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日本神話で絶対不可侵の正義は天皇ではなく楠木正成

前回の記事の続きです。

楠木正成忠君神話の矛盾を気にしない日本人」に書いたことは間違いでした。徳川光圀などの日本史をある程度研究した人は、やはり現天皇家と敵対した南朝側の楠木正成を称賛することに矛盾を感じていました。

そもそも天皇家が二つに分かれた南北朝時代は、日本史を記述する上で、やっかいです。どちらを正統にするかで、元号が変わってくるからです。江戸時代に儒学者の林家が公式に作成した歴史書では、南北朝時代について、両朝の元号を併記するなどの工夫をしています。

しかし、水戸学に沿った「大日本史」では元号併記を認めませんでした。なぜなら万世一系であるからこそ天皇家は神聖であり、その天皇が治める日本も神聖という理屈を水戸学は採用しているからです。一系統のはずの天皇家が二つに分かれた事実は、都合が悪いのです。

それを解決するために編み出したのが、三種の神器を持つ方が正統との解釈です。これで南朝が正統だが、足利義満の命令で三種の神器北朝に戻ったので、以後は北朝が正統との解釈が成り立ち、一系統になります。

しかし、「尊皇攘夷」(片山杜秀著、新潮選書)には書いていませんが、これも矛盾をはらみます。なぜなら三種の神器のうち少なくとも草薙の剣は、1185年、安徳天皇とともに壇ノ浦に沈んでしまったからです。もっとも、それは熱田神宮から形代(かたしろ)が作られたから構わない、という主張もあるでしょう。それを認めたとしても、南北朝時代、何度も三種の神器南朝側から北朝側に渡っている事実の弁明は厳しいでしょう。そのたびに「こんなこともあろうかと、南朝側は偽物の三種の神器を作っており、それら偽物を渡した」とされてはいますが、こんな話、誰が信じるでしょう。普通に考えて、嘘です。「本物を渡したが、偽物ということにした」に違いありません。なんにしろ、三種の神器を所有するから、正統な天皇家との解釈はかなり無理があります。

ともかく、南朝を正統とするから、どうしても矛盾が生じるのです。現天皇家北朝の子孫なのですから、北朝を正統とすれば理論的に矛盾は生じないのに、全ての水戸学者(と明治政府の学者)は天皇家では公式だった北朝単独正統論をとりません。では、それほど南朝側が正しいと主張するのか、と問えば、必ずしもそうではないので、ややこしいです。たとえば、南朝の開祖である後醍醐天皇を、水戸学の創設者の一人とも言える安積澹泊は「適切に賞罰ができず、忠臣(万里小路藤房など)の諫言に耳を傾けられなかった。それはやはり後醍醐天皇の能力の問題に帰するだろう」と批判しています。

では、どうして水戸学や明治政府が南朝びいきかといえば、やはり楠木正成になります。楠木正成の「七生報国(七生滅賊)」の自害は、神国日本思想にとって極めて都合のいい美談です。この美談に水戸学者たちが感動したため、あるいは、この美談を利用したいがために、南朝びいきになったのでしょう。しかし、七生報国は史実というより創作であることは、理性的な思考の持ち主なら誰でも分かるはずです。

そもそも、いくら部下(楠木正成)が優秀で忠実だとしても、その部下が仕える上司(後醍醐天皇)の統治に欠陥があれば、部下は悪い統治を助けることになるだけです。これは小学生でも分かる理屈ですが、それについて水戸学や明治政府の学者はろくに考察しません。水戸学の背景である儒教が「上司が間違っていれば部下は諫言すべきであるが、上司への裏切りはいけない」と厳しく決めているからです。

結局のところ、太平記(史実をおもしろおかしくした物語)に感動した12歳の少年(like a boy of twelve)から、日本人はまだ脱却できていないのかもしれません。