未来社会の道しるべ

新しい社会を切り開く視点の提供

全共闘の熱狂

「日本で理性的な反抗があった」

「不良どもによる道徳にもとる反抗ではない」

「学力の高い一流大学の学生たちが民衆運動として反抗していた時代があった」

私の大学時代の勉強の半分は、全共闘の自己研究に費やされたと言っても過言でないでしょう。とりわけ、東大安田講堂で陥落直前の「解放放送」の次の言葉は脳裏に焼き付きました。

「我々の闘いは勝利だった。全国の学生、市民、労働者の皆さん、我々の闘いは決して終わったのではなく、我々に代わって闘う同志の諸君が、解放講堂から時計台放送を真に再開する日まで、一時この放送を中止します」※

大学図書館で1970年前後の新聞縮刷版を調べてみると、学生運動について載っていない日はありません。大学紛争がなかった大学などないと言ってよく、特に有名大学なら一つの例外なく、学生運動が盛り上がっていました。

特に私の魂を揺さぶったのは、日大闘争です。日大は今も昔も右翼系大学で、古田会頭(学長や理事長ではなく、会頭という特有の役職が日大のトップでした)自らが学生運動を潰して、それを公に自慢する体たらくでした。それに疑問を持った学生たちが右翼学生たちの暴力に抗しながら、1968年9月30日の全学集会(大衆団交)を実現させ、見事、独裁者古田会頭の辞任を引き出しました。しかし、その翌日、当時の佐藤首相が政治介入し、この決定を覆します。絵に書いたような大学自治への政治介入です。

「やっと自分と理念を共有する人たちを見つけた」

「こんな学生運動に参加したかった」

私はそう思いましたが、どうしても次のような疑問が出てきました。

なぜ全共闘運動が失敗したのだろうか

次の記事に続きます。

 

※ 今の私なら、「こんな詩的な言葉はヤラセだろう」とまず考えます。実際、この言葉が録音されたテープを聞いたことは一度もありません。しかし、当時は「安田講堂で解放放送を再開してほしい。いや、なんなら俺が再開してやる」と本気で思っていました。