未来社会の道しるべ

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wetな人間関係からdryな人間関係へ

前回の記事と関連します。

「生きる職場」(武藤北斗著、イースト・プレス)の職場の人間関係の見識には共感します。

著者は職場の理想的な人間関係は「笑顔の溢れる状態ではない」と何度も強調しています。朝礼でハイタッチのような儀式を否定していますし、お互いを意識的に褒めるような見せかけだけの仲良しごっこも否定しています。理想は、他の人の反応やその場の空気観をいちいち心配することがない職場、人間関係に悩まされることなく働ける職場であり、それ以上を求めはしないことです。

フィリピンで社員旅行文化が浸透中」に書いたように、現在、東南アジアでは高度経済成長期の日本のように、社員旅行が広く実施されています。一方で、社員旅行「発祥地」の日本では、社員旅行文化は消滅していっています。同様に、かつては職場の飲み会は日本の重要な交流の場で、お酒を飲まないことは不可でしたが、いまでは不参加も、お酒を飲まないことも許されるようになってきています。一方、日本より遅く経済発展している中国や東南アジアでは、いまだにお酒の席でのコミュニケーションが重視されています。

社会が成熟していくに従って、人間関係はwetからdryになっていくようです。これは職場に限らず、地域社会にも通用するはずです。「一人の取りこぼしもない社会」の記事に書いたように、かつて日本で溢れていたコミュニティが消滅していっているのも、その流れで説明できるのではないでしょうか。

実際、私がカナダで感じた人間関係は、日本よりも遥かにdryでした。苦手な人相手でも失礼にはならないように接し、無益な敵意を出すことはありませんでした。職場でのグループはありましたが、日本ほど固定しておらず、他の人が入りにくい雰囲気はあまりありません。なにより、社会全体的に他者への関心が日本より低かったです(一方で、「カナダ人の寛容性と生産性の相関関係」に書いたように社会的弱者への共感は日本の比ではなく高かったです)。

日本も成熟した国家なので、人間関係はwetからdryに変わっていくでしょう。wetな人間関係を理想と考える人は、その理想がこれから実現しないことを理解し、dryな人間関係の利点に注目するようになってほしいです。