前回までの記事の続きです。
光市母子殺害事件の犯人の福田孝行は女性観が歪んでいました。「なぜ僕は『悪魔』と呼ばれた少年を助けようとしたのか」(今枝仁著、扶桑社)で著者の今枝は、フロイト派の精神科医のごとく、福田の女性観について解釈を述べています。強姦の計画性があったかどうかが論点となったため、福田の女性観に踏み込んだのでしょうが、多くのフロイト派の解釈同様、この解釈が正しいかどうかは、客観的に、あるいは理論的に証明できません。
今枝の解釈で注目したいのは、「強姦の計画性はなかったが、優しく誘導されて和姦に至る淡い願望」が福田にあったと認めていることです。突然訪ねてきた正体不明の排水管検査員が「主婦に優しく誘導されて和姦」するなど、アダルトビデオの世界以外に存在しません。しかし、「福田君を殺して何になる」(増田美智子著、インシデンツ)を読むと、福田ならそんな妄想を信じていそうだと思わせる箇所が随所に出てきます。
一つは「光市母子殺害事件の原因は犯人が父から虐待を受けていたからなのか」に書いた福田からの増田への手紙の内容です。増田に限らず、福田は女性相手だと、いつも甘えるような手紙を書いていて、何通かはスクープもされています。福田が女性に甘えようとする行為を、上告後の弁護団は「抱きつき行為」と呼んで、警戒していました。
福田が女性と接したがることはマスコミ関係者には有名で、報道が過熱していた差戻控訴審の審理中など、あえて女性記者を選んで福田に接触させていました。それに対する弁護団の一人の今枝の批判です。
「マスコミにもひどい人間がいます。某民放テレビ局の女性リポーターが福田に出した手紙は常識を疑うものでした。『本当のところはどうなのかにゃん? お返事待っています』などと絵文字まで使い、恋人に宛てたような言葉遣いでした。彼を動揺させ『無反省な手紙入手』というスクープ狙いだったことは明らかです。この悪質な手法には、リポーターの名を実名公開して対抗すべきと考えたほどでした」
増田によると、福田はどう見ても「もてるタイプ」ではありません。しかし、福田はうぬぼれていました。Aへの「不謹慎な手紙」にも「もてました」とか「つきあっている彼女がいた」と書いていたので、増田がそれについて質問すると、福田は次のように返答しました。
「どこから『つき合っている』と言うのが難しい。中学とか高校のときは、つき合うとかそういうのまでいかないけど、どっちなの、っていう感じの仲がいい女の子はいたよ」
――手をつないだりしたの?
「いや、僕はできなかった。だから、女の子からしたら、僕といい感じなのに、どうしてもっと積極的になれないの、って思ってたかもしれない。僕はいきたいという気持ちはあったけど、恥ずかしくて、行動を起こせなくて。それで、『ああ、この人はダメなんだ』って思われたと思う」
私の予想では、99%、福田の勘違いでしょう。「男性に積極的に迫ってほしい」などと、よほど好きな相手でなければ、女性は(言葉で)考えません。まして、つき合っているか微妙な相手に対して、女性はそんなこと考えません。だいたい、勉強もスポーツもダメで、精神年齢も低い福田に、そんな要望を持つ女性がただの一人でもいたとは考えられません。
このような女性観から、犯罪当日の個別訪問時に「主婦に優しく誘導されて和姦」される淡い期待を福田が抱いていた可能性はあったと推定します。福田は自白調書にあるように、強姦しようとして被害者女性に抱きついたのではなく、実際は「甘えたくて」抱きついたと述べています。増田の本によると、小・中学生の同級生が「たぶん、それはホントだと思う」と言ったそうです。やはり、光市母子殺害事件で強姦の計画性を認めるのは難しいでしょう。
なお、「主婦に優しく誘導されて和姦」される淡い期待を持っていたので、これを広義の計画性と考える人もいるかもしれません。しかし、この程度の性的欲求は男性が常時持っているものであり、これを計画性ありとするのは無理があります。もしこの程度で計画性ありとするなら、全ての強姦罪に計画性が認められてしまいますし、さらにいえば、殺人罪も全て計画性ありとなって、計画性の有無で量刑を変える意義もなくなります。
さらに考察します。被害者女性が激しく抵抗したら、福田の性格(言動や反応)からすれば、福田は一目散に現場から逃げていた可能性が高かったはずです。しかし、現実には、被害者女性と生後11ヶ月の娘を殺害しています。
この飛躍がどうして生じたかは、「光市母子殺害事件の原因は犯人が父から虐待を受けていたからなのか」に書いたように、福田が動物虐待の経験を持っていたからでしょう。この経験を通じて、福田は人知れず暴力性を高めており、普通なら相当に抵抗があるはずの殺人まで及んでしまいました。
また、もう一つの要素として、福田がDV家庭に育ったこともあげられるでしょう。虐待の世代間連鎖で、父の母への暴力を見て育った息子が、父を心底嫌っていたのに、結婚後に妻に暴力を振るうのはよくあることです。まして、福田は父を嫌っていないどころか、犯罪後ですら、父を好きだとまで言っています。家庭で父の母に対する日常的な暴力を見ていた福田は、女性に対する暴力にそれほど抵抗がなかったと推測されます。上記の自分勝手な福田の女性観も、DV家庭育ちと関連しているのかもしれません。
私が福田に再犯の可能性が高いと思う根拠の一つは、犯罪後10年近くたっても、福田の女性観が全く矯正されていないことです。福田がもし社会に出たら、見境なく女性に甘えるに違いありません。しかし、福田は自分勝手な女性観を持っているので、福田の期待通りに女性との関係が進展する確率はほぼゼロです。1回、10回、100回と福田の期待が裏切られ、その中のどれかで福田の暴力性と爆発性が発動してしまう可能性は低くないはずです。
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