未来社会の道しるべ

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愛情と友情を比べないでもらえないでしょうか

バンクーバーで留学中のことだ。会話相手は私と同じく語学留学に来ている日本人女性である。私の移動時間の節約術に相手が感心したので、さらに時間効率について語った。

私「僕がルームシェアよりもホームステイを選択しているのは、食料を買う時間と食事を作る時間の節約です。これだけで少なく見積もって、1日1時間は英語の勉強時間を増やせますよ」

相手「確かに。みんな自由な時間を持ちたいとか言って、ルームシェアしていますけど、結局、自由な時間が減っていますよね」

私「そうですよ、ホントですよ」

いい調子だったので、ここで挑戦してみることにした。

私「ぜひどこかで食事でもしながら、これまでの留学体験などについてお話して、お互いの知識を広げませんか?」

相手の表情が一変して、急に見下したようにこう言った。

相手「ハハハ! その時間は無駄じゃないんですかあ?」

 

「友情と愛情のどっちが大事?」

私の人生で、この質問は女性以外から聞いたことがない。男にとっては、比べるまでもないからだ。私も彼女になる可能性のある女性との約束なら、よほど大切な友だちの約束よりも優先する。結婚したい女性となれば、生涯で最も大切な友人が瀕死の重体だろうが、なんの躊躇もなく女性と会うことを優先する。当然、もし私が瀕死の重体であったとして、大切な友人が私より彼女と会う約束を優先したとしても、私は一片の不満も持たない。

 

上記のバンクーバーで会った女性とはメアドの交換もできずに終わった。私が相手の言葉に怒って、その女性との会話を中断したから、メアドが交換できなかったのではない。なんとかその女性の気を引こうと必死で頑張ったが、うまくいかなかったのである。上のような(私にとって)極めて失礼な言葉を浴びせられても、私は全身全霊で怒りの感情を隠そうとしていた。その程度で怒っていては、とてもではないが、私に女性と交際できるチャンスなど巡ってこない。自分の努力の限界まで、プライドを捨てていたのである。それくらい、私の恋愛の優先順位は高かった。私の高すぎるプライドよりも、もっと高かった。

 

(女性はどうして結婚への優先順位がここまで低いのだろう?)

口では「結婚したい」と言っているのに、私が会ったほぼ全ての女性の結婚願望は、私の結婚願望の太陽のような大きさと比べると、米粒ほど小さいとしか思えなかった。もちろん、女性だから男性への警戒心を持っているだろうし、私と結婚したいと思う奇特な女性などいなかったこともあるだろう。それにしても、それを十二分に考慮したとしても、本当に結婚したいと思っているなら、そこまで簡単に私を振っていいのか、と思わずにはいられなかった。

 

「好みのタイプは?」と質問されたら、「相手に求めるよりも、相手の長所を見つけられる人になりたいです」と20才頃から結婚するまで私は答えていた。答えるだけでなく、本気でそう思っていた。私も子どもの頃は「髪の長い女性が好き」「優しい人が好き」「趣味が合う人が好き」などと言っていた。しかし、外見よりも内面が重要であるし、優しいの定義は自分の中でも曖昧であるし、趣味が合わなくても素敵だと思う女性はいくらでもいることに、20才になる頃には気づいていた。「好きなタイプ」の範囲に入らなくても、実際に自分が好きになる女性はいくらでもいる。自分が次に好きになる女性は、自分でも予想がつかない。周りの人を見ていても、さすがに30才になる頃には、男女ともに「好きなタイプは?」と聞かれて、上のような幼稚な返答をする人は、浅はかな人生を送っている奴だけだった。

「相手に求めるよりも、相手の長所を見つけたい」と私が本気で思っていた証拠に、私は女性に振られたことはあっても、振ったことはない。「この女と共同生活していくなんて無理だ」「本当にどうしようもない女だな」と思ってしまう相手だって、私から振ったことはない。1回か2回会っただけで相手の内面まで分かるわけがない、と私が知っていたからだ。次に会った時に、その女性の素晴らしい魅力に私が気づくかもしれない、と常に考えていたから、あるいは、考えようとしていたからだ。「可能性が低いなら、最初から断った方が親切」という考え方もあるが、私は基本的に同意できない。

とはいえ、正直に言えば、私も人生でたった1回だが、女性を振ったことがある。結婚の直前である。私より5才も年上の女性だった。私が出会ったときには、彼女は出産が難しい年齢だった。

「出産できること」が私の結婚の大前提条件である。これだけは譲れないほどの条件である。それでも、結婚を前提に、彼女と交際した。私自身が彼女と結婚したいと思って、交際していた。

どういうことか?

一つは、彼女は出産が難しい年齢であったが、出産が不可能な年齢ではなかったからだ。

しかし、それよりも遥かに重要な点は、「たとえ子どもがいなくても、彼女となら一生一緒に暮らしたい」と私が考えを変える可能性がゼロではなかったことだ。つまり、10年間以上死守してきた「子どもがほしい」という私の大事な願いであったとしても、女性のためなら、愛情のためなら、捨てることもある、と私は考えていた。それくらい、愛情の優先順位は高かった。

友だちよりも、家族よりも、仕事よりも、もちろん金よりも、自分の信念よりも、この世のありとあらゆるものよりも、女性もしくは結婚の優先順位は、私の中で高かった。

「そこまで高いと異常だ。そんなに結婚願望が強いから、返って引かれて、なかなか結婚できなかったんじゃないのか」

そう思われるに違いない。そんなことは私も十分承知していた。結婚願望の高さで女性に嫌われたら本末転倒なので、現実には女性との予定を優先しすぎることのないよう気をつけていた。それでも、あまりに高いので、その高さを見透かされて、女性に引かれていたことはあっただろう、とは私も思う。

 

「私よりそっち(仕事)を優先してください」

女性からこう言われて、私がショックを受けたことは10回以上はあるように思う。私の中で仕事と恋愛の優先順位など、天と地の差がある。仕事と家庭の重要度分配でいえば、「仕事0で家庭10だ」と結婚前から言っていた。やたらと倫理を重視しているわりに、医療職はもともと私が希望して就いた職業ではないので、今でも「仕事0で家庭10」の考えは変わっていない。

 

私と同じような恋愛観の人は、男性であれ、女性であれ、一体、世の中にどれくらいいるのだろう。結婚前に書きたかった内容だが、結婚後になってしまった。結婚後になっても、全くまとまりがないが、とりあえず、載せておく。