前回の記事までに書いたように、「教誨師」(堀川恵子著、講談社)は批判したいところもありますが、全体としては素晴らしい本でした。一方、「死刑囚の記録」(加賀乙彦著、中公新書)はひどい本でした。特に著者である加賀乙彦の人間観、社会観が拙すぎます。
ここだけで、コイツの読む本は全て価値を失くすと思うほどひどい部分があります。松川勝美という強盗殺人犯についての記述です。松川は典型的な反社会勢力で、身体に大きな刺青と刀傷があり、死刑になる事件の前にも窃盗で2回受刑しており、ちょっとした言いがかりで他人を殴る蹴るのケンカをした、と自慢していました。
加賀は「きみ、率直に聞くけど、死ぬのは怖い?」と松川にたずねます。
「怖いね。おれは人を殺した経験があるから、人が死ぬのは、どんなに痛くて苦しいか知っているからね」
「死ぬのは怖くないと言う死刑囚が多いが……」と加賀がさらに聞きます。
「ウソだよ。みんな見得を切っているだけだよ。怖くないなんて言う奴に決まって、控訴、上告をちゃんとしている。上告後はあらゆる手段で刑の執行をのばそうとする。おれなんか少ない方だが、それでも判決訂正申立、再審請求、抗告申立といろいろしている」
松川は真剣な目付きになって、こう言ったそうです。
「死刑の判決をくだしたら、すぐさま執行すべきなんだよ。それが一番人道的なんだよ。ところが、日本じゃ、死刑確定者をだらだら生かして、ある日、法務大臣の命令で突然処刑するとくる。法務大臣がどんなに偉いか知らねえが、人間じゃないか。たった一人の人間の決定で、ひとりの人間が殺されるのはおかしい。残虐じゃないか。とくによ、殺される者が犯罪のことなんか忘れた頃に、バタンコをやる。まるで理由のない殺人じゃねえか」
メチャクチャな論理です。法務大臣が気まぐれで殺しているわけがなく、裁判で死刑が確定した者だけに、法律にもとづいて死刑を執行しています。死刑を決める裁判なら一人の裁判官で決めることはありえませんし、法律も一人の国会議員が定められるものでもありません。死刑が決まってすぐ執行したら、日本の裁判でしばしば発生する許されざる冤罪事件のやり直しができませんし、犯人が反省する時間を持つことができません。死刑をすぐに実行しないメリットも確実にあります。
しかし、信じられないことですが、松川のこの言葉に、加賀は「日本の死刑制度の最大の矛盾がある」と考えるまで心を揺さぶられます。「当事者からこの大問題をつきつけられた私は答えようがなかった」ほど、加賀は死刑制度についてなにも考えていませんでした。上のような言葉だけで「死刑囚の研究などといって、安易に面接している自分が反省もさせられた」ようです。
松川は自身の犯罪について話す時、事実を自分に有利な内容に変え、高座の噺家が聴衆を見下ろすように得意気に語り、途中で加賀が質問などで話をさえぎると、いかにもいまいましげに口をゆがめるような奴です。
しかし、「精悍さが身内にあふれ」、「見事な刺青」、「落ち着いていて人当たりも暖か」といった外見や性格(話し方や立ち居振る舞い)に加賀は魅了されました。松川によって身体的、精神的暴力を振るわれた人たちのことなど、加賀は想像もしなかったか、できなかったようです。
こんな浅い人間観の奴が日本最難関の東大医学部に入れて、後に作家までなれています。日本の教育制度と文学界は大丈夫でしょうか。