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日本で大地震が起こった時に最も心配すべきこと

正月の能登半島地震の報道で、ある弁護士が震災被害の証拠を示すための写真や動画を撮るべきことを言った後、最も被災者に伝えたい内容として、こう述べました。

地震に対する経済的支援は十二分に出ます。日本には災害を救済するための支援制度が数えきれないほどあります。だから、身体と心の健康面を最優先してください」

「ネットや電話連絡がつかない人が多く、安否不明者が多い」との地元だけでいい報道をわざわざ全国に流すことが多い現在、これは将来を見据えた本質を突いた意見だと考えます。

身体はともかく、心の健康面は社会性を含むので、広い意味を持ちます。災害被害に注目しすぎること、被災地復興にこだわりすぎて他地域で生きる手段を考えなくなること、災害で被害者意識を持ちすぎること、その後の生き方について視野を狭くすることなども含むのなら、私も心の健康面を最優先することに賛成です。

私は2つの大学を卒業しています。2つ目の大学の同級生に、私と同様の30代の人が何名かいました。そのうちの一人が福島県出身で、「東日本大震災補助金で大学に通えているので、Aさん(私のこと)のように奨学金借りなくていいんですよね」と言って、驚きました。「震災の被害はどれくらいだったのか」「今は福島に住んでいないのに、なぜもらえるのか」「いくらもらえるのか」「いつまでもらえるのか」などの質問をしようとしましたが、あまりに失礼な質問であり、向こうも明らかに答えたがらなかったので、詳しいことはなにも分かりませんでした。

2011年の東日本大震災は、2万人以上の死者が出て、被害額で日本史上最悪だったと内閣府が発表しています。それほどの大震災でも、「そこまでもらっていいのか」と受け取る側が思うほどに補助金が出たことは、私の経験した上記の一例以外でも、知っています。もちろん、補助金が不十分だったと憤慨している人が多くいることも知っています。

2024年の能登半島地震の被災者総数は、東日本大震災と比べて、桁外れに小さいです。この程度の被害者数であれば、上記の弁護士が言うように「経済的支援が十二分に出る」のは間違いありません。そのことを多くの国民が知るべきで、「能登半島地震被害よりもお金を回すべき問題が日本に山積している」こともマスコミは報道すべきです。

こんなことを私が書きたくなったのは、1月4日と5日の私の仕事経験からです。私は病院に勤務する医療従事者なのですが、外来患者は誰も、能登半島地震の話題など触れませんでした。自分のことで精一杯だからでしょう。唯一の例外が、患者として外来通院している60代の医師でした。

地震の報道を観ると、私の病気のことなど小さい問題だと思えてきますね」

地震の報道を観ると、この程度で日本中が同情してくれるのなら、私の住む地域に地震が起きてほしいと思えてきますね)と返す度胸は私にありませんでした。

地震については、次の「地震予測は役に立たない」でさらに考察します。