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三菱銀行人質事件の犯人はどうして現れたのか

1979年に起きた三菱銀行人質事件は、その残虐性において、日本の人質犯罪史上最悪でしょう。猟銃で脅しながら、人質銀行員に同僚の耳をナイフで削ぎ落させ、女子行員を裸にして並ばせ、肉の盾にしています。犯人の梅川は42時間もの長時間、一睡もせず銀行内に立てこもり、40名近い人質たちを恐怖で支配していました。

この記事で取り上げる本は「破滅」(毎日新聞社会部編、幻冬舎アウトロー文庫)です。特に、この残酷な犯罪者の梅川昭美がなぜ現れたかに注目します。

梅川昭美は広島県大竹市に1948年に生まれます。梅川の父は「鄙にはまれなダンディな男」だったらしく、外面ばかりいい浪費家でした。椎間板ヘルニア大竹市の工場で仕事ができなくなると、実家の香川県引田町に戻り、八の字のヒゲをはやして、易者をしていました。しかし、収入は十分でなく、あちこちで借金しては、弟がその借金を返していたそうです。

こんな男と結婚した女が梅川の母です。外見以外に長所がないので、外見に惹かれたのでしょう。バカな男に惚れるバカな女です。母の生い立ちについて、本では詳しく書かれていません。戦争で亡くしたのかも不明ですが、母に親兄弟はおらず、小学校3年生くらいまでしか行っていないため、読み書きがやっとできる程度だったそうです。

この母も夫(梅川の父)が亡くなってからは、当然、生活が苦しくなっています。それに同情して、家主が「電気代、水道代は3千円でよろしい」と言ってあげているのに、母はどうしても5千円を出していたそうです。この行為を「貧しいからといって他人に迷惑をかけるのはいけないと考える責任感の強い母」と本で賞賛することはありません。電話代のたびに千円札を出していた梅川本人のように「見栄を張っていた」と批判的に記述します。本質を突いた指摘だと思います。

この母および父の養育方法に、日本史上な稀な凶悪犯罪を産んだ最大の原因があると私は考えています。梅川は外見に非常に気を配る見栄っ張りで、銀行襲撃前に美容院に行って、パーマをかけています。同様に、梅川の銀行人質事件が起きた後、人質解放説得のために母が呼ばれるのですが、母は「郵便局で貯金をおろしてくる」と言った後、2時間も戻ってこなかったので、「逃げたのか」と周囲の者が心配している中、「美容院に行ってきた」と現れました。乱れた髪を長時間かけてセットしてきた母の冷静さに、周囲の者は唖然とします。「銀行で人質事件をしている最中の息子をたしなめに現場に急ぐ母親像」とは大きくかけ離れています。

この母は梅川を徹底して甘やかして育ててしまいます。「家でふとんかぶって寝とれば治るような病気」でも、母はすぐ近くの診療所に何度も連れてきていたそうです。診療所の医師は「ネコ可愛がりはよくないぞ。少しは放っておきなさい」と母に忠告したと本にあります。

梅川が小学校に入った頃から、父は病気のため休職し、2年後に退職します。その後、母が炊事婦になりながら、生計を立てます。梅川の父の浮気が原因なのか、夫婦仲は悪くなり、梅川が小学校5年生の時、父が香川県引田町の実家に梅川本人を連れて帰ります。しかし、梅川は半年間で母のいる広島県大竹市に一人で戻ってきます。

「子どもが悪戯をしても怒るでもなく、はた目には甘やかしすぎと思えるほどだった」と当時、梅川と母の住む家の管理人は証言しています。本ではここでも「優しい母」という賞賛よりも、この批判を強調しています。

梅川はそんなにかわいがってくれた母に暴力をふるうようになります、あるいは、甘やかしていた母なので当然見下すようになり、暴力をふるいます。小学校の頃はまだ口答えする程度でしたが、中学に入ってから、小遣いはもとよりテレビ、バイクなどを次々とせがみます。要求が受け入れられないと、母を引きずり回し、ときには刃物を突き付け、首を絞めたりします。なお、女性の髪を引っ張って引きずる虐待は、この後、梅川が自身の恋人や銀行強盗事件の人質にも行っています。梅川は学生の頃、喫煙、暴力行為などで地元警察に複数回補導もされています。

本では、「梅川は特別目立つ不良少年ではなかった」とも書いています。梅川はベビーブーマーの一人で、当時、日本中の学校でスシ詰め教育が行われていました。その弊害として不良少年は全国各地で増大し、大竹市でも最大の社会問題となっており、少年たちの集団乱闘事件や卒業時の集団暴行は頻発化していました(と本では書いていますが、先生でも手がつけられなくなった最悪の時代はもっと後、1980年頃からだと私は考えます)。梅川も日本全国にいる不良少年の一人で、梅川と同じような境遇、経歴の人間は珍しくなかった、と本では指摘しています。

この見解に、私は同意しません。確かに、全ての不良少年が殺人事件を犯すわけではありません。しかし、梅川がここで不良少年になっていなければ、悪に憧れを抱く道徳的に間違った観念を持っていなければ、絶対に三菱銀行人質事件を起こしていません。梅川の最大の失敗は、子どもの頃の教育にあると私は確信します。そして、間違った道徳観を持った梅川を育ててきた最大の責任は母と父にあります。ただし、母に同情の余地がないわけではありません。親兄弟もいない環境で、母は教育もろくに受けていません。男を見る目もなく、くだらない男と結婚しています。このようなバカな女はどうしても社会に生まれてきてしまうものでしょう。だから、こんな母や父が、間違った道徳観の子を育てないような社会保障が必要だと考えます。それが家庭外で教育を担当する先生の役目なのかもしれませんが、少子化の現代でさえ、学校の先生がそこまで幅広く担当するのは無理です。だから、家庭支援相談員のような制度は必要だと私は確信しています。

話を戻します。梅川は広島工大附属高校に進学しましたが、2学期の途中で自主退学します。夏休み中、合わせて3台のオートバイを盗んで、その後、預金通帳を盗んでいます。子どものために、梅川の両親はヨリを戻し、その年の10月に父のいる香川県引田町に母と梅川が暮らすことになりますが、梅川だけはわずか2,3日で家を飛び出し、広島県大竹市に戻ってきます。梅川は住む家もないので、高校時代の不良仲間に身を寄せ、遊ぶ金に困ると、父母のもとに帰って、1万、2万と金をせびっては、また大竹市に現れるという生活ぶりでした。

12月、梅川はついに強盗殺人事件を起こします。ただ単に金ほしさに、「盗むのが難しいときは脅してでも取る。脅して抵抗されたから殺した」と梅川は平然と語り、被害者や遺族への謝罪は一切なかったので、梅川の将来を二人の刑事は暗い気持ちで思い描いたそうです。警察署の玄関で「犯人を出せ」と怒り叫ぶ遺族の声が取調べ室へも筒抜けになると、梅川は突然表情を険しくして、「呼んでこい!」と荒々しく立ち上がったそうです。

この23才女性を殺した強盗事件時、梅川は15才9ヶ月半です。当時、16才未満であれば刑事処分を課すことはできませんでした。重ければ死刑に該当する殺人の償いが、1年余りの少年院生活で清算されることになります。

この事件を審理した裁判官は「少年は犯行後も人間良心の呵責を受けておらず、罪の意識も皆無に近く、被害者遺族の心情に思いをいたし、社会的影響を考慮し、かつ少年の凶悪犯罪増加の傾向を考える時、本少年については、これを刑事処分に付するのが相当と思料されるところ、年齢上その処分を取り得ないので、中等少年院送致とした」と異例の所見を書き加えています。三菱銀行人質事件後、梅川の15才時の強盗殺人事件も報道され、「なぜそんな人を、わずか1年余りで社会に出した」「生命を奪った罪を1年余りで清算させたりするから、人命を繰り返し軽視する」との批判が沸き上がりました。

確かに、15才であろうと梅川は刑事裁判を受けるべきだった、との意見に私は反対しません。しかし、梅川に刑事裁判さえ受けさせていればよかったとの意見には反対します。それで三菱銀行人質事件は防げたのかもしれませんが、梅川が15才で起こした強盗殺人事件は防げないことになります。「梅川がいなくても、いずれ誰かが梅川の代わりに女性を強盗目的に殺していた」わけがありません。梅川が間違った道徳観さえ持っていなければ、一人の女性の命が救われていました。また、刑事裁判を受けたからといって、梅川が出所後、同じような凶悪犯罪をしないとは限りません。事実、広島家裁技官の精神科医の久保摂二は「少年の病質的人格は根深く形成され、容易に矯正し得ない段階にきている」と報告しています。

誰でも知っていることですが、成長後に欠点を矯正するのは難しいです。不可能の場合も少なくありません。だから、最初から欠点がないように教育すべきです。医学的な言葉を使うなら、この時点で非社会的パーソナリティ障害(あるいはモラル・ハラスメンター)になっています。「梅川がどうしてあんな凶悪事件を起こしたか?」の答えは、第一に「梅川が小さい頃の父母の教育がよくなかったから」とする私の考えは変わりません。「ベビーブームの頃は、子育てにかけられる労力が限られていたから、不良少年、不良少女が蔓延してしまうのは仕方がない」という意見に私は全く同意しません。子育ての余裕がなかったとしても、あるいは、仕事やその他のことを犠牲にしてでも、親は子どもを甘やかさず、最低限の道徳観は身に着けさせるべきです。もしどうしても親にそれができなかったのなら、社会全体で担うべきです。子どもが手遅れになる前に。

次の記事に続きます。