未来社会の道しるべ

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福田和子はなぜ15年間も逃亡できたのか

日本人である前に人間である」に書いた法則、「取材相手に気を遣うあまり、いつの間にか取材相手に取り込まれてしまう」法則が「福田和子事件」(大下英冶著、新風舎文庫)にもあてはまってしまいます。「相手の気持ちを最優先する日本と道徳を最優先する西洋」なので、取材中に取材相手に気を遣うのは分かりますが、執筆の段階で社会道徳よりも取材相手を優先してしまうのは、私には謎です。その程度の倫理観、社会観の人が犯罪本を書いたら、犯罪を抑制するのではなく、犯罪を助長する本になってしまいます。

福田和子は虚栄心が強く、虚言癖があり、金持ちの男しか興味のない道徳観の欠落した女です。福田和子がそんな人になった最大の理由および責任はその母にあります。上記の本では、その母自身も「小さいときから意見もしたことない、叱ったこともない」「うちは貧乏だったから、おんなじ苦労を(娘の福田和子にも)分けるような育て方をすればよかったけどねえ」と自分の子育てに原因があったことを認めています。母の弟は「子どもにあんまり甘すぎる。店(スナック)がほしいといやあ、人が驚くような店を持たせた。車が欲しいといやあ、自分が運転せんでも娘に買うて与えた。養子にもらった婿には、羽織の紐でも、金の留めがついとるような豪華もんを与えた。時計でも、人が驚くようなもんを与えた。どういうこっちゃ。ちっとは苦労させい。ほっとけ!」と母を叱責したそうです。福田和子が離婚して、再婚した時にマイホームを買いましたが、その時も母が3百万円も与えようとしたので、このように母の弟が止めたのです。

それでも福田和子は平凡な主婦生活をわずか3ヶ月でやめて、またもホステスになって、そこで嫉妬した女を殺害し、15年もの逃亡生活が始まります。虚栄心の強い福田和子は、逃亡中も人目につかない仕事を一時的にしても、すぐに夜の街に戻ってきます。そもそも、母も元ホステスで、スナックを経営し、従業員のホステスに売春させていました。その従業員に性行為させる場所は子どもの福田和子もいる家でした。福田和子の犯した罪の原因は母にあるので、私の価値観では、母も保護観察などの対処を受けるべきです。

しかし、福田和子の反社会的性格が母によって形作られたことを知りながら(少なくとも、知る立場にいながら)、著者は母を「それゆえにこそ、母の和子への申し訳なさは、ひとしおであったのだろう」と擁護します。

「福田和子は美人とはいえないが、かわいらしい一面を持っていて、逃亡中も、つきあう男たちが、そろって彼女に結婚を申し込んでいる。分相応の自分の立場に甘んじていれば(ホステスなど人目につく仕事をしなければ)、こういう人生はなかったのだろうが、それができなかった。彼女の幼いときの孤独が、そういう歪みを育てたのかもしれない」

この文も、私には理解に苦しみます。福田和子は1才で両親が離婚しますが、5才で母が「仏さんみたいにいい人」と再婚しています。福田和子は小さい頃から「おませさんで髪をアップにし」ており、「家にはピアノがある」と平気で嘘を言う奴でした。中学生の時から男にこびて、当時の女子としては極めて珍しくタバコも吸っていたらしいので、孤独というほどの孤独を感じていたとは思えません。ませて、すぐに見栄をはるので、友だちにあまり信用されなかった、というのが実情に近いでしょう。福田和子がつつましい生活で我慢できなかったのは、幼い頃から甘やかされて育てられ、男から金を与えられることに生きがいを感じていたからでしょう。福田和子の人生を追って、著者がそんなことも分からず、「幼いときの孤独」が原因と、まるで福田和子も被害者であるような判断を下すのなら、頭がどうかしているとしか思えません。

福田和子が57才で脳梗塞で亡くなった時、著者は「福田和子の罪は罪だが、獄中で長く生きて、最後は少しでもシャバに出られ、子どもたちと過ごせる日があればよかったのに」という感想まで漏らしています。母の味方になるだけでなく、福田和子の味方にまでなってしまったようです。

著者のようなバカな男が日本中にいるからこそ、福田和子が15年間も逃亡できたことは間違いないように思います。私に言わせれば、著者も福田和子の犯罪、あるいは逃亡の罪の一端を担っています。