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「資本主義と共産主義」あるいは「民主主義と共産主義」が対立しない実例は70年以上前からインドにあった

私が生まれる前の話になりますが、「民主主義=資本主義」という考え方が、戦後から1970年代くらいの日本人には強くあったようです。昔の本を読むと、「共産主義VS民主主義」という言葉、あるいは考え方が、特に反共産主義派(資本主義擁護派)から頻出します。

共産主義者は「共産主義も民主主義である」と考えているので、「共産主義と民主主義は対立するものではない!」と激怒すべきだと私は思えるのですが、当の共産主義支持派や社会主義支持派も、激怒せずに、場合によっては共産主義と民主主義は対立するものとして議論に参加していたりします。

私には、これに非常に違和感がありました。

共産主義は民主主義を否定しないはず。共産主義のどの本を読んでも、プロレタリア(共産党)独裁は一時的なもので、共産主義は民主主義によって発展する、あるいは共産主義は民主主義の発展形と言っている。現実には、民主集中制という、独裁を許す制度になっているらしいが、少なくとも建前は民主主義を擁護している。なぜ共産主義と民主主義の対立を認めるのか」

これは私の中で、長年、解けない謎の一つです。

そこまでの謎ではありませんが、「資本主義VS共産主義」あるいは「自由主義VS共産主義」という対立にも、違和感があります。

「資本主義VS共産主義」は対立しません。その代表例が中国です。現在の中国経済は、実質的にほとんど資本主義(自由経済)ですが、政治は一党独裁で、完全に共産主義です。

もう一つの代表例は20世紀後半のインドです。独立後のインドは紛れもない民主主義国家ですが、共産主義経済(計画経済)が主体でした。「民主主義=資本主義」は必ずしも成り立たないのです。あるいは、「必ずしも~ない」という表現が不要なほど、例外が多いのではないでしょうか。

だから、「民主主義VS共産主義」や「資本主義VS共産主義」という対立を前提として論じている者がいたら、「それらは対立しない。インドの例をみろ。共産主義国家ではないが、共産主義経済、つまり計画経済ではないか」と反論する者が全共闘時代にただの一人もいなかったことが本当に謎です。全共闘世代は、中国はよく知っていたものの、インドのことはよく知らなかった、としか思えません。

また、全共闘と対立していた大学の教授たちの中で、「共産主義と民主主義は必ずしも対立しません。インドは民主主義国家ですが、計画経済を採用して、経済発展が遅れていることは知っていますか?」と興奮した左翼学生たちに新しい視点を提供できた者は一人でもいたのでしょうか。

「資本主義VS共産主義」あるいは「民主主義VS共産主義」が対立しないことは、いいかげん、気づきましょう。戦後から1970年頃まで、日本人がこんな答えのない命題を無数の場で熱心に議論していたようですが、実はその時点でも「インドでは両者が対立していなかった」という例外があったことに気づきましょう。そんな議論は「観念論でなく教育内容に注目すべきである」で批判した「基礎学力教育」と「個性尊重教育」のどちらが重要かの議論と同じくらい、当時から無意味であったことを自覚しましょう。