1960年代、田中伊三次という法務大臣は大量の死刑執行をしたことで有名です。彼についての話題が教誨師の渡邉と、ある死刑囚の間で交わされました。
死刑囚「先生、あの田中という大臣はとんでもない男ですね。いくら死刑囚だって、虫けらを殺すんじゃあるまいし。次から次へと幾ら何でもやりすぎです」
渡邉は机の上にノートを広げ、軽い気持ちで返しました。
渡邉「ま、法務大臣もそれが仕事だからな、職務熱心なんだろうよ」
渡邉は下を向いたまま手元の作業を進めていました。
死刑囚「私はいつ吊るされるのか怖くて……」
振るえる声がそこで途切れました。尋常ならざる口調に、渡邉は驚いて顔をあげます。白目ばかりが目立つ険しい眼差しが渡邉の方に突き刺さっています。机の向こうに、ドス黒い固まりが座っているかのようでした。もし相手が刃物を手にしていたら、自分は瞬時に切りつけられていたかもしれません、そう思っても不思議はないほどの憎悪が、男の体全体から発せられていたそうです。
その死刑囚はしばらく無言でいましたが、急に席を立って、付添いの刑務官を引き連れるようにして部屋から出ていきました。
ちょっと軽率だったかな、まいったな、と渡邉は思いましたが、まあ、次回の面接で話せばよい、とすぐに切り替えています。法務大臣が死刑執行の命令をすることは当然だったし、自分が間違ったことを言ったとも思わなかったそうです。
しかし、その日からその死刑囚は二度と渡邉の教誨を受けに来ることはありませんでした。他に話す相手もいないのだから、ほとぼりが冷めたら来るだろう、と渡邉は思っていましたが、思いのほか早く、その死刑囚は死刑を執行されました。渡邉はそれまでの二人の関係に甘えて、手紙すら書かなかったことを悔やみました。
私なら「ま、法務大臣もそれが仕事だからな、職務熱心なんだろうよ」と言うことはありえませんし、まして、その発言後、「ちょっと軽率」くらいの反省で切り替えたりはしません。死刑執行を全くしない法務大臣もいるのですから、「法務大臣が死刑執行の命令をすることは当然」も間違いです。