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福島原発事故は日本人全員の失敗である

福島原発事故では、私を含む多くの日本人が東京電力に怒り、呆れたことでしょう。しかし、私は事故が起きるまで、東電があそこまで腐敗して、あそこまで大局的な視野のない社員たちばかりとは全く知りませんでした。そもそも東電社員がどんな人たちか関心すらなかったわけですが、原発事故でそれが自分の人生と無関係でないことを思い知りました。無関心でいることで、本来原発を扱うべきでない人たちに原発を任せていたわけです。だから、東電を責めて、一般人の自分は被害者と考えるのは短絡的すぎます。それは第二次世界大戦で、日中戦争や太平洋戦争の初期の戦勝を熱狂的に支持していたくせに、戦後になると、軍部が加害者で一般の自分たち国民は被害者と考えることに等しいでしょう。

また、福島第一の吉田昌郎や現場職員を英雄視する見方も「精神に重きをおきすぎて、科学を忘れた」姿勢に通じると私は考えます。その間違いは「福島原発事故と八甲田山遭難事故の相似」に書いた通りですが、ここで付け加えます。「福島第一原発事故7つの謎」(NHKスペシャルメルトダウン』取材班著、講談社現代新書)によると、1号機のベントがあそこまで遅れた理由の一つに、「決死隊」がベント実行の最中、なんと100mSv程度の被爆で逃げ帰ってきた事実が書かれています。「決死隊」とは、ベントが遅れに遅れていることに我慢ならなくなって福島第一まで来た菅直人首相に対し、吉田所長がベント実行のため募ると約束した集団です。欧米での原発事故時の被爆限度は250~500mSvです。メルトダウンの最中、チェルノブイリ以後最悪の事故が起こっている最中、「決死隊」がわずか100mSvで諦めるなど、ありえません。もちろん、当時の法律では100mSvを越えての作業を禁止していましたが、そんなことを無視してでもベントを実行するから「決死隊」と呼んだはずです。防護服もなしで免震棟に入ろうとして、係員が放射線被爆量を計ろうとしたら、「俺は呑気にこんなことをされるために来たんじゃないんだ!」と怒鳴った菅直人の姿勢こそ、見習ってほしかったです。

かといって、現場職員がバカで臆病者だったと断定するのも行き過ぎでしょう。

メルトダウン」(大鹿靖明著、講談社文庫)では、細野豪志の発言を引用して「最大の功労者は自衛隊だと思っております。ヘリコプターからの放水がターニングポイントだった」と書いています。また、「カウントダウン・メルトダウン」(船橋洋一著、文藝春秋)では、日本で原発事故の支援活動をしたアメリカ人カストーが「家に火事が起こり、停電してしまったと仮定しよう。その時、中に飛び込んで、まず電源を復旧しようとするか。いや、しないだろう。まず、水の管を開けるに決まっている。なんでそんなことが分からないのだろうか」と日本到着の3月15日頃に考えていたことを記し、放水作業より電源復旧を優先しようとする東電を批判しています。しかし、両書籍より後に出版された「福島第一原発事故7つの謎」(NHKスペシャルメルトダウン』取材班著、講談社現代新書)によれば、3月15日からは東電の言う通りに、電源復旧を最優先すべきだったことが明らかになっています。核燃料プールへの放水作業のため、電源復旧作業は合計5回、少なくとも39時間57分中断されています。そのために、3月15日から22日までに事故全体の7割の放射性物質の放出があったそうです。自衛隊の放水作業は、アメリカや日本国民へのデモンストレーション以上の効果は事実上ゼロに近かったと「福島第一原発事故7つの謎」は断定しています。とはいえ、これは結果論であり、そうなると当時予想できなかったことは確かです。それにしても、「メルトダウン」は自衛隊を、「カウントダウン・メルトダウン」はアメリカを称賛しすぎています。

福島第一原発事故7つの謎」にある通り、福島原発事故はまだ解明されていない謎があります。「東京電力撤退事件」に書いた通り、2号機の格納容器が圧力破壊を起こさなかった理由も分かっていないのです。これからも福島原発事故について新しい事実が分かり、そのたびに新しい教訓を日本人が得られるかもしれません。そのとき、誰かを英雄視したり、誰かを犯人にしたてあげて日本人の自分を被害者と考えたりすることは、間違っていると私は予想します。