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福島原発事故と八甲田山遭難事故の相似

福島原発事故での吉田昌郎所長を「東日本壊滅から救った英雄」と考えている日本人は、まだどれくらいいるのでしょうか。 

1902年の八甲田山遭難事件は第二次大戦中まで、210人中199名も死亡した青森歩兵第5連隊を英雄視することが常識でした。1971年の「八甲田山死の彷徨」(新田次郎著、新潮文庫)によって、第5連隊がありえない貧弱な装備で、無謀な雪中行軍をしたことが世間に明らかになり、八甲田山遭難事件は愚の骨頂との認識が一般になりました。一方、同書で注目されたのは、戦後まで政府が意図的に隠してきた弘前歩兵第31連隊です。第31連隊は第5連隊の10倍の距離を八甲田山で雪中行軍したにもかかわらず、十分な装備と準備で挑んだため、死者はゼロでした。無謀な計画でほぼ全滅した第5連隊の悲劇を称賛して、入念な計画により無事に予定行路を踏破した第31連隊を無視するなど、狂気を褒め、理性を貶すようなものです。こんな思想傾向が、第二次大戦時の日本の悲劇に繋がっているような気がしてなりません。

福島原発事故吉田昌郎を英雄と考える観点も、八甲田山遭難事件で第5連隊に感動する観点に似ていると思います。国会事故調によると、東京電力は従来の想定を超えた地震津波が襲来する可能性、そして福島原発がそれに耐えられない構造であることを、何度も指摘されていたにも関わらず、これを軽視し、適切な対策をとらなかったことが事故の根本原因だとしています。その「指摘を軽視し、対策をとらなかった」東電の責任者こそ、吉田昌郎なのです(東電の武黒一郎、武藤栄も同罪です)。

原発事故時の吉田昌郎は、怒り心頭に達していた菅直人首相を黙らせるほどの理性と度胸を兼ね備えた稀有な人物でした。しかし、大局的な視野でみれば、原発事故時に冷静に対応する能力よりも、そもそも原発事故を起こさない能力の方が比較できないほど価値があることは論をまちません。

さらに、原発事故が起こった時の対応ですら、吉田昌郎は完璧でなかった、と後に判明しています。「カウントダウン・メルトダウン」(船橋洋一著、文藝春秋)には、福島第二原発でも、第一原発同様に原子力災害対策特別措置法に基づく緊急通報(15条通報)が行なわれ、ベント決死隊まで準備されていたことが記されています。15条通報は「緊急事態が起きかねない」(10条通報)状態でなく、「緊急時代が起きている」状態で出されます。福島第二原発メルトダウン寸前だったのです。しかし、メルトダウンを3基も起こした第一と異なり、第二では注水が途切れることなく、あと一歩で踏みとどまりました。上記の書では、福島第二原発の増田尚宏所長を「本当のヒーロー」と称えています。もちろん、福島第一と第二が全く同じ状況ではありませんでしたが、事故後の調査で、第一でも事故時に適切に対応していれば、メルトダウンを防げたことは既に分かっています。その最高責任者は、現場所長である吉田昌郎のはずです。

現在、福島第一原発と第二原発のこの決定的な差を知っている日本人は、一体どれくらいいるのでしょうか。それを知らないまま吉田昌郎を英雄だと信じている日本人は、ぜひとも上の事実を知っておいてほしい、いえ、日本人なら知っておかなければならない、と私は強く思います。

次の記事に続きます。