未来社会の道しるべ

新しい社会を切り開く視点の提供

福島原発事故に天才もいなければバカもいない

福島第一原発所長である吉田昌郎は事故後、あっという間に英雄視されてしまいました。まるで乃木希典日露戦争後、あっという前に英雄視されたかのようです。

第二次大戦後、司馬遼太郎の「坂の上の雲」が部下たちに無謀な突撃を何度も強いた乃木の愚策を世間に広めたせいで、乃木は英雄から愚将に一気に落ちぶれました。対照的に、日露戦争の英雄となったのは児玉源太郎です。やはり司馬遼太郎によって、難攻不落の203高地を攻略できたのは、児玉源太郎の作戦によるものとの認識が広がったからです。しかし、wikipedia児玉源太郎の記事にもあるように、203高地での児玉の貢献は司馬によって誇張されていることは間違いありません(デタラメの可能性もある)。また、乃木を愚将と断定するのも大げさです。旅順の突撃作戦が大失敗なのは事実でしょうが、乃木は旅順陥落後に敵将ステッセリを丁重に扱ったため国際的に称賛を浴びましたし、奉天会戦で最も敢闘した第三軍の指揮をとっています。

日露戦争での乃木が天才でもバカでもないように、「福島原発事故と八甲田山遭難事故の相似」に示した通り、福島原発事故での吉田は天才でもバカでもありません。

同様に、原発事故時の菅直人がバカであるとの認識も間違いです。次の記事に書くように、菅直人が首相でなければ、東京に人が住めなくなっていた可能性さえあったのです。

当たり前ですが、全ての判断を完璧にできる人はいませんし、全ての判断を間違う人もいないでしょう。正解と思える判断が、見方を変えれば不正解になることもありますし、逆もまた然りです。「吉田昌郎は英雄であり、その批判は許されない」、「菅直人原発事故時に首相だったことは、太平洋開戦時に東条英機が首相だった不幸と同じである」と信じて疑わない人は、何十年かかってもいいので、この当たり前の認識を身に着けてほしいです。

2012年5月28日、国会事故調での菅直人の発言をほぼ引用しておきます。「東電と電事連などが原子力行政の実権をこの40年間で掌握していき、批判的な専門家、政治家、官僚を村八分にして、主流から外してきました。それを見ていた多くの関係者は、自己保身と事なかれ主義に陥っていた。原発の危険性を訴える人はいたのに、多くの日本人は当事者意識を持たず、それに気づかないか、見て見ぬフリをしてきた。今回の原発事故は、私を含めた日本人全体の失敗だと思います」