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なぜ日本のカンボジア支援は失敗したのか

1992~1993年に日本を含めたPKOが民主選挙に貢献したカンボジアは、現在、経済力を背景とした中国の影響力が増し続け、民主主義も後退しています。2017年には最大野党のカンボジア救国党を政府権限で解党させるなど、民主主義国家としてはありえないほどの独裁者の横暴が目立っています。フン・センが事実上の最高権力者の地位に約40年間も就いており、2023年の現時点で世界最長政権とも言われます。昨日行われた選挙でも、必然的に与党が圧勝し、フン・センの息子に最高権力が移譲される見通しです。30年前、カンボジアに民主主義を育てるために日本は貢献したはずですが、いつの間にか民主制の反対の世襲制が育ってしまったようです。

1990年代前半の日本のカンボジア支援はなぜ失敗したのでしょうか。

その答えは「その後、日本はカンボジア支援から手を引いたから」になります。では、「なぜ日本はあれほど金も人も出したカンボジア支援から手を引いたのか」という質問になると、「政治家を筆頭とした日本人たちがカンボジアに関心がなかったから」になると私は考えます。あるいは、前回の記事で批判したように「日本に外交理念がないから」と言い換えてもいいかもしれません。

日本のカンボジアPKO支援は、日本国内はもちろん、世界的に注目されました。海外では「戦後初の日本軍の海外派兵」と、まるで日本の軍国主義が復活したような報道でした。日本の保守派ほど自衛隊の海外派兵に積極的だったので、そう見られても仕方ない側面はありました。しかし、建前上も実質上もカンボジアPKOは国連の承認を得た支援であり、保守派の誰であれ、自衛隊カンボジアに侵攻することなど毛頭考えておらず、制度の面でも人員の面でも装備の面でも、そんなことは不可能でした。

では、なぜ保守派である自民党がこの時、自衛隊カンボジア派遣にこだわったかといえば、「日本外交のトラウマ」や「湾岸戦争のトラウマ」の直後だったからでしょう。同様の失敗は絶対に犯したくない、ただそれだけのために、自衛隊を派遣しました。それまで、上から下まで、日本人はカンボジアについてほとんどなにも知らなかったのに、一気にカンボジアの報道が日本で毎日行われるようになりました。しかし、カンボジアPKOが終了すると、カンボジアの報道は消滅と言っていいほど、激減しました。ほぼ全ての日本人にとって、カンボジアでの100万人以上の虐殺などどうでもよく、単に日本人の自衛隊員や警察官が一人でも死ぬかもしれないから、関心を持っていただけだったことがよく現れています。日本人として、情けないです。

私を含む多くの日本人にとって、最も有名なカンボジア人はポル・ポトでしょう。1992~1993年のカンボジアPKOの頃、毎日のようにニュースで出てきた名前だからです。しかし、その時点でポル・ポト派の勢力は衰退してきており、中国も手を引いていたので、いずれ消滅することは確実でした。だから、ポル・ポト派など考慮せず、カンボジアをどうするかを考えなければいけない時代に30年前からなっていたのに、その後も日本はポル・ポト政権時代の大虐殺の責任追及問題にこだわり、30年前あるいは50年前からカンボジアが抜け出していることを見逃していた気がします。だから、ポル・ポト派を支援していた中国の勢力を一掃して、日本がカンボジアの経済開発の主導権をとることも可能だったのに、2023年の現実はその逆になっています。

話を戻します。1992年頃、なぜ社会党を筆頭とした日本の野党はカンボジアPKOに反対したのでしょうか。それは、多くの国際社会と同様の見解、つまり自衛隊(日本の軍隊)の第二次大戦後初の海外派遣をさせたくなかったからです。そこから、日本の軍国主義が復活して、また戦争の惨禍が起きることを危惧したのです。事実、この後、自衛隊PKO派遣は常態化して、現在も南スーダンに派遣されています。さらには、国連が批判したイラク戦争にまで自衛隊は派遣されており、この流れで集団的自衛権が拡大されようとしています。だから、この時の野党の危惧は、全くの見当はずれでもありません。

それを考慮しても、当時の野党の批判は、中身がなかったと考えます。なにがなんでも自衛隊PKO参加を拒否するとして、牛歩戦術まで社会党は実施して、世論の批判を浴びました。

この時、「カンボジアで民主的な選挙を実施するためには、ポル・ポト派の暴力的選挙妨害を排除しなければならない。そのために警察力、あるいは軍事力が必要な現実は無視できない。当然、PKOに協力する自衛隊員や警察官に死者が出る可能性はある。『自衛隊に死者が出る可能性はないのか』と与党を批判ばかりしていれば、かえってカンボジアの平和や民主主義の構築で、日本は貢献できなくなる。むしろ、『自衛隊に死者が出る覚悟を持たせて、カンボジアの平和や民主主義の構築に積極的に貢献すべきだ』と与党批判すべきではないのか」という意見がなぜ野党から出なかったのでしょうか。また、「武力による国際貢献だけでなく武力外の国際貢献が重要だ」と主張するなら、「カンボジアPKOの後、PKO以上の人と金を使って、カンボジアに平和と民主主義を構築させるべきだ」となぜ主張し続けなかったのでしょうか。

与党も「憲法9条の解釈とか、何十年もしてきた不毛な議論はもう時代遅れだ。自衛隊がどうであるべきかよりも、カンボジアがどうあるべきかを議論してほしい」となぜ反論できなかったのでしょうか。もし与党がカンボジアへの適切な外交理念を打ち立てていれば、カンボジアPKO後も日本はカンボジア外交に十分な予算をつけていたはずです。カンボジアの経済開発で日本が主導権を握っていれば、「優秀な労働者を韓国や台湾にとられる日本」で示したように、カンボジアからの出稼ぎ労働者数で、韓国にすら負けることにもならなかったでしょう。中国の経済支援に頼るカンボジアの政治も、日本の影響力が強ければ、今よりはマシになっていたのではないでしょうか。残念です。