「戦後史の正体」(孫崎享著、創元社)では、60年安保闘争がアメリカの陰謀だと書いています。あの日本史上最大の国会デモがアメリカに仕組まれたものだと証明しています(あるいは証明しようとしています)。
「バカをいえ! なぜアメリカが日米安保条約の反対デモを手助けするのか。アメリカは日米安保条約を結びたくないと主張したいのか?」
そう考えるのが普通でしょう。私もそう考えました。
当然ながら、アメリカは日米安保条約を結ぼうとしています。一方で、アメリカは岸首相を退陣させたいとも考えていました。だから、国会内で安保条約は成立させて、国会外で安保反対デモを応援することで、目的通り、岸首相を辞任に追い込みました。
「意味が分からない。なぜそんな遠回りの方法を使うのか。岸を退陣させたいなら、自民党内の権力闘争に陰謀を加えるべきだ」
そんな反論もあるでしょう。孫崎は「確証なし」と認めながら、それについて以下のように推測しています。
1,岸首相の自主独立路線(孫崎によると岸は日米安保条約だけでなく、本命の日米地位協定の改定までするつもりだった)に危惧を持った米軍およびCIA関係者が工作を行って岸政権を倒そうとした
2,ところが岸の党内基盤および官界の掌握力は強く、政権内部から切り崩すという通常の手段が通じなかった
3,そこで経済同友会などから(アメリカが)資金提供をして、独裁国に対してよく用いられる反政府デモの手法を使うことになった
4,ところが6月15日のデモで女子東大生が死亡し、安保闘争が爆発的に盛り上がったため、岸首相の退陣の見通しが立ったこともあり、翌16日からはデモを押さえこむ方向で動いた
このうち「3」は説明が必要でしょう。
60年安保闘争で中心勢力となったのは全学連であり、全学連の中心勢力はブントです。ブントは1958年に民青(日本共産党の学生組織)から独立(ケンカ別れ)した新左翼であり、当初は一台の電話機の電話代さえ半年も未払いになるほど金がありませんでした。それが安保闘争の最盛期になると、ブントは何十台ものバスをチャーターして学生たちを国会議事堂前まで運んでいました。この資金源は、大衆からのカンパもあるものの、戦前の武装共産党時代を主導して、収監中に転向して右翼となった田中清玄でした。田中清玄は他の財界人たちをブントに紹介しており、その中には経済同友会の中山素平と今里広記もいました。この経済同友会は「戦後史の正体」によると、戦後の財閥解体後、「アメリカに協力することに全く抵抗のない人びとを日本の経済界の中心にすえる」ために創設されました。つまり、ブントは田中のようなCIA協力者や、中山や今里のようなアメリカの従僕たちから資金提供を受けることで、日本史上最大の国会デモを実現できていたようです。背後にアメリカのいる3人(田中、中山、今里)から資金提供を受けていたことは、後にブントの主導者たちが認めています。
ここで興味深い、というか矛盾することを「戦後史の正体」から引用しておくと、アメリカは自ら煽っておきながら、60年安保のデモの勢いに驚いてもいたそうです。デモ参加者たちが「アメリカのせいで日本が再び戦争に巻き込まれる」と抗議していたことをアメリカは熟知していました。あんな大規模デモを起こさせるほど、アメリカが日本人に嫌われているとは思っていなかったようです。1961年から駐日アメリカ大使となったライシャワーは日本の保守派だけでなく、進歩派とも交流を深めることを重視しましたが、それは60年安保のデモに脅威を感じていたからのようです。
このように「戦後史の正体」を読んでいると、アメリカが日本を裏で操作していることが分かると同時に、アメリカの工作のちぐはぐさも見えてきます。60年安保がいい例ですが、新安保条約にしても旧安保条約と実質的になにも変わらないように工作して、一方で安保反対運動に資金援助して、もう一方で安保反対運動の勢いに驚いています。これは米軍(国防総省)、国務省、CIAが十分に意思疎通をとっていないために生じた混乱でしょう。この戦後のアメリカ工作による混乱は、戦前の中国、特に1911年の辛亥革命から1937年の日中戦争までの日本人大陸浪人のたちの暗躍による混乱と似ている気がします。アメリカによるベトナム戦争と、日本による満州事変から日中戦争が似ているように、です。
話を60年安保に戻します。60年安保の国会デモがアメリカの工作によるものとの説は、当時の政治家、マスコミ、国民のどれくらいが知っていたのでしょうか。あるいは、今も日本人のどれくらいが知っているのでしょうか。日本史上最大の民衆デモ、まるで市民革命のような盛り上がりが、アメリカの手の平の上で踊らされていただけなのに、日本人の誰もがそれに気づかないままであった、なんてありえるのでしょうか。
もちろん、上記のアメリカの走狗の3人は資金提供しただけです。一番重要なのは民衆の怒りであり、それは自然発生したものだと思いたいです。
ただし、「戦後史の正体」によると、マスコミはしばしばアメリカの言いなりになっています。実際、孫崎は6月17日の異例の全国新聞七社共同宣言「その理由のいかんを問わず、暴力を用いて事を運ばんとすることは、断じて許されるべきではない」(実質的な国会デモの批判)がアメリカの指示によるものと断定しています。
確かに、あれほど安保反対運動を煽っていたマスコミが、突如として安保反対運動を一斉に非難するのは異常です。なんらかの陰謀があったことは間違いないと私も考えます。
しかし、それ以前のマスコミの安保条約反対は、記者たちの自由意思によるもののはずです。とはいえ、上記の通り、安保反対の国会デモもアメリカからの資金援助があったことも事実のようです。だから、七社共同宣言以前のマスコミの安保反対運動も、アメリカの陰謀の影響はあったのかもしれません。そして、マスコミの安保反対運動がなければ、民衆の安保反対運動は盛り上がらず、国会前にあれほど熱狂した大衆が集まらなかったのも、事実のはずです。
こうなってくると、日本史上最大のデモも、どこからか日本人の自由意思で、どこまでがアメリカの陰謀なのかも、もはや誰にも分らないはずです。あるいは、全てアメリカの陰謀に踊らされていただけなのかもしれません。
「立花隆はCIAのスパイである」の記事で「戦後史の正体」に書かれた衝撃の事実をさらに記録しておきます