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問題先送り外交

「木を見て森を見ず」という言葉があります。些末なことにこだわって、大局的な視野を失くしている状態を指す言葉です。外交に限らず、日本人がしばしば陥る失敗です。一方で、「木を見るべきときに森を見ている」失敗も、日本人はよくするように感じます。つまるところ、問題の重要な点(本質)が分かっていないわけです。

歴史教養本を読んでいると、「下級役人による翻訳の手違いでハリスが来てしまった」などと「え! なにかの冗談でしょう?」と思ってしまう、ありえない失敗が記録されていています。

そもそも、当時の幕閣の大多数は外国人と交渉すること自体が嫌で、まして威嚇によって開国するなど嫌でした。「脅しによって成立した約束の細かい部分など、どうでもいい」とでも思ったのでしょうか。条約内で国の骨格に関わる重要問題が、本来その問題を処理すべき人物のあずかり知らないところで決まっていたりします。個人の問題ならそれでもいいかもしれませんが、国家の問題ならそれでいいわけがありません。たとえば、上記のアメリカ領事のハリス問題は、日本全権であるはずの儒家の林復斎応接掛ではなく、平山謙二郎徒目付らが林に相談もなくペリーと決めたそうです(『日本開国史(石井孝著 吉川弘文館)』参照)。

もし私がペリーとの交渉を任された小役人だったら、なにを目的にするだろうか、と空想してみました。やはり、目の前のペリーと上司の林が納得することだけを目的にするでしょう。日本の国益など考えもしません。そんな大きなことを考える立場にないのですから。

なお、上記文献を読んで始めて知ったのですが、アメリカ領事についての誤訳問題は、意図的なようです。和文訳には「アメリカ領事の日本駐在は両国政府の合意が必要である」とあり、英文訳には「アメリカ領事の日本駐在はどちらか一方の政府の必要があれば認められる」となっているのですが、他の条文にこのような翻訳の不一致は見られないからです。どうも、幕閣相手にこんな条文を読ませたくないので、意図的に誤訳して、問題を先送りにしたようです。

「日出づる処の天子、書を日没する処の天子にいたす」という極めて無礼な手紙を出して、隋の皇帝を激怒させた返信は、小野妹子がとても聖徳太子らに見せられないと判断し、帰国時に捨てて、問題を先送りした、という説を思いだしました。そういえば、秀吉の朝鮮出兵時も、現場担当者が上司を納得させるため、講和の内容を意図的に双方で別物にして、問題を先送りしていました。まさか、現在にそんな前近代的なゴマカシがないことを願います。