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袴田再審無罪報道でなぜ紅林の名前が出ないのか

この1ヶ月ほど、毎日のように袴田再審無罪のニュースが流れています。再審が認められた10年前に、無罪であることは実質的に世間に知れ渡っていたので、今回の判決は「裁判でも検察・警察側の捏造が認められた」程度の意義しかありません。

それにしても不思議なのは、元プロボクサーの袴田にチャンピオンベルトが渡されただの、袴田の姉の長年の苦労だの、重要性の低いことが報道されているのに、「なぜ警察が捏造までしたのか」という考察があまりに少ないこと、紅林という極悪人が静岡にいたので起こった冤罪であることが、ほとんど報道されないことです。

多くの日本人にとって、袴田巌など知りもしなかったはずです。自分が行ったこともない静岡で、自分が生まれる前に起きた殺人事件で、誰が犯人であるかなど、どうでもいいことです。問題なのは、袴田事件が国家権力の警察のでっち上げで死刑判決に至ったことです。さらには、再審無罪が確定した後も、検察側が「捏造と断じたことには強い不満を抱かざるを得ません」と否定したことです。これでは、また検察・警察の不正義が起こるかもしれません。それこそ、次は自分が警察の罠にはまって、冤罪なのに死刑にされる可能性があります。

とはいえ、検察・警察側も弁護できる部分はあるはずです。「袴田事件は紅林教団が起こしたものだ。あんなひどい冤罪は例外中の例外で、あの時代の静岡でなければ起きなかった」と主張したい人はいるはずです。少なくとも、私が検察官や警察官なら、そう言っています。

袴田再審無罪を報道する時、まともなジャーナリストなら「なぜこんなひどい冤罪が起こったんだ」と考えるはずです。そして、すぐに「拷問王の紅林麻雄を教祖にしてしまった日本」の問題に気づくはずです。あるいは、既に知っているはずです。

にもかかわらず、袴田再審無罪のニュースの時、より大きく根本原因を生じさせた紅林が無視されているのは不思議でなりません。上の記事と同じ終わり方になりますが、このようなマスコミ報道に接すると、袴田事件のような冤罪が今後日本に出てこないと自信を持って言えない自分が情けないです。