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なぜ戦前の陸軍で下剋上が横行したのか

「日米開戦の正体」(孫崎亨著、祥伝社)は素晴らしい本でした。

太平洋戦争はアメリカによって起こされたことを「日米開戦の正体」で示した、と著者が「アメリカに潰された政治家たち 」(孫崎亨著、河出文庫)に書いています。だから、「孫崎がまた陰謀論を書いたのか」と呆れていましたが、「日米開戦の正体」ではアメリカの陰謀についてはほとんど書かれていません。日本による奇襲をルーズベルト大統領は事前に知っていながら、国民や現場の軍隊に知らせず、真珠湾が攻撃された後、「日本による騙し討ちだ」と痛烈に批判した、というよく知られた事実が書かれているだけです。

上記の本ほど、日露戦争から太平洋戦争につながるまでの流れが分かりやすく書かれた本はないと思います。それぞれの人物の思想の立ち位置を整理して示し、私のように20年前から郭松齢を知っている人からすると、くどいほど同じ情報を書いていますが、その分、あまり詳しくない人でも読みやすいでしょう。

いまだに明確に知らない日本人も多いですが、太平洋戦争は、日中戦争と継続しています。日本が石油欲しかったからとか、北進論と南進論の対立とかなどは些末な問題で、日米が戦争するほど関係が悪化した根本原因は、日中戦争にあります。

これは多くの日本人が認識していることですが、日中戦争の原因には満州事変があります。その満州事変の原因には、日本人が満州に対して特殊権益を持っているとの強い意識があります。その意識は、日露戦争の勝利によって生まれたことも歴史的事実です。

だから、太平洋戦争が起こった理由を考えれば、日露戦争まで戻るのは自然な流れです。さらにいえば、「戦争は勝っても損をする」に書いたように、太平洋戦争の勃発について、日清戦争まで戻って考えることも十分可能です。もっと書けば、「日本最高」の水戸学の影響を受けた幕末の尊王攘夷思想まで遡ることもできるでしょう。

「日米開戦の正体」を読めば、特に戦間期満州と中国情勢が日本外交の中心であったことがよく分かります。当時も今も、外交官は欧米派遣が出世コースのはずなのですが、現実には吉田茂のように、関東軍に近い外交官が例外的に大抜擢されています。

興味深かった見解として、幣原喜重郎が自著の「外交50年」で「太平洋戦争は日中戦争に原因があり、日中戦争満州事変に原因がある。そして、満州事変の直接的原因は、軍人に対する整理首切り、俸給の減額、それらに伴う不平不満だろう」と書いている点です。以後、「外交50年」からの抜粋です。

 

日本は第一次世界大戦まで輸入超過の債務国だったが、大戦景気で一気に輸出超過となり債権国となった。外国要因による好景気なのだが、あたかも自力で一等国に成りあがったかのように日本は錯覚した。大戦が終わると、当然ながら海外市場は西洋列強に奪還された。早くも1920年には経済恐慌が起き、日本で倒産者は続出した。1923年の関東大震災で、戦争中に貯めたお金は全て吐き出して、さらに赤字に転落した。

特に1929年の世界大恐慌下の浜口内閣の井上準之助大蔵大臣が、あらゆる苦情を排して、徹底した緊縮財政を断行した。陸軍は二個師団が廃止になり、何千という将校がクビになり、将官もかなり辞めた。血気の青年将校たちの間では、憤慨が過激になり、「桜会」という秘密結社を組織し、政党も叩き潰して新秩序を立てよう、議会に爆弾を投じて焼き討ちしようなどと、とんでもない計画まで立てた。それでも、宇垣大将が陸軍大臣の頃まではまだ統制が保たれて、彼らに爆発の機会を与えなかった。そこで彼らは国内の秩序をひっくりかえすことを思いとどまり、国外といっても、一番手近な満州での鬱憤を晴らそうとなったのだろう。

 

井上準之助は個人としての能力は高かったのですが、事実として、金解禁政策は日本の富を莫大に流出させ、緊縮財政は戦前最悪の不況を引き起こしています。戦後、井上の財政政策はメリットがあるものの、それよりもデメリットが遥かに大きかったとの評価が定着しています。

満州事変の原因に昭和恐慌はよくあげられますが、具体的に井上蔵相の政策のせい(陸軍二個師団を廃止したから)とまで言及しているのは珍しい気がします。

この幣原の「満州事変の直接原因は井上の緊縮財政にある仮説」は間違っている部分が大きいと私は考えます。

井上の金解禁政策は誰が考えても失敗でしたが、陸軍二個師団廃止は、本来であれば、民衆にとって好ましい政策ですし、当時の新聞も概ね称賛していました。陸軍二個師団廃止により、青年将校の不満を高め、満州事変という日本として取返しのつかない失敗に繋がった理由は、井上蔵相や浜口首相、あるいは幣原外相を含めた閣僚たちが陸軍を制御できなかったからです。そして、陸軍を制御できなかったのは、統帥権問題に加えて、下剋上の気風みなぎる青年将校を陸軍上層部が抑えられなかったからです。

しかし、軍上層部が部下を抑えられないなど、世界中のどの軍隊でもあってはなりません。特に「上官の命令は朕の命令」である戦前の日本の軍隊では、なおさらありえません。にもかかわらず、戦前の陸軍で「日本史上最低の人物・辻政信」の下剋上などをなぜ許してしまったのでしょうか。

陸軍内の下剋上満州事変を起こした原因でもありますが、満州事変の最中に止められなかった原因でもあり、満州事変後の北支事変から日中戦争を止められなかった原因でもあり、究極的には日本が第二次世界大戦で大敗する原因でもあります。

陸軍内の下剋上の横行がなぜ許されたか、なぜ止められなかったかは、私にとって10年以上解けない日本の謎の一つです。陸軍の上層部も、部下の暴走に共感している部分が大きかったからなのか、と推測するくらいです。