いじめがマスコミに注目されたのは、1986年の「葬式ごっこ事件」が最初になるでしょう。wikipediaにもある通り、担任教師が、後に自殺する少年の葬式ごっこの寄せ書きを添えていて、自殺後、その行為を生徒たちに口止めするように言っている上、聞き取り調査で自殺した生徒に原因があるかのような発言までしています。精神的ないじめでなく、自殺した生徒に日常的に暴行を犯していた者は複数いて、その容疑で16名が書類送検されたものの、そのうち処分が下された者はたった2名です。しかもその2名も少年院に入ってすらおらず、保護観察されただけです。この事件は今から判定すればいじめ以外のなにものでもないのですが、裁判では最後までいじめと判定されませんでした。こちらのHPにいじめの実情が書かれていますが、それを読んで、まだ加害者の処分や裁判の判決が妥当だと思う人がいたら、その人は人間と絶対に認めるべきではありません。
マスコミがいじめ事件に注目したのは1986年からですが、それ以前より同様のいじめ自殺は全国で多発していました。この事件だけが注目された理由は不明ながら、その前年の1985年に文部省が始めて、いじめ調査したことは多かれ少なかれ影響しているでしょう。当時の1986年、文部省の定めたいじめの定義は次のようになります。
①自分より弱い者に対して一方的に、②身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、③相手が深刻な苦痛を感じているものであって、『学校としてその事実(関係児童生徒、いじめの内容等)を確認しているもの』。なお、起こった場所は学校の内外を問わないものとする。
『学校としてその事実を確認しているもの』はなんの目的で挿入したのでしょうか。社会道徳的に考えれば不要であることは明確です。学校としてその事実を確認していなければいじめにならない、事件にならない、とすれば、当然、いじめの事実を学校として積極的に確認しようとするわけがありません。いじめの事実を確認して学校側がなんの得もないこと、だから学校側がいじめ事件を隠蔽しようとすることを、この条項を定めた「専門家たち」は想像できなかったようです。
国家として文部省がいじめ問題に取り組んだことで、いじめ認知件数は1986年から1993年まで着実に減少していきました(文科省資料参照)……という幻想を文部省官僚は当時本気で信じていたのでしょうか。この時代はバブル絶頂期であり、いじめ問題は最低最悪の状況だったと私は確信しています。東京でコンクリート詰め殺人事件、愛知県で大高緑地公園アベック殺人事件が起こった時代です。日本の少年犯罪史上、これより非道な犯罪を知っている人がいますか? 日本のいじめ問題、少年少女非行問題が最低最悪になっていたのに、文部省は見て見ぬふりをしていたのです。見て見ぬふりをしていたのは当時の文部省だけでなく、当時の中高生、当時の大人、当時の警察たちもそうです。上記の二つの事件は極悪としか言いようのない事件ですが、これは決して例外的な事件ではなく、非道な少年犯罪は当時の日本で蔓延していました。当時の中高生、現在の30代から40代の世代は、それを知らなかった、とは言わせません。この時代、極悪非道な少年犯罪が日常茶飯事だった事実を「いじめ事件、非行事件の被害者を今からでも救うべきである」の記事で指摘します。