未来社会の道しるべ

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日本はどうやって人口減少・経済縮小社会を迎えるのか

東芝の悲劇」を読んで、私が一番感じていたのは前回の記事で論じた「経営者の資質」などではなく、「日本はこのまま上手く衰退していけるのだろうか」でした。日本企業の「お公家さん」である東芝でさえ、引き際にここまで無様な醜態をさらしました。日本全体が衰退する今後、どのような醜態をさらすのか不安になりました。

第二次大戦はその代表例でしょうが、日本は引き際が苦手です。「人口減少の深刻さ」に書いたように、日本経済はこれから確実に衰退していきます。衰退は不可避だと日本人全員が認識して、どうやって衰退させていくかを議論すべき時にとっくに来ているのですが、「日本経済はこれから縮小していく」「人口減なのだから、地方は切り捨てざるを得ない」という必然の未来すら、ほとんどの日本人はろくに考えていません。政治家もマスコミも学者も見て見ぬふりをしています。中には「資源の少ない日本でサステナブルな社会にするなら、人口は〇千万人くらいでちょうどいい」と、まるで好ましい未来を迎えるかのようなピンボケした意見を言う学者までいます。

1億2千万の社会を半分未満まで縮小することは、日露戦争満州事変や日支事変で死んだ何万、何十万の英霊を無駄にして、1931年~1941年に中国から完全撤兵するほど難しいことを誰も認識していないのでしょうか。1930年代の日本人全員がその50年前、100年前の非文明的な生活を受け入れられたなら、どんな不況だって乗り越えられたでしょうが、現実には誰もそんな道を選びたがりませんでした。あるいは選べませんでした。

このままだと、東芝ウェスティングハウスを高値で買収したような一発逆転を日本が狙って、さらに傷を深めることになるに違いありません。いえ、既に何度も地方再生などと逆転を狙って予算がつぎ込まれ、ほぼ全て失敗しています。

もういいかげん、「都会から50kmも離れた人口5000人未満の村に電気、水道、ガス、交通、教育、医療を全て安価で維持することなどできるわけがない」という事実は公表すべきでしょう。少なくとも、それぞれの集落の各インフラ維持費がいくらかは公表すべきです。