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岩倉外交が不平等条約を改正できなかった理由

岩倉使節団不平等条約改正を達成できなかったのは、その目的意識が薄かったことにあります。留守政府も岩倉使節団不平等条約を改正する意志が強くなかったのです。より正確にいえば、強かった者もいたようですが、改正など不可能と諦めている連中に負けています。

現在から振り返ってみれば、明らかに、この派遣時は不平等条約改正の絶好の機会です。そのことに気づいていた者も政府首脳に間違いなくいました。いたからこそ、当時から現在まで、岩倉使節団の目的といえば不平等条約改正が入っています。しかし、歴史的事実として失敗しています。

その理由は「なぜ岩倉使節団は不平等条約を改正できなかったのか 」でも書きましたが、アメリカに一杯食わされたからです。そして、またもアメリカに騙されたのは、ドイツ公使の説得に流されたからです。また、それと比較すれば小さいですが、まだ理由があります。アメリカに留学していた日本人(岩倉の息子など)が岩倉使節団の人たちに「日本は遅れた国なので、不平等条約改正など時期尚早だ」といった内容を吹き込んだからです。

岩倉具視を筆頭に、この使節団の日本人は国際的にとても通用しない考え方をする者ばかりでした。一方、国際的に通用する考えをする日本人は、本人は無意識かもしれませんが、必要以上に西洋びいきです。厳密にいえば、同じ人物が「国内でしか通用しない考え方」と「国際的で西洋寄りの考え方」を直線で結んで、その間を行き来していたようです。この当時、国際的に通用する理屈を駆使して、日本の利益になる交渉をできる政治家がいなかったのです。国内でのみ通用する政治家が大部分で、一部の国際政治家は西洋を崇拝している状況は、当時だけでなく、現代日本にまで連綿と続いている伝統ではないでしょうか。

なぜ岩倉使節団は不平等条約を改正できなかったのか」で、岩倉外交を弱腰と断定したのは、やはり大久保と伊藤が全権委任状を取りに帰国したことに最大の要因がありますが、他にもフィッシュ国務長官に言うべきことを言っていません。「アメリカの岩倉使節団(宮永孝著、ちくまライブラリー)」によると、フィッシュが「大統領が調印した全ての条約は上院議員の三分の二以上の同意がなければ効力を持ちません」と言っているのに対して、岩倉は「存じております」と返しています。しかし、ここは「それは困ります。条約が効力を持つ絶対的な保証を要求します。せっかく調印した条約が無効になっては、日本国政府首脳が莫大な国費を使ってアメリカまで来た意味がありません。ペリー氏もハリス氏も条約交渉時に、江戸幕府が京都の朝廷の同意を得たい、と言うと、『それなら京都に行って、朝廷と直接交渉するまでだ』と日本式手順を無視して脅したではないですか」と言い返すべきところでしょう。