未来社会の道しるべ

新しい社会を切り開く視点の提供

人として大切なところが欠けている

私が小学生の頃です。タチの悪い友だちが得意気にこんなことを言っていました。

友だち「知っているか? アメリカでは銃で人を撃っても、『撃たれそうになったから撃った』と言えば罪にならないんだぜ」

私(バカ言うな。そんなことあるわけないだろう)

そんな言い訳が通用したら、無法国家です。世界最高の民主主義国のアメリカで起こるはずがありません。そう信じていました。

しかし、1992年、愛知県の少年が留学先のアメリカで射殺された事件が起きます。銃はもちろん武器すら持っていない少年です。「『動くな』と言ったのに、動いたから撃った」と被告は裁判で主張すると、陪審員の全会一致で無罪となりました。

私(嘘だろう!)

衝撃を受けたのは私だけでなく、当時、このニュースは日本で大きく扱われました。銃を撃って、人を殺して、全会一致の無罪判決が出るなど、日本ではありえない、いえ、まともな国家なら想像もできないはずです。小学校時代の友だちの妄想だと思った言葉は、事実だったのです。

その後、私はカナダで暮らす機会があり、カナダ人やアメリカ人と銃規制の議論をしたことは何度もあります。アメリカ人は「自分の身を自分で守るのは人間として当然の権利だ」、「合衆国憲法にも銃を持つ権利が認められている」などと主張してきます。それに対して、私は必ず上記の話をします。それでも納得しない相手には、私はこう言っていました。

私「率直に言わせてもらうが、『撃たれそうになったから撃った』という言い訳が通用する国家を認める人は、どんな理屈で正当化しようとも、人として大切なところが欠けているとしか僕には思えない」