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男性の性欲

教誨師」(堀川恵子著、講談社)は男性の性欲を肯定的にとりあげています。

健康的な男性は全員、性依存症とも呼べるほど性欲が強い、と私は考えています。少なくとも私自身は性依存症と診断されても仕方ないほど、性欲が強いです。もしこの性欲がなければ、あるいは適度であれば、私がもっと楽に生きられたことは間違いありません。

後に50年以上も教誨師を務めることになる渡邉は大学時代、他の多くの浄土真宗の寺のバカ息子同様、京都の龍谷大学に進学しています。龍谷大学の最初の授業で、バカな先生がバカな生徒たちに次のようなことを言ったそうです。

「諸君! 大切なことを教える。京都で下宿の娘たちが狙っているのは、第三高等学校の生徒とお前たちだ!」

第三高等学校の生徒の多くは東大や京大に進学していき、龍谷大学の生徒たちはお寺に就職することがほぼ決まっています。要はどちらも結婚すれば金持ちになれるため、女郎が寄ってくるので気をつけろ、と言っているのです。

事実、置屋(簡易売春所)のおばさんが渡邉を寺の息子と知っていて、「学生さーん、風呂に入っていきませんか?」と客引きしてきます。「一番風呂なら入ってやろう」と渡邉は売春宿に入っていき、一銭も払わず性行為をしたそうです。

50年以上前の話とはいえ、売春防止法違反の犯罪行為を著者の女性相手に自慢しているわけです。渡邉の説教を真面目に聞いていた囚人たちが不憫で仕方ありません。同時に、そんな女郎にすら相手にされなかった当時の京都の若い貧乏な男たちがかわいそうで仕方ありません。こんな自慢話をするような奴なら、渡邉は教誨師になるべきではありませんし、宗教家にもなるべきではありませんでした。

渡邉は女郎屋に入り浸っていたようで、若い頃は教誨師など全く興味がなく、女郎たちを救う施設を作ることが最大の目標でした。

本では、木内三郎(仮名)という強姦殺人犯が出てきます。木内は子どもの頃から気弱でいじめられっ子で成績最低で、中学校に入ってもひらがなも読めなかったそうです。木内は中学校卒業後、土木の仕事に就き、人一番真面目に働きました。読み書きができないため、報告書などの書類作成は恥ずかしそうに仲間に頼み、その見返りとして現場の仕事を徹夜でやらされたりしていました。

一方、職場の先輩の勧めで酒を飲むようになり、酔っぱらうと日頃の鬱憤を晴らすかのような乱暴者に豹変しました。仕事仲間と訪れた飲み屋ではグラスをバリバリかじって食べてしまうほど悪酔いし、ラウンジの隣の空き部屋で店の女を襲ったりしました。女たちはいつも、最後は騒ぐのをやめて体を許してくれていました。その分、彼女らは黙って木内の飲み代からふんだくっていたからです。

このカラクリを理解していない木内は単純にも、女とは最初は嫌がる素振りを見せても、最後はやらせてくれるものだと思い込んだそうです。

そのうち高い飲み代を払うのがバカらしくなり、通りすがりの女性を襲ってしまいます。二人目の被害者までは、女性が恐怖のあまり静かに従ったため騒ぎにならずに済みます。しかし、三人目の女性は騒いだため、木内はびっくりして慌ててしまい、絞め殺してしまいます。

地元紙で連日のように報道され、ことの重大さに恐れおののいた木内は農薬を飲んで自殺をはかりますが、失敗します。気を失っているところを発見され、事情を聞かれるうちに自供して、逮捕となります。

凶悪犯たちの監獄でも、強姦犯罪者は他の囚人たちから軽蔑され、特に身体が大きいわりに気弱な木内は、なにかにつけてバカにされていました。そんな木内をかばってあげていたのが、これまでの記事に出てきた山本や竹内です。

そんな木内に教誨師の渡邉はひらがなを教えました。当初、渡邉は木内の文字練習の上達をさほど期待せず、なにか目標を持たせるだけでも十分と考えていました。ところが、半年もすると、木内はひらがなをほぼマスターし、カタカナの練習を始め、そのうちに自分の思いが伝わる手紙も書けるようになります。

しかし、木内の幼稚さは治らなかったようで、「先生、セックスがしたくてたまらないよう!」と木内は教誨室で駄々をこねて叫びます。強姦殺人犯の発言として許されるものではないでしょうが、渡邉は「そんなこと言うな」などと叱っては絶対にいけないと著者に言ったそうです。性欲は人間の欲望の中でも最も大切なもののひとつで、そもそも否定すべき事柄でないからだ、と本には書いてあります。渡邉の言う通りなら、全ての女性に相手にされない貧乏な男性が強姦しても、罪に問えなくなってしまいます。あるいは、若い頃は売春婦を救う施設を作りたかった渡邉は、恵まれない男性のために買春給付金を交付すべきと考えていたのでしょうか。

木内が文字を習いはじめた時に作成すると誓った被害者遺族への詫び状は、最後まで書けませんでした。世の中には立派な難しい言葉がたくさんあるのに、自分の気持ちのぴったりあう言葉が見つからなかったそうです。しかし、木内が再び社会に出たならば、二度と同じような罪は犯さず、真面目に生きたと思う、と渡邉は語っています。

木内はせめてもの償いにと大学病院に献体する誓約書を作り、その通りに、死刑執行直後に木内の遺体は大学医学部の者に運ばれています。