未来社会の道しるべ

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日本式長時間労働は年功序列賃金制度により一般化した

このブログで何回か紹介している濱口桂一郎氏は「日本の雇用と中高年」 (ちくま新書)で、「日本の正社員が職種も時間も場所も無制限に働かされるようになったのはオイルショック後の低経済成長期でも雇用を維持するためだった」と述べています。海外では、開発職で雇用された人が会社の都合で営業職に回されることなどなく、その必要があるなら、開発職の社員を解雇して、新しく営業職の社員を雇うそうです。また、1日8時間労働の地元勤務で雇われている人が、不況になったからといって、1日12時間労働にさせられたり、単身赴任させたりすることも一般的でないようです。その場合、会社が解雇するか、あるいは、労働者自らが辞職するのかもしれません。

ここで「終身雇用を守るために、無制限労働を受け入れるしかなかった」と考えるのは間違いです。日本式経営で最も非効率なのは、高齢になり能力が衰えているにもかかわらず、内輪でしか通用しない権威により、年長者が大金をもらえる制度です。年長者の給与をカットすれば、つまり、年功序列賃金制度さえ止めれば、適性のない部署に配置転換したり、長時間労働や単身赴任をさせたりしなくても、雇用は守れたはずです。また、そうすれば、高齢になって体力や知力が衰えてきても、それに見合った仕事ができて、その仕事に見合った給与がもらえる公平な社会になったはずです。

しかし、日本はその方法は取らずに、無制限に働かされることを許容してまで、年功序列賃金制度を守りました。なぜでしょうか? 「日本の雇用と中高年」では、「日本だと子どもの年齢が増えるにしたがって必要な収入が増えるから」と書いています。

しかし、子どもが教育を受ける権利は本来、社会保障が担います。貧富の差に関係なく、全ての子どもに平等に与えられるべきだからです。だから、「一般家庭では子どもの年齢と共に必要な収入が増える」から「年功序列賃金制度は維持しなければならなかった」は、根本的な観点が間違っています。「年功序列賃金制度は経済的に非効率で維持できない」から「収入の少ない一般家庭には子どもの学費補助などの社会保障を充実しなければならない」と考えるべきだったのです。

人口ピラミッドが三角形だった頃の日本では、年長者ほど高給になるシステムで上手く回っていたのでしょう。多くの若年者の生み出す利益を、少数の年長者に回すことが可能だったからです。しかし、少子高齢社会になると、そのシステムを維持するのは経済的に不合理です。それでも無理に維持しようとしたので、上のように、配置転換も長時間労働も単身赴任も当たり前の社会になってしまいました。現在は、それですら維持できないので、正社員が減って、少子化が進んでいます。

本来なら、年功序列賃金制度なんて、40年以上前に経済的に非効率になっていました。少子高齢化は進み、その非効率度は増すばかりなのに、年功序列賃金制度に固執しているから、社会のいろいろなところに弊害が出ている、といいかげん日本人は気づくべきです。

これまで何十年も日本の政治家や官僚たちは、「女性の社会進出」「長時間労働の打破」「男性も子育てに関われる社会」「少子化対策」を掲げて、本気で改革しようとしてきました。しかし、上のような理屈から考えれば、年功序列賃金制度がなくならない限り、その改革はまず実現しないでしょう。