前回の記事の続きです。
「それでも、日本人は戦争を選んだ」(加藤陽子著、新潮文庫)では、松岡洋右の造語「満蒙は日本の生命線」の「生命線」とは、山県有朋がシュタインから教わった「利益線」と同義である、と断定しています。
「誰もが不要と認めているのに継続している制度を『枢密院』と呼ぶ提案」に書いたように、シュタインは伊藤博文に枢密院を想起させた人物でもあります。このタカ派ドイツ人に、日本の政治と軍事に明治期で最も影響を与えた伊藤と山県がともに感化されてしまったので、「日本が戦争を選んだ」のかもしれません。
「生命線」あるいは「利益線」とはなんでしょうか。これは「主権線」の対になる言葉で、主権線が主権の及ぶ範囲で、利益線は自国の存亡に関わる外国の状態(なぜか範囲とは書いていません)だそうです。
山県もシュタインも、日本の利益線は朝鮮半島と考えていました。しかし、「太平洋戦争と日露戦争の相似」にあるように、日露戦争後、利益線は「満蒙」まで広がってしまいます。さらに書けば、満州帝国を樹立した後、利益線は北支(中国北部)まで広がります。「いつまで利益線を広げる気だ。そこまで守れるわけがない」と考えなかったのが異常です。
ところで、細かい点ですが、なぜ満州だけでなく、内蒙古も含む満蒙となっているか知っているでしょうか。これは1912年の第3回日露協約の秘密条約で日本とロシアが、北京を通る東経116度以東の内蒙古部分を日本の勢力範囲と定めたからのようです。上記の本で私も初めて知りました。
日露戦争後、日本とロシアは急速に仲が良くなり、中国や世界に秘密で、満州をどう分け合うかについての秘密条約を結んでいました。しかし、1917年にロシア革命が起き、ソ連が帝政ロシア時代の秘密条約を暴露し、この秘密条約は無効になったはずでした。しかし、日本、特に陸軍はそう考えず、満蒙には日本の特殊権益があると日本中で喧伝し、世界にも主張してしまいます。
上記の本で画期的なのは、陸軍の首脳部は「日本は将来の戦争のために満蒙が必要」と考えていながら、「中国が満蒙に関する条約を守っていない」と国内外で訴えていた、と断定している点です。「軍人たちの主眼は、対ソ戦に備える基地として満蒙を中国政府の支配下から分離することでした。国際法や条約に守られているはずの日本の権益を中国がないがしろにしているかどうかは、本当のところあまり関係がない(後付けである)」と喝破しています。
それにもかかわらず、1931年7月、満州事変が起こる2ヶ月前の東大生に「満蒙に武力行使すべきか」のアンケートをとると、「すぐに武力行使すべき」が56%、「外交手段を尽くした後に武力行使すべき」が32%と、合計9割ほどが肯定していました。「満州事変の後ならまだ分かりますが、これは前なのです」と著者も驚いています。
「満蒙は日本の生命線」との陸軍のプロパガンダは、満州事変前に東大生までも浸透していたようです。しかし、当然ながら、世界では全く通用しない理屈です。満州事変前に、そこまで日本人が、東大生を含めて、国際的に通用しない理屈を信奉していた、とは私も考えたくありません。
というより、このアンケート結果は、本当に東大生の意思だったのか、と調査結果自体に疑問があります。なぜなら、満州事変発生の2日後の憲兵による調査で「満蒙に武力行使すべきか」に「はい」と答えた東大生がやはり9割と書かれているからです。常識で考えて、満州事変発生後なら、発生前より「はい」は激増すべきです。まして、憲兵による調査なのですから。
「満蒙に武力行使すべきか」もしくは「満蒙は日本の生命線(利益線)か」の答えは、満州事変前であれば、一般大衆はもちろん、東大生であっても、「分からない」が多数派だったはずです。
他にも、この本で疑問を感じている点はあります。その最大のものは、「太平洋戦争と日露戦争の相似」に書いた通り、著者の道徳観の浅さです。まずタイトルの「それでも、日本人は戦争を選んだ」からして、疑問があります。戦後に書かれた本なのですから、「それなのに、日本人は戦争を選んだ」とすべきでしょう。