新型コロナによる感染は日本で落ち着いてきています。「未来社会の道しるべ」というブログタイトルをつけているのに、このブログでは未来予想と進むべき道をほとんど示していないので、ポストコロナについて簡単な予想と「道しるべ」を記述しておきます。
コロナショックは、経済や社会への悪影響を考えると、世界全体で自粛しすぎだったと私は考えています。ほとんど自粛しなかったスウェーデンは正解だと判断しています。スウェーデンの新型コロナ死者数はこれから増えるとしても、肺炎での年間死者数を越えることはないでしょう。
今回の新型コロナで大きな被害を受けたのは、高齢者、基礎疾患のある方、および一部の医療機関従事者になります。4月~5月の新型コロナ自粛期間、私を含む多くの医療機関従事者はいつもより暇になってしまいました。私の知り合いの耳鼻咽喉科開業医が「閑古鳥が鳴いている」とぼやいているので、診療時間中に行ってみたら本当に一人も患者さんがいませんでした。海外も国内も観光が全くできなくなるほど病気が蔓延しているはずなのに、多くの病院やクリニックが暇になるのはおかしな話です。
この機会に感染症の歴史本を読んだ人も多いと思います。そのほとんどの本に書いてあるように、全ての感染症を撲滅することは不可能です。細菌やウイルスの基本性質は、進化しながら生物とうまく共存していくことです。そうであるなら、新種の感染症が蔓延し、生物に死者が出るのは、ある程度、仕方がないはずです。
結局、どの程度の被害が出るので、どの程度の自粛をすべきかの問題になります。総合的に考えて、今回の被害で、今回の自粛は明らかに行き過ぎだったでしょう。
特にアジアでは死亡率が極めて低かったことを考えると、経済も社会の流れも止めすぎでした。たとえば、日本の2018年の年間死者数は136万人、肺炎死者数が13万人です。しかし、新型コロナ死者数は1000人程度しか出ていません。第二波がきても2000人を越えることはないでしょう。肺炎死者の誤差程度の数で医療崩壊がかりに起こっていたとしたら、社会全体を自粛させるよりも、一部の医療機関の対応を変えるべきです。
災害時には、トリアージといって、救うべき人の「優先順位」をつけます。今回のような感染症の蔓延時にも、災害時とは異なる「トリアージ」はするべきだったと考えます。高齢者や基礎疾患のある方が新型コロナに罹患した場合、人工呼吸器で一時的に助かったとしても、遠くないうちに別の感染源から肺炎で亡くなる可能性が高いので、人工呼吸器の優先順位を下げるべきではなかったのでしょうか。また、長期喫煙で肺気腫(COPD)になっている人まで、この非常事態時に人工呼吸器をつけるべきとは私は思えません。
「社会に感染症が蔓延している」→「感染症を抑えるため社会全体を自粛させる」
今回の危機では、この回路しかなかった、少なくともその回路の流れが強すぎたと思います。結果として、経済や社会の損害が軽視されました。本来なら、次の回路もより強く考慮すべきだったのではないでしょうか。
「社会に感染症が蔓延している」→「通常の医療体制は実施できないので、非常時の医療体制で対応する」
この思考回路さえあれば、日本政府が自粛要請まで出す必要はなかったと思います。放っておいても、日本人はよく分からないものを怖がる習性が強いので、経済をここまで停滞させるほどの健康被害は出なかったと推測します。もちろん、盛り場で遊んでばかりいる人は感染症にかかる確率が高く、亡くなった人も今より確実に増えましたが、そこは自己責任で済ませばよかったのではないでしょうか。
なお、自粛しすぎだったとの判断が出るのは、しばらく先か、あるいは永遠に出ないと推測します。今回の新型コロナに限りませんが、新種の感染症は分からないことがいつも多いからです。いまだに感染者数も死者数もよく分かっていないと知って、「だいたいの予想は出るだろう。いつまでそんなことを言っているんだ」と感じている人は少なくないはずです。
おそらく、最終的にはよく分からないまま、「2020年のコロナショックの自粛は妥当だった」あるいは「かりに行き過ぎだったとしても仕方なかった」という結論になると予想します。