれにくいでしょう。しかし、自己アピールの上手さや外見の良さは、適切な政治判断ができることと直接の関係はありません。

では、選挙以外のどのような方法で「適切な政治判断ができる人」を決めればいいのでしょうか。一つには、試験で決める方法があるはずです。民主政治の行政と立法は、官僚と代議士によって運営されていて、特に日本では官僚の権力が強いそうですが、官僚は主に試験によって選抜されています。試験による選抜は、どのような試験で判定するか、今のような若者だけの採用でいいのかなどの問題はあるものの、妥当な方法だと私は考えています。

もう一つの方法として、抽選があるでしょう。「投票価値試験の公平性 」で示したような簡単な試験を全有権者に課して、その試験で一定点数以上の結果を出した者から抽選で代議士を決める方法です。

なお、抽選で決まった代議士の個人名は明かされません。任期中に下した決断に対して、代議士が責任をとらされることもありません。マスコミ発表は「23名の議員の提案により、十分な所得のある高齢者の医療保険料の全額自己負担が審議されました」「議員Aが○○の提案をし、議員Bの××の質問に△△と答えています」となり、特定の議員名が出されることはありません。

このような抽選制民主主義を採用すれば、次のようなメリットがあるはずです。

1、代議士に2期連続でなれなくなるので、権力の固定による腐敗が防げる

2、代議士が特定されないので、代議士への利益供与を防げる(当然ながら、偶然特定したとしても、代議士への利益供与は厳しく罰せられます)

3、選挙活動費が節約できる

4、一部の政治エリートのためだけでなく、一般人のための政治が行われやすくなる

ところで、現在の日本では地方自治体に首長がいます。首長まで抽選で決めると、あまりに不適切な人物が選ばれた場合の弊害が大きくなります。首長のような一人代表者まで抽選制を適用するのは避けるべきでしょう。それ以外にも、今すぐ思いつくだけで以下のようなデメリットが抽選制にはあります。

1、議会の公開度が下がる(議会の映像にはモザイクがかかり、音声も変更処理されます。議事録の発表者は全て匿名になります)

2、政治の専門家でない者が政治を動かすことになる

3、有権者が信頼していない者が有権者に強制力を持つことになる

4、政治では判断が重要であるが、全ての判断は完璧ではない。その不完全な判断を有権者に適切に発表して、信頼してもらうことの方が重要な場合もあるが、特定の人が発表できないので、適切な発表ができにくくなる

他にもデメリットはあるでしょうが、十分に洗練された抽選制民主主義なら、少なくとも現状の日本の代議制民主主義より、遥かに優秀な制度になれると私は確信しています。(ただし、代議制民主主義のままでも、現状よりも優秀な政治制度は作れるとも思っています。その一つの改革案を「投票価値試験」に書いています)

幸せな人を尊重し、不幸な人を虐げる国

どんな時代のどんな社会でも、幸せな人はより幸せになりやすく、不幸な人はより不幸になりやすいです。それを是正するため、自由や平等を尊重する民主主義国家が誕生したのでしょうが、完全ではありません。

幸せな人は幸せになりやすく、不幸な人は不幸になりやすい国ほど、民主主義のレベルが低いと、私は自身の海外経験から考えています。この意味で、日本はまだまだ幸せな人のためだけにある国で、民主主義以前の階級社会のようにも思えます。「カナダ人の寛容性と生産性の相関関係」に挙げた例を読めば、カナダと比較すれば日本は、幸せな人を尊重し、不幸な人を虐げる国であると理解してもらえるのではないでしょうか。

ところで、冒頭の「どんな時代のどんな社会でも、幸せな人はより幸せになりやすく、不幸な人はより不幸になりやすい」は、私にとって当たり前のことなので断定させてもらっています。こう考えていない、あるいは、これに気づいていない日本人が多いこと自体が問題でしょう。だから、ここであえて記しています。

ブラック企業でもこれだけは我慢できない

私がブラック企業にいた頃、同じ現場で毎日パワハラに耐えている同僚が「他の叱責は仕方ないにしても、そう言われることだけは我慢ならない」と口を揃えていた不満があります。上司からの次のような叱責です。

「ここでダメだったら、どこいっても同じだからな」

「こんなんじゃ、他でもやっていけないぞ」

私も同様のことを言われて、「それだけは言っていけないだろう!」と思ったことが何度もあります。毎日、理不尽な叱責に耐えているのは、あくまで会社内で雇用関係にあるからです。その関係さえなければ、社会全体での個人と個人の関係になれば、こんな性格の破綻した上司の言うことなど、黙って聞いているわけがありません。無視するか、頭にきていれば怒鳴り返しています。

だから、あくまで会社内で「ダメだ」「バカか」「無能だ」と言われるのなら、それは耐えるしかないかもしれません。しかし、「会社外でもダメだ」などと叱責することは、人として絶対に許されません。そんなことを言う権利が、法の下の平等憲法で保障されている日本で、パワハラを行うような基本的人権を無視した上司に存在するわけがありません。

これは当たり前のことですが、多くの日本人上司はそのことを本当に忘れています。だから、ここに記しておきます。