未来社会の道しるべ

新しい社会を切り開く視点の提供

近代病院は医者ではなく看護師により創られた

ナイチンゲールは資本主義勃興期のイギリス家庭に生まれました。貧富の差が極限まで広がっていた時代の上流階級であり、名前のフローレンスはイタリアの都市「フィレンツェ」のことです。両親が2年間の新婚旅行中にフィレンツェナイチンゲールを産んだことが由来です。そんなことが可能なくらいお金持ちなのに、両親は事実上、働いていませんでした。

ナイチンゲールには姉がいますが、この姉は社交界で「どの男がどれくらい金持ちか」しか興味のない女性だったようです。慈善活動を通じて貧民に同情するようなナイチンゲールと姉は意見がほとんど合いませんでした。

ナイチンゲールが子どもだった頃、看護師は現在のように立派な職業として認識されていません。能力の低い女性が仕方なく就く卑しい仕事でした。看護師の労働環境は劣悪でしたが、看護師の人間性も劣悪でした。

だからナイチンゲールが「看護師になりたい」と言い出して、家族全員が猛反対したのは無理もなかったでしょう。とりわけ、妹のいい子ぶりに日ごろから頭にきていたナイチンゲールの姉は精神が極度にかき乱され、寝込んでしまったそうです。それでも、ナイチンゲールの決意は変わらず、根負けした父はドイツでの看護師活動を許しました。そこで現実の厳しさを知って諦めることを父は期待していたようですが、実際はその逆で、ナイチンゲールは看護の重要性を確信し、ロンドンの病院で看護師として働くことになります。

当時、病院は病気を治すところというより、病人を見捨てるための場所でした。一度入院したら退院することはほとんどなく、死ぬまで病室にいるのが一般的だったようです。まだ感染症の原因が細菌やウイルスと特定されていない時代なので、病人は厄介払いするかのように病院に送られました。お金持ちは医師に往診に来てもらって、病院にかかることはほとんどありませんでした。

病院の衛生状況も、今の基準でいえば醜悪としか言いようのないものでした。ベッドのシーツや病院服は患者が死ぬまで変えません。病室の掃除はしませんし、空気の入れ替えもしません。一般人より栄養が必要なはずの患者に、一般人以下の粗末な食事しか与えません。看護師が患者の食事を介助することはなく、食事を患者の目の前に置くだけで、患者が食べていなければ、看護師はそれをそのまま下げます。患者と看護師が話すことも、基本的にありません。

ナイチンゲールはそれを根底から変えます。後にナイチンゲールが提唱した「患者をよく観察すること、患者の環境衛生を整えること、患者の精神面のケアをすること」はこの時、その土台ができていたようです。実際、この改革により病院環境は見違えるように改善し、病気の治癒率も上がり、イギリス中でナイチンゲールの看護活動は評判になりました。

それを知った陸軍大臣は、当時勃発していたクリミア戦争の後方病院の看護をナイチンゲールに依頼しました。その病院では死者が続出しており、世論の非難が沸騰して、大臣は頭を抱えていたからです。ナイチンゲールは自ら選抜した38名の看護師だけで、数千人の患者のいる兵舎病院に赴任しました。

ナイチンゲールは便所掃除を手始めに、徹底的な衛生環境の改善を行います。患者の体を洗い、病室に光を入れ、清潔な水を使用し、栄養のある食事を摂ってもらうようにしました。栄養のある食事を用意することは、当然のことながらお金がなければできませんが、上流階級のコネを使って、実現させたようです。さらに、患者の精神面のケアを忘れず、全ての患者と会話するように努めました。

ナイチンゲールの看護改革には、現地の軍上層部から強い抵抗を受けます。軍上層部にとって、戦場でケガした落第者たちに、前線で戦っている勇敢な兵士以上に手厚い保護を与えるなど、許せないことでした。このままでは、軽いケガでもして病院送りになった方がマシと考える者が出てきて、軍紀が緩むと考えたわけです(実際そう考える兵士はいたでしょう)。ナイチンゲールは看護の激務で体力を消耗すると同時に、軍上層部との対立で精神を消耗していったようです。それでも、ナイチンゲールは自身の看護理念を実践し続け、結果、兵舎病院の死亡率は42%から2%と劇的に減少しました。

この革命的な成果は、イギリス本国はもちろん、世界中に喧伝されました。病院での衛生状況の改善、患者の精神面でのケアが、病気療養にいかに有効かを世界中が知ったようです。この瞬間に近代病院が誕生したと言っても過言ではないでしょう。以後、世界中にナイチンゲール流の看護を取り入れた病院が設立されていきます。病院は病人を見捨てるための施設ではなく、病気を治して復帰するための現在のような施設になりました。

ナイチンゲールは、クリミア戦争で1日1200人もの傷病兵に8時間連続で膝をついて包帯を巻き続けたり、毎晩数千人の患者を見回ったりした過労がたたって、その後の人生のほとんどを病床で生活することになります。しかし、その後も看護師の育成と地位向上に精力を傾け、現在、看護師を卑しい仕事だとみなす者は誰もいなくなりました。

 

※注意 上ではナイチンゲールだけが近代病院の創始者のように書いていますが、そのような認識は世界中のどこにもありません。ナイチンゲールが近代病院を形作る上で大きな役割を果たしたことは確かだと私は考えていますが、ナイチンゲールがいなくてもいずれ近代病院が確立されていったことも確かだと私は考えています。また、クリミア戦争での兵舎病院での死亡率は、ナイチンゲールの到着後、急上昇していたことが後に判明しています。ナイチンゲールが不衛生なままの兵舎病院に兵士を多く送ってくるように要請して、感染症が蔓延してしまったからです。この後、兵舎病院で死亡率が激減したのは、看護師たちによる衛生環境改善よりも、病院工事による患者すし詰め状況改善と汚水処理状況改善の影響が大きかった、というのが現在の通説です。さらに、ナイチンゲールが長年信奉した病因瘴気説は、ナイチンゲールの生存中に科学的に完全に否定されています。