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日本の歴史学会はいつになったら客観性を身に着けられるのか

大英帝国親日派」(アントニー・ベスト著、中央公論新社)を読んで、またも日本人として悲しくなってきました。

上記の本は、第一次大戦と第二次大戦の戦間期の日英外交の中心人物たちの考えを紹介しています。当時の外務大臣を始めたとした日本の外交官は、イギリスをひどく誤解しています。「日本と中国が対立したら、イギリスは日本の味方になってくれる」「イギリスは中国の権益を放棄してくれる」と一方的な期待を抱くだけでなく、イギリスの一部の外交官も同意見だ、と重光葵などは本気で考えていたようです。どうやったら、ここまでメチャクチャな誤解を持てるのか疑問ですが、イギリスの複数の外交官たちも太平洋戦争前に「イギリスが強くでれば、日本がイギリスと本当に戦争を始めることはないだろう」と考えていたので、どっちもどっちかもしれません。

だから、私が悲しくなったのは、当時の外交官たちの異常な国際感覚ではありません。残念なのは、過去の戦争についての情報が十分揃った今でさえ、日本の歴史学者の間では「重光葵の誤解」が跋扈している、と本で知ったからです。本の冒頭で、著者は「当時のイギリスが真剣に対日妥協や宥和政策を模索したと信じている日本人研究者が今もいると知って、私は大変驚いた」と書いています。

このブログの最初から何度も嘆いていることですが、日本人はいまだに歴史の失敗を総括できていません。事実を正確に把握する、という簡単なことすら、なぜかできません。重光葵のような優秀な外交官が間違えるはずがない、と信じたいからなのでしょうか。重光葵の頭がどれほどよかったか私は知りませんが、どんなに頭のいい人でも他人の頭の中までは分からない、という当然の事実なら私も知っています。「重光葵チェンバレンの考えをこう見ていた」と「チェンバレンはこう書き留めていた」の二つがあれば、後者が正しいに決まっています。まさか日本の歴史学者たちは「チェンバレンはそう報告していたが、本心は別で、それを重光葵は見抜いていた」といった理屈が世界で通用すると本気で考えているのでしょうか。

学者たちが本来研究すべきテーマは「謙虚を美徳とする日本で、なぜ日本人は臆面もなく日本びいきの見解をしたがるのか」ではないでしょうか。