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一人一票の多数決が間違いを導く代表例がインドにあった

「コルニーロフの反乱がなかったら、現在の世界はどうなっていたのでしょうか?」

21世紀に世界の中心に出現した国はなぜ共産主義なのか」に書いたように、「(くだらない)コルニーロフの反乱がなければボルシェビキ革命(10月革命)は存在しなかった」という説は、当時のロシアの最高権力者のケレンスキーを始め、多くの人から主張されています。ロシアに共産主義政権が誕生しなかったら、必然的にスターリンの独裁も存在せず、当然、中国も共産主義国家にならず、冷戦も存在しなかった可能性があります。

1917年のロシア革命がなければ、「現在は全く違って世界になっている」ことは誰でも分かりますが、その場合の現世界がどんな形であるかは想像するのも難しいでしょう。1940年代から中国が資本主義国として発展していれば、日本の製造業は遅くとも1970年代くらいには中国の製造業に駆逐され、場合によっては、20世紀以降半に日本は高度経済成長もなく、21世紀には自動車産業すら維持できていなかった可能性も十分あるでしょう。中国が非効率な計画経済(社会主義経済)をしていてくれたからこそ、日本は1960年代に高度経済成長を達成できて、1990年前後に絶頂期を迎えられたとも言えます。

同様なことはインドにも言えます。インドは民主主義国家ではありますが、独立から17年間も首相を務めたネルーが経済では社会主義(計画経済)体制を敷いたため、経済発展が著しく遅れます。ネルー後も、「ネルー・ガンディー王朝」と揶揄されるほど、実質的にネルーの子孫が首相を長く務める時代が続き、計画経済の非効率性から抜け出せない時代が50年以上も続きます。もしネルーが計画経済でなく自由経済を実施していれば(それが可能かどうかはここでは無視します)、現在のインドの爆発的経済発展は50年以上前に達成され、やはり20世紀後半の日本の高度経済成長はなかったかもしれません。

ところで、共産党独裁国家の中国ならともかく、民主選挙のあるインドで、なぜ計画経済が長く実施されていたのでしょうか。「『資本主義と共産主義』あるいは『民主主義と共産主義』が対立しない実例は70年以上前からインドにあった」に書いたように、「民主主義=資本主義(自由経済)」という固定観念を日本人の戦後世代(あるいは現世代の日本人にも)に植えつけるほど、両者は密接に結びついているはずです。なぜ民主主義選挙で、計画経済を選択したのでしょうか。大衆が計画経済を望んだのでしょうか。

この答えは「yes」になります。

計画経済がうまくいかなかったことは、それを始めたネルーやその子孫の首相経験者を含め、多くの指導者が痛感していました。だから、遅くとも1960年代からのインドの首相は全員、経済発展のためには計画経済を止めなければいけないと十分認識していましたが、できなかったのです。大衆が反対したからです。

太古の昔から現在まで、インドの最大多数派は農民です。ほぼ例外なく、どの時代のどの国の計画経済でも、貧しい農民を救うため、莫大な補助金が農民に投じられます。「地域活性の起爆剤が反対の意味で起爆してしまう理由」や「日本の農業は問題も答えも分かっているのに、その答えに進めない状態が30年以上続いています」にも書いたように、農業に限らず、補助金が投じられると、多くの場合、非効率な産業が生き延びてしまいます。その補助金を削除しようとすると、補助金によってなんとか生活できている既得権益者が全力で反対します。だから、補助金のために、産業の近代化、効率化が妨げられていることは百も承知していながらも、インドに限らず、世界中の政治家はなかなか補助金削減に踏み切れません。

日本の例でいえば、農家の補助金を削除できないだけでなく、「魚食文化保存のために乱獲規制世論を盛り上げなければいけない」にも書いたように、人口割合でそれほど多くない農家よりもさらに少ない漁業家のための補助金でさえ削除できないのです。インドで多数派を占める農家の補助金を戦後70年以上も政治家が削除できなかったのは、無理もないかもしれません。

さらに悪いことに、インドでは独立前から「スワデーシー(国産品愛用)」という標語が叫ばれていたため、ありとあらゆる外国製品の輸入を規制し、鉛筆から飛行機まで国産品でまかなってしまい、農業以外の産業まで徹底的に保護しました。結果、大躍進政策文化大革命もなかったのに、インドは中国以上に経済発展を遅らせることになりました。極論すれば、インドの長年の経済政策(計画経済や自国産業保護政策)と既得権益者の抵抗は、大躍進政策文化大革命に匹敵するほど、ひどかったと言えるのかもしれません。

しかし、さすがに大衆も経済発展の遅れに嫌気がさしているのか、21世紀に入ってからのシン首相やモディ首相は非効率な補助金政策を削除し続けていますが、それにより支持をむしろ高めています。

インドといえば、ペティ=クラークの法則(経済社会・産業社会の発展につれて、第一次産業から第二次産業第三次産業へと就業人口の比率および国民所得に占める比率がシフトしていく法則)がほとんど成り立たないことでも有名です。第一次産業から、第二次産業を飛び越えて、いきなり第三次産業の就業人口が増えて、国民所得に占める比率も上昇しています。

その理由は、やはり民主選挙である「一人一票の多数決」(日本も同じ)がうまく機能していないからのようです。「インドが変える世界地図」(広瀬公巳著、文春新書)によると、歴代で最も経済発展を重視する現モディ首相ですら、やはり農民の補助金削除は十分に実施できていないようです。もしそれを十分に実施できていれば、今頃、中国の次にインドが世界の工場になっていたはずなのですが、そうはならずに、IT産業だけが妙に強い、いびつな産業構造になっています。

その失敗が分かっていながらも、農業保護政策は独立から現在のインドにまで連綿と続いており、それが今後のインドにも影響を与えていくようです。具体的に今後どのような影響を与えるかは、インドをよく知らない私には想像できませんが、プラスよりはマイナスが大きいことは間違いないと予想します。

ナチスが民主選挙で多数派になったことは代表例でしょうが、このインドの例のように、一人一票の選挙制度が「大躍進政策」と「文化大革命」に匹敵するほどの「ひどい経済政策」を導くことはあります。この例からも、私の提案する「投票価値試験」などの「一人一票」の原則を曲げる新選挙制度を考慮していいのではないでしょうか。