未来社会の道しるべ

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親が子どもの名前をつける制度

先日、ある飲み会で自己紹介しました。自分の子どもが欲しいこと、子どもの教育本を100冊以上も読んでいることを熱弁しました。

「あれ? 結婚してましたっけ?」と聞かれて、「結婚どころか彼女もいません!」と言うと大ウケして、次に「子どもの名前はなにを考えていますか?」と聞かれて、私はこう答えました。

「もちろん、子どもの名前も考えています! ただし、僕一人で決められるわけではなく、将来の妻とも考えていくべき問題なので、秘密です!」

私の返答で「流行りのキラキラネームだ!」とか「〇〇なんて名前つけられた子どもに限って反対の××になったりするんだよね」とかで笑おうと思っていた人たちが、真面目な返答に引いていくのが分かって、そこで止めました。しかし、実際は主張したいことがまだありました。

「そもそも、親が名前を決める現状のシステムに私は反対です。よほどのことがない限り、名前はその人に一生着いて回ってしまいます。イジメの原因にもなります。本来なら、ある程度の年齢になったら、本人が自分で名前をつけられるようにするべきだと私は考えています」

飲み会の自己紹介でここまで言ったら、変人が確定するので、さすがに言いませんでした(ここで確定しなくても、日本人集団にいる限り、いずれ私の変人評価は確定しますが)。

あらゆる調査結果が示すように、多くの人は自分の名前が好きです。私は例外で、自分の名前が嫌いです。若い頃はもっと嫌いでした。

自分の名前が好きな人が多い理由は「不満のない幸せな人生を送っているから」「(無意識のうちに)自己肯定感の強い自分になっているから」が大きいでしょうが、「名づけた人(多くは両親)との関係がいいから」も大きいでしょう。一方、私は自分の名前をつけた両親との仲が最悪です。

どんな時代のどんな社会でも、親との関係が悪ければ、その後の人生は恵まれたものにはならず、出世しません。だから、過去から現在まで、親が子どもの名前を決める制度を変更しようとする動きは生まれないのでしょう。

とりわけ日本のように少数派が迫害されやすい社会では、「子どもの名前を親が決めるのはおかしい」という疑問すら口にするのが憚られてしまいます。「なんで自分の名前が嫌いなの?」「別に変な名前じゃないでしょ?」について、私が真摯に上記のような主張をしても、変人扱いされるのがオチです。

名前の問題を考えると、親との関係がいい人たちだけで社会体系が構成されている、といつも私は考えてしまいます。当たり前ですが、子どもは親を選んで生まれてくるわけではありません。親といい関係を築けた人たちに「もし、ひどい両親の元に生まれていたら、自分の人生は一体どうなっていたか」を考えてもらいたいので、この記事を書いておきます。