未来社会の道しるべ

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全共闘運動が日本会議を生んだ

前回の記事の続きです。

全共闘運動が最も影響を与えたのは、なんと左翼ではなく、右翼との解釈があります。左翼は民衆運動が活発で、右翼は暴力団体運動が活発なのは、西洋でも東洋でも日本でも同じです。しかし、現在、右翼でも日本会議在特会などの、民衆運動団体が多く存在します。この右翼の民衆運動が活発になったのは、1970年前後に全共闘新左翼の民衆運動が社会運動にまで発展してからのようです。この時代、左翼の存在感の大きさに右翼は危機感を持ちました。右翼≒黒い街宣車で大音量≒反社会勢力と連想されるようでは、民衆の支持は得られないと考えたのです。

以後、左翼をまねて、右翼の民衆運動が活発化し、ついに日本会議は「陰で日本を操る宗教カルト集団」と海外メディアで紹介される勢力にまでなりました。

この辺り、大正時代の護憲運動などの民衆社会運動に右翼の北一輝大川周明が影響を受けて、昭和初期の一般人や若手将校による暗殺多発の思想的背景につながったことと似ている気がします。

もし全共闘運動が日本会議につながっているのなら、「全共闘運動はムダだった」では済みません。悪い影響を与えたことになり、ムダよりもひどいからです。

そうであるなら、ますます全共闘世代、つまり団塊世代が莫大な借金を残して死ぬ、いわゆる逃げ切りは許されなくなります。