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運命の五分間はなかった

太平洋戦争は、その名の通り太平洋が主戦場です。海軍が主役となる戦争であり、その海軍の主役は空母(飛行機を発着させる船)、つまり飛行機になりました。これを戦前から最も正しく予想していたのは、敗れた日本の山本五十六連合艦隊司令長官であり、その山本の真珠湾の空母奇襲により、アメリカ海軍は大敗北を喫しています。

ミッドウェー海戦は、日本の主力空母とアメリカの主力空母の戦争です。ミッドウェー海戦が太平洋戦争全体の分岐点になることは、戦う前から双方が予想していましたし、事実、そうなりました(もっとも、ミッドウェー海戦で日本が勝っても、軍事生産力の差から、いずれ日本が負けることは確実でした)。ミッドウェー海戦は現在の高校の日本史教科書はもちろん、世界史の教科書にも必ず出てくる世界史上の大決戦です。

ミッドウェー海戦での日本の直接の敗因は、「運命の五分間」であると海戦に参加していた第一航空艦隊参謀長の草鹿龍之介が「文藝春秋」に1949年に書いています。ミッドウェー海戦は、日本の主力空母4隻が全て沈没されました。ミッドウェー近くに日本の飛行場はないので、必然的に、空母に乗せていた主力飛行機も全て失いました。

ミッドウェー海戦で、日本の空母4隻に魚雷を撃とうとしているアメリカの飛行機は日本のゼロ戦が撃ち落としていましたが、突如上空から現れたアメリカの急降下爆撃機が、日本の空母4隻全てに爆弾を落としました。魚雷と異なり、爆弾は空母を含む船攻撃用ではなく地上攻撃用であり、破壊力はあまりないので、通常であれば、これは「損害軽微」で済みます。しかし、この時、日本の空母は魚雷を積んだ飛行機で満ち溢れていました。アメリカの飛行機の落した爆弾が日本の飛行機に積んである魚雷を誘爆し、さらに他の日本の飛行機の魚雷に誘爆することを繰り返し、最後には空母の弾薬庫まで爆発します。日本の4つの主力空母は全て、わずかなアメリカ軍の攻撃により生じた誘爆の連鎖により沈没します。

あと5分あれば、日本の空母から飛行機は全て飛びたてるはずでした。そうすれば、真珠湾のように、日本が圧勝したはずです。まさに悔やんでも悔やみきれない5分間です。

では、なぜこの運命の五分間が生じたのでしょうか。それは兵装転換です。ミッドウェー海戦は空母対空母の決戦なので、当初、日本の空母に載っている飛行機は、対戦艦用魚雷を積んでいました。しかし、ミッドウェー島の攻撃の必要性ありとの連絡があり、対戦艦用魚雷から地上攻撃用爆弾に兵装転換が行われます。この兵装転換は、すぐにはできません。飛行機を一台一台、甲板から船内に降ろして、数人が手順に従って魚雷から爆弾へと付け替えて、甲板に飛行機をあげます。全機の準備が整い、さあ、ミッドウェー島の爆撃だとなったところで、「いや、やっぱり敵空母がいる」との連絡があります。現場から不平の声は出たでしょうが、2度目の兵装転換、地上用爆弾から対戦艦用魚雷に付け替えます。この兵装転換が終わって、全機が出発体制になって飛び立つ「五分前」に、アメリカの急降下爆撃機が現れたのです。

だから、兵装転換さえなければ、日本はミッドウェー海戦で大敗しなかったのです。アメリカ海軍のミニッツ大将も空母部隊指揮官のスプルーアンス中将も運命の五分間があったことを認め、アメリカの勝利は「幸運だった」と述べています。

よく指摘されるのは、二度の兵装転換が珊瑚海海戦でも起きていたことです。珊瑚海海戦は、世界史上初めての空母対空母の戦いです(ミッドウェー海戦は史上二度目の空母対空母の戦いで、主力空母同士の戦いとしては世界初です)。珊瑚海海戦は戦術的には日本の勝利で、戦略的には日本の敗北でした(アメリカのニミッツ大将の言葉)。当時の日本は勝ったと思い込んでいたので、ろくに反省もせず、危機的な二度の兵装転換が起こったことも海軍内で周知されませんでした。そして、ミッドウェー海戦でも、二度の兵装転換が起きて、結果として、これが運命の五分間を生じさせ、日本史上最悪の敗戦に繋がりました。

この私も長年信じていた「運命の五分間」は俗説だったようです。「戦史叢書」(防衛研修所戦史室著、朝雲新聞社)によると「運命の五分間はなかった」が昔からはっきりしているそうです。アメリカ側の写真や日本側の命令時間から、アメリカの飛行機が空母を攻撃した時、日本の空母に飛行機が満載している事実はなく、兵装転換はまだ完了していないことも事実のようです。そもそも、兵装転換していなくても、ミッドウェー海戦は日本が負けた可能性が高い、という評価が今では一般的です。

それではなぜニミッツ大将などのアメリカ側も「運命の五分間」があると認めたのか、というと、「危機一髪のところで勝った」というストーリーの方がアメリカ側としても気分が良いため受け入れられたからではないか、と大木毅によって推測されています。

さらに書きます。「ミッドウェー海戦から嘘の大本営発表が始まった」も俗説だと、私もつい最近知りました。正確には「珊瑚海海戦から、大本営は嘘と分かっているのに戦勝と発表した」が正しい説です。珊瑚海海戦はお互いの損害を客観的に評価すれば、戦略的(大局的)にはもちろん、戦術的(局地的)にも日本が負けています。特に戦略的に負けたことは、海戦直後から日本ですら認識していました。珊瑚海海戦の指導者である井上成美中将は、同志だった山本五十六を含め、ほぼ全ての海軍指導部に批判され、最終的に昭和天皇から「井上は学者だから、戦は余りうまくない」と評されたほどです。

ただし、戦果について過大発表した意識はあっても、海軍を筆頭に日本全体が戦勝を信じようとしたせいで、珊瑚海海戦の失敗が十分に反省されなかったことは事実です。また、そのためにミッドウェー海戦の敗北が生じた側面までは否定できません。日本海軍司令部の驕慢がミッドウェー海戦の(最大の)敗因との見解は現在も有力です。

この記事を書きたくなったのは、「完本福島第一原発メルトダウンまでの五十年」(烏賀陽弘道著、悠人書院)という本を読んだからです。この本の著者は鬼の首をとったかのように事故調査委員会を批判していましたが、専門家の見事に論破され、著者(だけ)が注目するECCSの問題までおざなりになっています。

しかし、ミッドウェー海戦で運命の五分間がなかったからといって、「珊瑚海海戦で日本側が十分な反省をしていて、入念に準備していたら、ミッドウェー海戦で日本が勝っていた可能性」までは否定されません。

得意気に言っていた者が、一部の説が否定されただけで、全否定された気分になってしまうのはよくある間違いです。この無様な失敗を次から2つの記事で示します。