未来社会の道しるべ

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ここまで浅い日本人の人間観

前回の記事でも書きましたが、「連続殺人犯」(小野一光著、文春文庫)を読んで、日本人の浅い人間観に絶望しました。

高橋裕子という2人の夫を殺して、保険金を着服した奴がいます。福田和子同様、甘やかされて育った女です。福田和子と違って美人で家が裕福であり、子どもの頃から周囲にチヤホヤされたので、福田和子以上に恵まれていたのに(恵まれていたので)、福田和子以上に浪費する生活を送っていました。

裕子はお互いの両親の反対を押し切って、1才上の慶応卒の男と結婚しますが、夫の実家の福島で生活しだすと「ズーズー弁が嫌だ」とくだらない理由で、子どもを祖父母にすら合わせなかったりしました。長男が出産後10日目に死亡したことを理由に、裕子の実家の福岡に引っ越して、夫は裕子の父の会社の専務として働きます。しかし、夫は慣れない場所と仕事でストレスが大きかったようで、酒とギャンブルに走り、会社の金を複数回着服して、お互いの両親に返済させたりしています。もっとも、裕子も自身の浪費癖のせいで、夫の両親に1千万以上は払わせているようです。裕子は30才で離婚しますが、その時は既に後に再婚する相手と交際中でした。交際相手の雄司は、当時結婚中で子どもも2人いて、しかも3人目が妻のお腹の中にいました。つまり裕子と雄司は不倫の関係なのですが、それでも別れずに再婚に向かって突き進む理由を後に裁判で聞かれて、裕子は「雄司さんを本当に好きになってしまったことと、(裕子の)二人の子どもの父になれる人だと思ったから」と証言したそうです。「そこには身重である雄司の妻への罪悪感は全くない」と本では断定しています。なぜ断定できるかといえば、事件発覚後に裕子が雄司の妻に嫌がらせの電話を頻繁にかけたことが明らかになっているからです。そして、この裕子が「本当に好きになった」雄司こそ、裕子が保険金目的で殺した1人目の夫です。

そこから先の裕子の悪行については書きませんが、裕子がおかしくなったのはこの頃からでないことは確実です。子どもの頃から外見だけはいいが、内面はおかしい奴だったのでしょう。それを育てたのは、両親であり、周囲の人たちであり、日本社会であったはずです。

著者がこの事件を週刊誌に執筆中、裕子の音大時代にアパートの隣の部屋に住んでいる夫婦から手紙が届いたそうです。

「彼女は悪女ですが、私たち夫婦は彼女のことをいまだに『高橋さん』と呼んでいるのです。この意味がおわかりでしょうか。素晴らしい女性だったからです。お互いに部屋を訪ねたりしていましたが、本当に感じのいい方でした。スナック時代の派手な写真が出ていましたが、印象はまったく違います。人目を惹く存在ではありましたが、別にブランド品で着飾ってたわけではなく、質素な物をセンス良く身に着けていました」

後に夫婦が引っ越した先にも裕子は遊びにきたそうです。

「きちんと手土産としてシュークリームを持ってきました。そして、生まればかりのうちの子を抱っこして、『かわいい、かわいい』って。言葉遣いもきれいだし、気取っているところもない。ほんとに素敵なお嬢さんだったんです。だからあの記事を読んで、彼女にもこんないい部分があったんだって、どうしてもお伝えしたくて……」

この手紙からも、彼女がいかに甘やかされていたかが分かるでしょう。まず、夫婦で住むようなアパートに大学生が住んでいる時点で、贅沢です(もちろん、それぞれ間取りは違っていた可能性はありますが)。大学生でセンスよく着飾って、言葉遣いもキレイなのなら、小さい頃から外見や礼儀重視の育て方をされたのでしょう。引っ越し先にまで裕子がわざわざ来たということは、裕子は相手夫婦が自分を歓迎してくれると確信しています。この夫婦も外見の良さだけで裕子をいい気分にさせてきたわけで、この連続殺人の罪の一部があります。こんな夫婦が裕子の周りにいたから、裕子は「自分は恵まれていて当然」という感覚を持ってしまい、何才になっても浪費癖を改めず、金のためには殺人も厭いませんでした。

しかし、著者はこの手紙を読んで、そうは感じなかったようです。「それもまた事実なのだろう」と「素直に納得した」そうです。この著者の受け取り方も私には強い違和感があります。

まず、上の記述のどこまでが事実だと著者は考えたのでしょうか。「彼女にもこんなにいい部分があった」ことでしょうか。もしそうなら、それは事実ではなく、意見であること、しかも道徳的には問題のある意見であることを著者は認識できているのでしょうか。私がこの手紙を読んで「素直に納得」することなど、ありえません。前回の記事に出てきた松井弁護士の行動同様、保険金目的で2人の夫を殺して、全く反省せずにスナックで知り合った男を脅迫して金をせびる悪行を知りながらも大学時代の行儀の良さから「素晴らしい女性」との感想をわざわざ手紙で知らせる夫婦には憤りを感じるだけです。

この夫婦や著者程度の倫理観の奴らが日本に多いからこそ、裕子のような外見だけはいいが内面は最悪の女に騙される人たちが日本にいっぱいいるからこそ、このような犯罪が起こったのだと確信します。

前回の記事と同じ主張を書きます。

「外見がいくらよかったとしても、内面まで正当化されるわけではない」こと、少なくとも「立ち居振る舞いや話し方(外見)がいくら素晴らしくても、道徳観(内面)がおかしい奴はいる」こと、最低でも「外見と内面を分けて考える」ことくらいは、いいかげん日本人もできるようになるべきです。