「精神疾患も、自殺未遂も、生活保護も、みんな自己責任ですか? わたしはなにも悪くない」
ある本の帯に書いてあった言葉です。これはひどい考え方の代表として、医療従事者の私が後輩によく紹介します。上の文章の「なにも悪くない」の「なにも」がなければ問題ありませんが、この「なにも」があるために絶対悪の文になってしまっています。感情が昂ったときに思わず口から出た言葉なら構いませんが、文章として言葉に残すと100%道徳的に間違っている文になります。
どんな重い精神疾患のあっても、学習能力がないと証明された人間は現在まで一人もいません。万一、学習能力がないと証明された社会に害をもたらすだけの人物なら、その人は刑務所などの隔離施設などで一生過ごしてもらうしかないでしょう。
「ルポ消えた子どもたち」(NHKスペシャル「消えた子どもたち」取材班著、NHK出版新書)は、義務教育年齢にもかかわらず学校にも行かずに家で隠されて過ごしていた子どもたちが日本に1000名以上いる実態を紹介しています。
「車の後部座席でミイラ化していた男の子」
「ケージに入れられていたため、両足の発達が未熟」
「社会との家庭内監禁状態。社会常識が全く身についておらず、雨が降ったら傘をさすことを知らなかった」
「ネコの糞やおむつなどのゴミが大人の腰の高さまで積み重なった隙間で幼児が眠っていた」
「ゴミ屋敷で生活。笑顔はなく顔の表情筋が衰えている。服を着たことも、外へ出たこともない。泣くこともない」
「親の知人宅に放置され、衣服も汚れて臭かった。便座を机代わりに勉強していた」
これらは児童相談所や児童養護施設から送られてきた情報ですが、これまで報道は一切されていません。
興味深い本なのですが、本にも詳しく書いている通り、施設や本人の取材拒否の壁は高く、実際に取材して報道できた人はそのうち数人です。
本での主人公は2015年に福岡市で18年間軟禁され、学校には一切行っていなかった当時18才のナミ(仮名)で、これは当時から大きく報道された例外ケースです。発見時、身長120㎝、体重22㎏で、周囲の大人はみな小学生低学年だと勘違いしました。保護後の健康的な食事生活で、身長は150㎝ほどまで伸びたそうです。
ナミは確かに被害者の側面が極めて大きいと私も考えます。しかし、2人目として紹介されたマオ(仮名)は被害者の側面はそう大きくないでしょう。なにより、NHKの報道の仕方に問題があるとしか思えません。
マオは母の精神疾患のために、学校に行けなくなった、とあります。母は夫婦関係の悪化からマオが10才の時にうつ病になったらしく、離婚後、母子家庭となり、さらにうつ病は悪化します。母は朝、だんだん起きられなくなり、代わりにマオが家事をして、マオが中学生になると、まるで母と娘の関係が逆転したかのようにマオが母に頼られます。ついには、母に「家に一人でいるのは不安なのでずっと一緒にいてほしい」と頼まれるようになったそうです。
本には、そう書いていますが、母への取材はできていないので、本当にあった言葉かどうか不明です。かりに本当だとしても、感情から出た言葉で、母も本気ではなかったと思います。
実際、マオはその後も中学に行っていました。そして、マオが学校にいる間に、母が手首を切り、救急車が駆けつける騒ぎになりました。
「その日からは、自分の学校よりも、母の面倒を見ることを優先せざるを得なくなりました」と断定調で本には書かれてしまっています。
これは明らかに道徳的に間違った対応です。私は医療関係者なのでよく分かりますが、たかがリストカットで救急車を呼ぶ人など少数派です。たいていは、歩いて救急外来にかかります。理論的に救急外来にいる時点で、自殺の本気度はそれほど高くありません。日本に約3000ある二次救急病院には、どこもリストカットや大量服薬の常連患者がいます。そのほとんどは、まともに入院もさせず、見守りの元、帰宅させるのが普通です。深刻度の高い例外患者を除けば、この程度で入院させていれば、世界一病床密度の高い日本の病院でもベッドが足りなくなります。というより、多くの医療職は、リスカ(リストカット)やOD(大量服薬)の常連患者に呆れており、対応したくないため、入院させていません。
まして、そんな人のために、義務教育を放棄するなど、あってはいけないことは日本人なら知っていますし、知らなければなりません。「学校よりも母を優先せざるを得なくなった」わけがありません。本には最低限すべき母の取材さえしていませんが、私なら母に取材して「娘に学校に行ってほしかったと思いませんか?」と聞いています。たとえうつ病の母であっても「はい」と答える確率は高いでしょう。
取材時は既にマオが母から逃れて5年がたっていますが、いまだ、マオは母を恨んでいないそうです。つまりは、共依存の関係から脱していないようです。もっといけないのは、「学校より母を優先したのは間違いだった」と本人が認識していないことです。「どんな状況にあっても、母は母なのだ。たとえどんな嫌な目にあっても母をぞんざいに扱うことはできなかったそうだ。そこには、家族にしか分からない特別な想いがあるのだろう」と書いていることです。この理屈なら、このマオの事件は、悲劇でもなんでもなくなります。税金使って施設に入れる必要もなく、社会が助けず、報道もせず、自己責任として放置しておけばいいでしょう。
18才まで家に軟禁されていたナミについての記述でも、ナミの自己責任が完全に無視されていることが気になります。たとえば、学校の先生は何度かナミの自宅に訪ねており、そのたびに、母はナミを押入れに隠していました。この時、「もう一歩踏み込んで、ふすまを開けてくれさえすればナミさんは発見されていたのだ」と書いています。しかし、生徒宅の押入れのふすまを勝手に開けるなど、警察でも令状がなければできません。むしろ、それをすべきだったのはナミでしょう。もちろん、心理的には先生以上にナミはできなかったでしょうが、法律的にはできないことを先生に要求しているのですから、今後、ナミのような被害者を防ぐために、ナミが物理的にはできることも記述すべきだったと思います。
実際のところ、先生が押入れを開けたとしても、肝心のナミに逃げる意思がなければ、母がなんだかんだでごまかしていたに違いありません。ナミが軟禁から抜け出すためには、ナミが18才で保護された時のように、ナミ自身が意思を決して、助けを求める他なかったでしょう。
NHKの社会観の質が低いと思うのは、解決策にも現れています。なんと「無関心から一歩踏み出せばいい」「気になる子がいれば声をかけてあげればいい」という程度です。その程度で解決するほど軽い問題でないことすら、NHKは理解できないようです。先生が押入れを開けた程度で解決するほどナミの問題が軽くないこともNHKは理解できないようですから。
私が考える解決策は、繰り返しになりますが、「家庭支援相談員」の創設です。家庭支援相談員が日本の全家庭の一人ひとりに入っていけば、義務教育の放棄問題など一発で解決します。課題先進国の日本であるからこそ、現在過剰な高齢者福祉の費用を大幅に削ってでも、実現すべきと考えます。