未来社会の道しるべ

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空想内全共闘の終わり

前回の記事の続きです。

私が大学時代、新左翼運動に参加しなかった最大の理由は、インターネットの炎上です。大学時代に、新左翼についてのHPを立ち上げ、ネット上で議論したら、ものの見事に炎上したのです(当時は炎上という言葉もなかったですが)。議論は建設的でも生産的でも全くなく、批判すること、論破することが目的となってしまいました。私は精神が疲弊して、すぐにHPを閉鎖しました。「話し合いで物事は解決しない」とは、高校時代の先生や親との話し合いで、嫌というほど知っていたはずなのに、またも同じ失敗をして、深く後悔し、反省しました。全共闘も、こんな議論で失敗したのだろう、とも思い至りました。

私が新左翼運動に参加しなかったもう一つの理由は、オウム真理教の失敗にあります。オウム真理教によるサリン事件後、オウムに一流大学の真面目な学生が多く加入して、過激化していったことから、新左翼連合赤軍事件との類似性が指摘されていました。知性の高い若者が社会の弊害に気づくのは古今東西同じでしょう。その現状打破の熱意の受け皿として、高度経済成長期には新左翼がありましたが、連合赤軍の失敗により、新左翼は受け皿として不適切となりました。代わりに受け皿の一つになったのが、オウム真理教を代表とする新興宗教だったようです。

私がオウム真理教やその他の宗教に惹かれたことはほぼないのですが、そういった時代の流れがあることは知っていました。新興宗教よりも前の新左翼に加わっても、時代に置いていかれるだけなのは明らかなので、参加する気にはなれなかったのです。

とどのつまり、私は全共闘運動に全く参加できないまま、2年ほど、調べに調べただけで終わりました。当初は全共闘への期待しかなかったものの、成功も失敗も経験せずに、勝手に失望して、頭の中だけで終わりました。終わった後、「どうせ日本はダメだ」「どうせ自分もダメだ」という虚無感が強くなったのは間違いありません。憧れの西洋に行ってもダメという気持ちも強くなりました。

もし全共闘時代に私が大学生だったら、理想主義的な私はやはり全共闘に参加していたでしょう。セクトに入っていたかもしれませんし、ノンセクトラディカルとしてセクトに属さない闘士になっていたかもしれません。しかし、意思の弱い私なので、いずれ意義の少ない論争に疲れて、1年もしないうちに活動から降りただろう、と推測します。

全共闘運動が残したものを「全共闘運動が日本会議を生んだ」で論じます。