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カンボジアPKOの最大の失敗

前回までの記事に書いたように、カンボジアPKO文民警察派遣は、失敗だらけでした。これは日本人文民警察官に限らず、どこの国の文民警察官も、まともに活躍できていません。目の前で殺人事件が起きても、文民警察官は見ているだけ、という体たらくで、治安維持など全くできていませんでした。

なぜ3500名もの文民警察官が、現行犯の殺人事件でも傍観者になったかといえば、当初は逮捕権も明確になかったからです。だから、UNTACの明石代表が文民警察官に逮捕・抑留権、事件捜査権を正式に持たせました。しかし、日本政府は「逮捕権の行使にかかわることはPKO協力法案に反する」と日本人文民警察官に逮捕権の行使を認めませんでした。なぜ日本の文民警察官がカンボジアで国連の権限で逮捕権を行使することが、PKO協力法案に「あきらかな違反」なのか、私にはよく分かりません。日本人文民警察官は結局、カンボジアで逮捕権を行使することがなかったせいか、明石による文民警察官の逮捕権行使の許可が治安維持にどの程度有効だったかについては「告白」(旗手啓介著、講談社)で一切触れられていません。

そういったことも含めて、カンボジアPKOの最大の失敗は、検証不足です。

なぜカンボジアPKOの警察派遣は失敗したのか」で、その原因は事前準備不足と書きました。ほとんどの警察官はカンボジアPKOの基礎知識を持っておらず、隊長の山崎からして「カンボジアの平和構築が最大の目標」という認識が薄かったのです。

それくらい、日本は外交音痴だったということでしょう。とはいえ、日本政府がPKOに参加することは始めてで、紛争地での警察活動のイメージも全くなかったので、仕方なかったのかもしれません。

だからこそ、事後検証して、次回に活かすべきでした。次回のPKOでは、事前研修を十分にして、現地の状況やPKOの基礎知識を教えて、最大の目標を全員で共有して、参加するべきでした。それだけでなく、PKO文民警察のシステムについても改善点を要求すべきでした。

しかし、カンボジアPKOで、組織として検証し、公表されているものは、なんと日本に一つもありません。スウェーデンでもオランダでも、カンボジアPKOに関する一定の検証がなされ、当たり前のように報告書が公表されています。スウェーデンは238ページ、オランダでは300ページです。

スウェーデンの報告書によると、「文民警察官の役割が不明確」「カンボジアの構造的な国家機能の空白状態」「UNTACの事前の計画や準備不足」が理由で、文民警察官派遣はおおむね失敗だったと総括しています。

「告白」が放送された2016年、イギリスがイラク戦争参戦に関する検証報告書を公表しています。7年かけて15万点の機密文書を含む政府文書を分析し、政治家や軍人や外交官ら150人を聴取して作成した報告書は6000ページに及びます。そこでは「大量破壊兵器保有しているという欠陥のある情報と評価に基づいてイラク政策は作られた」「イラク武装解除の平和的方策を尽くす前に侵攻に参加した」と厳しく指摘しているそうです。

同じくイラク自衛隊を派遣した日本の外務省の報告書は、なんと4ページです。「大量兵器がなかった事実は厳粛に受け止める」という内容だけです。「そのまま公開した場合には各国との信頼関係を損なう恐れがあるから」という理由で、ほとんど公表されなかったのです。上記のイギリスのイラク報告書が出された2016年、日本政府としてイラク戦争についての再検証は行わないのか、と聞かれた安倍政権は「当時の日本政府の判断は、今日振り返っても妥当性を失うものではない」と言って、再検証を行わないことを決めてしまいます。

このブログで何度も嘆いていることですが、日本は検証を行わない国です。だから、外交でいつも敗者になっています。

カンボジアPKO文民警察派遣は失敗でした。だからこそ、検証して、次は成功するように考えるべきでした。しかし、「失敗したから、(警察官の海外派遣は)もうやめよう」になってしまいました。失敗したことはあれこれ考えたくないのかもしれませんが、そうしてしまうと、失敗は完全に無駄になります。たとえ、警察官の海外派遣をやめるべきとの結論になったとしても、検証は不可欠です。ろくに検証せずに失敗の一言で終わらせてしまっては、なんの教訓も得られません。実際、私のような一介の民間人が「告白」を読んだだけでも、これくらいの教訓は書けます。

私よりも遥かに知性に優れる官僚たちが、「告白」よりも遥かに多くの正しい情報を得られるのなら、この一連の記事より遥かに質の高い教訓を導いて、今後の日本の外交に活かせた、あるいは活かせるはずです。