未来社会の道しるべ

新しい社会を切り開く視点の提供

日米和親条約にある不平等条項

これも日本開国史(石井孝著 吉川弘文館)によって始めて知ったことですが、日米修好通商条約だけでなく、日米和親条約不平等条約でした。日米和親条約治外法権が一部認められうることもそうなのですが、今回注目したいのは片務的最恵国待遇条項が入っていることです。日本が他国に優遇措置をとると自動的にアメリカにもそれが認められる条項です。アメリカも日本に同様の最恵国待遇を認めていれば不平等条約ではないのですが、それはありません。ペリーはこの条項を「最も重要な条項」と誇っています。上記文献の著者はこの条項を「不平等条約の根幹の一つをなす」と書いています。実際、日本側の無知により、これから数年で日本は顔が青ざめるような不平等条約をどんどん結んでしまうのですが、この条項さえなければ、そこまで簡単に日本が騙されることもなかったと分かります。

ここでまたありえない、というか情けない歴史的事実を書きますが、そんな国家の命運を決める重要条項が、前記事にあった「下級役人が上司と相談することもなくペリーとあっさり決めた条項」の一つです。どれだけ強調してもいいと思うので繰り返しますが、日本はこの不平等条約の改正に50年もかかり、その間、何回も内戦を行い、大きな対外戦争も行っています。現代の全外交官の何%がこの痛恨の失敗を知っているか、誰か調べてもらえませんか?

問題先送り外交

「木を見て森を見ず」という言葉があります。些末なことにこだわって、大局的な視野を失くしている状態を指す言葉です。外交に限らず、日本人がしばしば陥る失敗です。一方で、「木を見るべきときに森を見ている」失敗も、日本人はよくするように感じます。つまるところ、問題の重要な点(本質)が分かっていないわけです。

歴史教養本を読んでいると、「下級役人による翻訳の手違いでハリスが来てしまった」などと「え! なにかの冗談でしょう?」と思ってしまう、ありえない失敗が記録されていています。

そもそも、当時の幕閣の大多数は外国人と交渉すること自体が嫌で、まして威嚇によって開国するなど嫌でした。「脅しによって成立した約束の細かい部分など、どうでもいい」とでも思ったのでしょうか。条約内で国の骨格に関わる重要問題が、本来その問題を処理すべき人物のあずかり知らないところで決まっていたりします。個人の問題ならそれでもいいかもしれませんが、国家の問題ならそれでいいわけがありません。たとえば、上記のアメリカ領事のハリス問題は、日本全権であるはずの儒家の林復斎応接掛ではなく、平山謙二郎徒目付らが林に相談もなくペリーと決めたそうです(『日本開国史(石井孝著 吉川弘文館)』参照)。

もし私がペリーとの交渉を任された小役人だったら、なにを目的にするだろうか、と空想してみました。やはり、目の前のペリーと上司の林が納得することだけを目的にするでしょう。日本の国益など考えもしません。そんな大きなことを考える立場にないのですから。

なお、上記文献を読んで始めて知ったのですが、アメリカ領事についての誤訳問題は、意図的なようです。和文訳には「アメリカ領事の日本駐在は両国政府の合意が必要である」とあり、英文訳には「アメリカ領事の日本駐在はどちらか一方の政府の必要があれば認められる」となっているのですが、他の条文にこのような翻訳の不一致は見られないからです。どうも、幕閣相手にこんな条文を読ませたくないので、意図的に誤訳して、問題を先送りにしたようです。

「日出づる処の天子、書を日没する処の天子にいたす」という極めて無礼な手紙を出して、隋の皇帝を激怒させた返信は、小野妹子がとても聖徳太子らに見せられないと判断し、帰国時に捨てて、問題を先送りした、という説を思いだしました。そういえば、秀吉の朝鮮出兵時も、現場担当者が上司を納得させるため、講和の内容を意図的に双方で別物にして、問題を先送りしていました。まさか、現在にそんな前近代的なゴマカシがないことを願います。

幕末の動乱は不可避だったのか

当時のアメリカ側の文献を読めば読むほど、ペリーは日本と本気で戦争する意思はほとんどなく、アメリカ本国政府に至っては日本と戦争する意思など皆無と言っていいことがよく分かります。ペリーはあくまで威嚇によって日本に譲歩を迫ったのであり、それにまんまとひっかかったのが日本政府だったのです。

もちろん、こんな威嚇に譲歩するのは誰にとっても屈辱です。特に幕政に関わる武士たちが外圧に屈するのは死んでも嫌だったに違いありません。

しかし、当時の世界情勢からいって、日本が西洋列強からの開国要求をいつまでも無視できるはずがありませんでした。また、それまでの外国使節のようにペリーをぞんざいに扱えば武力衝突に至る可能性は高く、武力衝突をしたら双方に死人が出て、まずアメリカと戦争になったでしょう。その場合、日本は確実に負け、完全な植民地になった可能性もあります。当時の幕閣で最も強硬論だった徳川斉昭でさえ、アメリカと戦争して勝てるとの妄想は持っていませんでした。アヘン戦争で負けた、あるいはアロー戦争に負けた中国のような悲劇こそ最悪だと考えたのでしょう。

かといって、当時の幕政の中心人物たちは、ほぼ全員、開国もしたくありませんでした。戦争もしたくない、開国もしたくない、ということで、幕府は時間稼ぎ作戦に出ました。ペリーが根負けして帰ってくれるんじゃないか、と期待したわけです。武士道を尊ぶ人たちがこんな外交手段をとったことは注目に値します。

現代から考えてみれば、当時の幕閣たちの現状認識がなによりも間違っていたことが分かります。「外圧に屈するか」あるいは「戦争するか」と、両極端な二元論です。もっと別の見方をするべきで、ペリーもハリスも他の西洋列強の使節も、「開国が日本人の利益になる」見解をいくつもの角度から伝えています。しかし、当時の日本人の見解とはあまりに隔たっていたため、日本政府の中心人物たちはそれをなかなか理解できませんでした。そして、日本政府の中心人物が変わって、日本人が開明思想を受け入れるまで、日本の動乱期は続きます。

だから、大局的な視野でいえば、幕末維新の動乱期とは、日本人が開明思想を習得するための期間だったと私は考えています。もし始めから多くの日本人が、西洋人に匹敵するほどの開明思想を持っていたなら、上のような二元論に固執することもなく、日本は開国を早々と受け入れて、近代化に向かっていたことでしょう。

もちろん、鎖国を200年以上も続けた日本人が開明思想をすぐに理解するのは不可能です。しかし、結局、日本人はそれを理解しなければなりませんでしたし、事実、理解しました。もしいつまでも理解しなかったら、日本は殖産興業も富国強兵もできず、それこそ中国のような悲劇を迎えていたかもしれません。

なお、「国家の思想が大きく変わるためには、幕末維新にあれくらいの動乱が必要だった」という歴史観(そんなものがあったとして)に、私は必ずしも同意しません。たかが人の考えを変える程度です。なにも京都で暗殺が横行したり、戊辰戦争で多くの日本人が死んだりする必要はなかったでしょう。

たとえば、西洋列強から入ってきた開明思想を日本中の庶民に知らせたら、どうなっていたでしょうか? 「西洋では進んだ科学技術を使って便利な生活をしている」「選挙によって最高権力者まで決める」「貿易によって商業が発達すれば暮らしが豊かになる」 政治家や役人たちがそんな風に日本人の視野を広げ、教養を高めることに成功していれば、幕末に日本人同士で殺しあう悲劇はそこまで起こらなかったはずです。

こう書くと、次のような反論が容易に浮かぶでしょう。

「幕府がそんな自滅を招くような政策を実行できるわけがない」

福沢諭吉が同じような発想で『学問のすすめ』を出版して日本人の教養を高めようとしたが、やはり西南戦争が起こったじゃないか」

第二次世界大戦後ならともかく、封建社会で大改革を実行するなら、あれくらいの犠牲は不可避だった」

「確かに日本人の教養を高められたら好ましかっただろう。しかし、それは『全ての人がキリスト教徒なら世界が平和になるのに』という、ありえない夢想をするのと同じだ。ありえない仮定で歴史を振り返るのはナンセンス極まりない」

それらの反論が不条理だとは思いません。しかし、それでも、「学問のすすめ」のような本がもっと早く広く普及していれば、当時の役人が日本人全体の教養を高めることにもっと早く専念していれば、幕末の犠牲はより少なくてすみ、日本の近代化はより早く進展したと確信します。少なくとも日本人の教養を高める活動は(当たり前ですが)物理的には可能なので、より多くの日本人がそれに気づき、一人ひとりが視野を広げて、「どうして西洋人はあんなすごい船を持っているんだ?」「西洋人ができるのなら、日本人だってできるんじゃないか」「昔からの習慣を守ることで自分たちは本当に幸せになれるのか?」という視点を持てていたなら、より誇らしい歴史を持てたと私は考えます。

 

※この記事には誤解を生む論理展開になっているので、「黒船と本気で戦っていたら日本は攘夷を達成できたが、それは最悪の選択であった」に追加の記事を書きました。

幕末の稚拙な外交政策から日本は教訓を得ているのか

私が中学生だった頃、日本史を勉強していて、最も謎だったのは日米修好通商条約です。これは日本が自由貿易を始める画期的な条約であると同時に、アメリカ人の治外法権を許し、日本に関税自主権がなく、アメリカへの片務的最恵国待遇を認めた不平等条約です。明治時代を通じての外交は、あるいは、もっと大きく明治時代そのものは、この不平等条約解消のために費やしたと言っても過言ではない、と私は考えています。一体、どうして日本人を劣等民族扱いした、こんな屈辱的な条約を結んだのでしょうか?

社会の先生に質問すると、「西洋列強と戦争するだけの力が当時の日本にはなかったから」と返答されました。私はその返答に納得できず、さらに質問したかったのですが、上手く言葉にできなかった記憶があります。

「通商条約だけでよかったのに、なぜ不平等条約まで結んだんですか?」

不平等条約だと当時の日本人は分かっていたんですか?」

「もしアメリカが日本の無知につけこんだ条約だったのなら、それは不誠実です。その不誠実を主張して、対等な通商条約にすることはできなかったんですか?」

「日本が正当な理由を主張しても、まだアメリカが武力で威嚇するのなら、中国や他の西洋列強に日本への同意を求めて、戦争も辞さずに交渉する方法はなかったんですか?」

「その他、あらゆる合理的な外交手段を当時の日本の外交担当者は考えたんですか?」

今の私なら、こんな疑問を続けたかったのだろう、と分かります。私が明治時代に生きていたら、特にこの不平等条約の改正の仕事を請け負っていたなら、「なぜ! どうして! こんなバカな条約を結んだんだ!」と何度も考えたことでしょう。だから当然、そんな考証は現在まで何千回、何万回もされて、その骨身に染みた反省から生まれた教訓は現在までの日本外交に受け継がれている……と私は信じていました。

しかし、十分な教育を受けたはずの大卒日本人の何%が上の疑問にスラスラ答えられるでしょうか? あるいは、次の質問には適切に答えられますか?

1、どうして西洋列強は日本を植民地にしなかったのか?

2、なぜペリーは日本との通商よりも捕鯨船の補給を望んでいたのか?

3、当時世界最強の海軍国であるイギリスではなく、なぜアメリカが日本の鎖国政策を終えらせたのか?

私は大卒で歴史教養本を100冊以上は読んでいますが、つい最近に「日本開国史(石井孝著 吉川弘文館)」を読むまでは、上記の質問全てに答えられないか、要点を見落としていました。

上記1、2の答えは当然一つに定まりませんが、要点に「西洋列強が中国を日本よりも遥かに重視していたから」があることは間違いありません。つまり、日本を開国させて通商を結ぶのは中国よりも簡単かもしれないが、その労力を中国との交易拡大に向けた方が有益だと、貿易統計から判断していたのです。なぜこの要点が間違いないと断言できるかといえば、当時のイギリスの外務大臣アメリカの国務長官を筆頭とした外交官のほぼ全員が「日本との国交を性急に結ばない理由」として、「それよりも中国との交易拡大に専念すべきだ」と返答した記録が残っているからです(上記文献参照)。

また2、3の答えとしては、イギリスが中国に行く途中に日本に立ち寄る必要は全くないが、アメリカが中国に行く途中に日本に立ち寄れると極めて便利だったからです。これもペリーが「日本を開国させるべき理由」として進言しており、また海軍長官もその理由に納得して日本に行く許可を出しているので、要因の一つであることには間違いありません。つまり、ペリーの最優先の目的は、中国に行くまでの避泊港を設けることでした。だから、日本が開国しなかった場合でも、琉球諸島に停泊地を作るつもりで、実際、ペリーは日本を開国させる前に、琉球王国に停泊地を作ることを認めさせています。ここで注目したいのは、「日本が開国しなかった場合」について、ペリーはアメリカを発つ前から海軍長官に書簡で述べている点です。

現在、ペリーたちの思惑は上記文献などから日本でも明らかになっています。これを日本の政治家たちが知ったのはいつだったのでしょうか? また、こんな重要な情報(アメリカによる日本開国の主要目的は中国貿易であったこと)がなぜ一般に広まっていないのでしょうか? もしかして日本は幕末の稚拙な外交政策についての総括ができないまま第二次世界大戦に突入したのでしょうか? そして第二次世界大戦の稚拙な外交政策の総括ができないまま現在に至っているのでしょうか? 結局、日本は幕末以来、外交政策についてはなにひとつ確固たる教訓を得られないままなのでしょうか?

そんな疑問がどうしても生じたので、これから複数の記事にしています。

マイナス票と投票価値試験

昨今、先進国ではびこるポピュリスト対策として、マイナス票の導入ほど有効なものはないように思います。古代ギリシア陶片追放のように、マイナス票と言えば、危険な独裁者を排除するために導入されていますから。とはいえ、イギリスのEU離脱の可否のように二者択一なら、マイナス票導入効果はほとんどありません。日本のように多くの候補者がいる選挙なら効果は期待できます。

新聞紙上でも、マイナス票の提案は何度か読んだ記憶があります。しかし、すぐに「あまりうまくいかないようです」と却下されています。うまくいかない実例を私は読んだ記憶がありません。もし、失敗実例を知っている方がいれば、ぜひコメント欄に書いてください。

なお、私がここで提案したいのは、マイナス票についても投票価値試験を行うことです。通常のプラス票の投票価値試験の他に行うので、有権者にとっては二度手間にはなります。だからデメリットも確実もあります。しかし、メリットもあります。投票価値試験を二つにすることで、一度だけよりも公平になることです。また、投票価値試験を作る仕事を2倍に増やせます。

話が飛躍しますが、私は以前のブログで、これからの人工知能社会について考察し、今後、コンピューターによって人間がしなくていい仕事が増えていくと信じています。その分、新しい仕事、あるいは社会に役立つ活動を作るべきだと考えています。投票価値試験制作といった公平さが極限まで求められる難しい仕事をAIが代替できるまでにあと100年は必要でしょう。この知的仕事量を2倍にする価値はあるはずだと考えます。

投票点数自由割当方式

前回までの記事で提案した投票価値試験が、最も有益だと考える選挙改革案です。この記事で提案する投票点数自由割当方式と、次の記事で提案するマイナス票は、本当に有益かどうか、私自身、疑問を持っているところもあります。

現在の投票方式では、一人の候補者に自分の投票価値を全て与えて、他の全候補者には自分の投票価値を一切与えていません。実際の有権者の意見は、必ずしもその投票価値と一致しているわけではありません。「A候補者を一番いいとは思うが、B候補者も各段悪いわけではない。しかし、C候補者は論外だ」という意見を持っている有権者がほとんどのはずです。

その有権者の意見にできるだけ近づけるために、投票点数自由割当方式を提案します。前回までの記事で提案した投票価値試験の点数を各候補者に整数で割当てる選択方式です。かりに投票価値試験点数が80点であれば、A候補者に50点、B候補者に29点、C候補者に1点、それ以外の候補者たちは0点といった具合に割当てられます。

「多数決を疑う」(岩波新書、坂井豊貴著)では、この自由割当方式を「少数の熱狂的なグループを優遇する仕組みに陥りかねない」と批判しています。確かに、その可能性も十分あるのですが、そうならない可能性もあるはずです。もし自由割当方式がうまくいかなかった実例を知っている方がいれば、ぜひコメント欄に書いてください。

投票価値試験の利点

投票価値試験が実現すれば、候補者は名前連呼などの無意味な選挙活動はしなくなるでしょう。候補者は教養のある有権者に投票してもらうため、真に有意義な政策を訴えるようになるはずです。

また、投票価値試験は有権者の政治への知識と関心を高める効果があるでしょう。これまでは適当に選んだ一票も、熟慮の末に選んだ一票も同じ価値であるという不条理があったため、とにかく多くの人を巻き込むことが選挙活動になっていました。しかし、公平な見解を持っているか、選挙の争点を知っているか、各候補者の意見を理解しているか、などを投票価値試験で問うていけば、単に多数の人を巻き込むだけでなく、支持者に多くの知識や広い見解をつけてもらうことも選挙活動に入ってくるからです。

同時に、投票価値は自己の価値とも考えられます。自己の価値を高めるため、多くの有権者が政治について真摯に学んでいく効果が、少なくとも現状の選挙方式より格段にあるはずです。

投票価値試験の公平性

投票価値試験の実例

問1、次のうち、ヨーロッパにある都市はどれか?

ア、ニューヨーク  イ、ロンドン  ウ、ロサンゼルス  エ、シカゴ  オ、デトロイド

問2、次のうち、PM2.5とはなにか?

ア、自動車  イ、携帯電話  ウ、コンピューター  エ、条約  オ、粒子状物質

問3、次のうち、現在の中国の国家主席は誰か?

ア、毛沢東  イ、習近平  ウ、李承晩  エ、朴槿恵  オ、鄧小平

問4、次のうち、最も大きい数はどれか?

ア、三分の一  イ、20%  ウ、0.09  エ、1÷8  オ、1割

問5、次のうち、平成28年度の日本の国家予算に最も近い値はどれか?

ア、約1兆円  イ、約10兆円  ウ、約100兆円  エ、約1000兆円  オ、約10000兆円

 

こんな問題すら正解できない人に、投票権を与える価値がないのは、多くの方に納得してもらえるのではないでしょうか? 問1でロンドンがヨーロッパで、他の選択肢は全てアメリカにあることも知らない人に外交に関する決定権を与えるべきですか? PM2.5を車の名前と勘違いしている人に環境問題を考える基礎ができていると思いますか? 中国の国家主席を既にこの世にいない人や韓国人と混同する人に政治が語れますか? 問4のような初歩的な算数を理解しない人が経済問題を扱えますか? 日本の国家予算を桁違いで間違う人に税金の使い道をあれこれ言う資格がありますか?

しかし、こんな簡単な問題ですら、日本人有権者の半数以上が全問正解できないことは、よほど世間知らずの人でない限り知っているでしょう。それどころか、何百万人もの有権者は上のような問題はもちろん、どんな試験であっても0点をとる可能性があります。認知症の高齢者が何百万人も日本にいるからです(http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12601000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Shakaihoshoutantou/0000065682.pdf)。ここで高齢者の実態を知らない人なら、「認知症患者は投票自体できないから、議論の対象にしなくていいだろう」と思うかもしれません。しかし、字もろくに書けない高齢者にすり寄って、自分の支持政党に投票させたりする人は現実にいます。医療、介護、福祉での経験がある人なら、選挙期間になると、今まで一度も見舞いに来ていない遠い親戚が急に現れて、投票場まで認知症の高齢者を連れていく様子を見たことがあるはずです。投票価値試験が実施されれば、そんな理不尽な選挙活動は撲滅できるでしょう。

なお、投票価値試験は上にあげたような簡単な問題だけにする必要はありません。当該選挙の争点になっている問題、各候補者の公約についての問題はあった方がいいでしょう。試行錯誤しながら、より適切な投票価値試験を作り上げていくべきです。すぐに完璧にならないでしょうが、止めずに続けていけば、日本人のほぼ全員が公平と考える投票価値試験は必ず作れると私は確信しています。

なぜなら、日本人のほぼ全員が経験する入学試験(入試)は、批判を受けながらも、概ね公平な選抜方法と受け入れられているからです。多くの人にとって、自分の投票で結果があまり変わらない選挙より、高校や大学の入試の方が人生を大きく左右するはずです。しかし、学力試験は高校や大学の選抜方式として明治以来100年以上日本に定着しており、それが不公平だという声はほとんど聞かれません。面接などの推薦試験もここ30年ほどで導入されていますが、主観によって評価が分かれる面接よりも、客観的に評価を下せる学力試験の方が日本ではまだまだ有力です。歴史上、投票価値試験のようなシステムが失敗した例もあるかもしれませんが、現代の日本でなら成功できると考えます。

投票価値試験

昨年、成熟した民主主義国家と思われた国で、進歩的な新聞から批判される選挙結果が出ています。その代表格がアメリカ大統領選でした。この結果が本当に批判されるべきかどうかは確定できないでしょうが、ここではそれについて議論しません。

「多数決を疑う」(岩波新書、坂井豊貴著)では、多数決の正当性を理論的に検証しています。ボルダ法、スコアリング法、コンドルセ・ヤング法、繰り返し最下位消去法、チャレンジ型多数決法などの多数決法を紹介し、投票者たちの意見が同じでも、それぞれの多数決法によって結果が違ってくる場合があると実例を持って示しています。朝日新聞もこちらの書を何度か参照して、多数決が理論的にも最適ではない根拠として用いています。とはいえ、アメリカ大統領選やイギリスでのEU離脱国民投票のように、AかBの二択しかない場合は、上の全ての多数決法で、単純な多数決法と同じ結果になります。

私がここで提案したいのは、投票価値試験です。投票前に100点満点の試験を行い、その試験点数分の投票価値を各人が得ます。試験で90点の人の投票は90点の価値となり、試験で5点の人の投票は5点の価値となります。

この改革案を審議したら、試験内容をどうするかで大激論になるはずです。投票価値を決める政治的に公平な試験など作成できるわけがない、との反対も出てくるに違いありません。投票価値試験の実例を提案しながら、次からの記事でそれに対する反駁を述べます。

like a boy of twelveの国から脱却できたのか

「20世紀の日本に最も影響を与えた政治家は誰か?」

この質問の答えは簡単でしょう。マッカーサーです。日本史の教科書で、マッカーサーの名前が消えるには、100年や200年では足りないでしょう。1000年後でさえ、どんなに薄い日本史の本でも、通史であれば、源頼朝徳川家康などと並んで、マッカーサーの名前ははずせないはずです。

マッカーサーが中心人物となって行われた改革は、マッカーサー後から現在までに行われた改革の総量と比較して、質でも量でも上回っています。マッカーサーが帰国する時、毎日新聞は異常なほど興奮して次のように号泣したそうです(「敗北を抱きしめて」ジョン・ダワー著、以下、この記事は主にこの書を参考にしています)。

「ああマッカーサー元帥、日本を昏迷と飢餓から救い上げてくれた元帥、元帥! その窓から、あおい麦がそよいでいるのをご覧になりましたか。今年の実りは豊かでしょう。それはみな元帥の5年8ヶ月にわたる努力の賜であり、同時に日本国民の感謝のしるしでもあるのです」

興奮していたのは新聞に限りません。経団連も衆参両院も都議会も感謝声明をわざわざ出し、学校は休みになって20万人の老若男女がマッカーサーの乗せた車を見送り、NHKはそれを生放送で全国に中継しました。

ここまで熱狂的に日本人に愛されたマッカーサーが、たった一つの発言で、猛烈に嫌われるようになった歴史的事実を知っているでしょうか? 

1951年4月16日に日本を去ったマッカーサーは5月5日のアメリカ上院合同委員会で、日本人の資質の素晴らしさや日本人が遂行した偉大なる社会革命についてだけでなく、第二次世界大戦での日本人兵士の最高の敢闘精神についても、高く称賛しています。それに対する「日本人は占領軍の下で得た自由を今後も擁護していくのだろうか?」の質問に、マッカーサーはこう答えました。

「ドイツの問題は、完全かつ全面的に日本の問題と違っています。ドイツ人は成熟した人種でした。ドイツ人は科学や芸術とか宗教とか文化において、我々アングロサクソンと同じく45才くらいでしょう。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、12才の少年といったところ(like a boy of twelve)でしょう」

アメリカでこの発言は、ほとんど注目を集めませんでした。しかし、どういうわけか日本ではこの「like a boy of twelve」の部分だけが執拗なほど注目されました。突然、多くの日本人がいかに甘い考えで、この征服者にすり寄っていたかに気づいたそうです。

都議会は本気でマッカーサーを名誉都民にするつもりで、東京湾に大きなマッカーサー銅像を建てる計画まであったそうですが、そんな話は一気に立ち消えになりました。つい先日、マッカーサーに感謝声明を出したはずの大企業が合同で「我々は12才ではない! 日本の製品は世界で尊敬されている!」と大金を払って見出し広告を出しました。

失言により、それまでの業績が無視されて、非難されるのは政治家の宿命です。しかし、ほんの1ヶ月前まで神のように崇められた人物がたった一言で、どうしてここまで憎まれるようになるのでしょうか? 豹変した方にも問題があるとしか思えません。

マッカーサーへの評価が一変したのは、その日本人に対する指摘が図星だったからだ、と私は考えています。戦後の大改革が、アメリカの家父長的権威に黙従することにより達成され、その期間ずっとアメリカ人が日本人を見下していたことに、日本人自身が気づいていたのでしょう。戦時中に大和魂はこの世で最も崇高だと叫んでいたのに、敗戦後には勝者のアメリカに世界史上まれに見るほど純朴に従ったことがいかに情けないことかも、頭のどこかで認識していたのでしょう。それにしても、自分の欠点を指摘されムキになって怒るなんて、12才の少年のようだと言われても仕方ありません。

現在、マッカーサーは極度のマザコンで「士官学校の歴史で初めて母親と一緒に卒業した」と言われ、「日露戦争を観戦した」と自分の回想記にまで嘘を書くのでパラノイアを本気で疑われ、他人の手柄を自分の成果だと強硬に何度も主張した問題人物であったことが日本でも明らかになっています。そうなると「そんな人格破綻者がどうして日本で20世紀の最大の改革を成し遂げられたのか?」という疑問が自然と出てくるべきだと私は思いますが、一度もそんな疑問を聞いたことがありません(だからここに記します)。

よく議論になることからも間違いないように、いまだに日本は第二次大戦の総括ができていませんが、戦後改革の総括だってできていないのではないでしょうか? そして、日本人は外国人からlike a boy of twelveと思われない程度に成長できたのでしょうか?