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被害者が死刑よりも望むことはないのか

先進国の中で、日本は人権意識の低い国です(断定します)。その代表例として、しばしば挙げられるのは死刑が残っていることです。死刑を残している先進国はアメリカと日本、そしてシンガポールと台湾くらいです。韓国ですら事実上死刑は廃止されています。

犯罪本を読んでいると、「死刑以外の判決は考えられない」との遺族の言葉がよく出てきます。「絞首刑」(青木理著、講談社文庫)によると、ある遺族は加害者の謝罪の手紙を何度も読み返し、「ああ、反省しているんだな」と思い、死刑反対派の意見や本を聞いたり読んだりした後でも、「死刑しかない」と言っています。もっとも、これについては死刑反対派の意見や本を読んで、どう考えたのかなどを書いていないので、この遺族は「人殺しには死刑を」との固定観念から抜け出せなかったとしか私には思えません。

こういった遺族はともかくとして、極悪犯への処罰が死刑でいいのか、疑問に思った人はいるはずです。私も何度もそう考えています。死刑にするくらいなら一生働かせた方が被害者や社会全体にとって有益ではないか、死んでしまったら被害者やその関係者に償いもできないではないか、という考えはあるはずです。

「絞首刑」には、遺族が「死刑を執行しないでほしい」と法務省に訴えた例が載せられています。1979年~1983年の半田保険金殺人事件の遺族です。

1950年に生まれた長谷川敏彦は1976年から自動車の板金・修理を営む会社を立ち上げ、車社会の拡大とともに事業は順調に発展します。1973年に結婚し、二人の子どもも授かり順風満帆でしたが、1979年にスナックの経営に手を出したことから、人生の坂道を転がり始めます。

集団で飲み歩くことが好きだった長谷川は、飲み代が増えていくことに悩み出し、「だったら自分で飲み屋を開けばいい。みんなも飲みに行くから一石二鳥ではないか」と仲間からおだてられ、軽い気持ちでスナックを始めてしまいます。反対されることは目に見えていたので、妻や家族には内緒にし、開店資金はサラ金から借ります。しかし、順調だったのは開業して二ヶ月頃までで、ほどなく店に暴力団関係者が出入りするようになり、客足は途絶えがちになります。すぐに地元のクラブ経営者に店を売り払おうとしますが、この人物も暴力団関係者であったため不渡手形をつかまされ、ほとんど騙し取られるような形で店を手放します。

一方、店に出入りしていた暴力団組員からは「俺たちに店の売却を頼んでおきながら、別の暴力団に売り渡しやがって」と理不尽な因縁をつけられ、250万円もの損害金を支払わされます。この暴力団組員には、工場の客から預かった車を騙し取られ、車検証のない外車を買わされたこともあります。世間知らずで金銭的にルーズな面もある長谷川は完全にヤクザの鴨にされました。まだ暴対法もない時代であり、警察に相談しても相手にされず、次第に膨らんでいく借金の返済に追われ、長谷川は高利の闇金融にも頼ります。スナックの開店からわずか半年で、長谷川は借金まみれでした。

本では「ヤクザ者や高利貸しに正面から毅然と対峙しなければならなかった」と書いていますが、それは「いじめられっ子は毅然とやり返さなければならなかった」と主張するに等しいです。そんなことは無理です。行き詰った長谷川は保険金殺人を犯して、死刑を受けるわけですが、どう考えても、最も重い罰を受けるべき者はヤクザです。また、まともに長谷川の相手にしなかった警察にも罪があると私は考えますし、この時代に暴対法がなかったことも悲劇です。

本題に戻ります。借金でノイローゼになった長谷川は3件の保険金殺人を犯します。3件目は、長谷川を苦しめてきた闇金融の男であり、これについての長谷川の罪は大したものでないと私は思います。ただし、他の2件は長谷川の工場の客と単なる知人であり、この罪が極刑に値するとの考えは否定しません。長谷川の3件の保険金殺人のうち、2件目の被害者の兄である原田正治が長谷川の死刑執行停止を訴えました。なぜでしょうか。

次の記事に続きます。