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光市母子殺害事件犯人は嘘をついているのか

前回までの記事の主張と同じですが、別の観点から考察します。

「強姦目的ではなく、優しくしてもらいたいという甘えの気持ちで抱きついた」「(乳児を殺そうとしたのではなく)泣き止ますために首に蝶々結びしただけ」「乳児を押し入れに入れたのは(漫画の登場人物である)ドラえもんに助けてもらおうと思ったから」「死後に姦淫をしたのは小説『魔界転生』に復活の儀式と書いてあったから」

この荒唐無稽な話が出てきた時、誰もが驚きました。最初にこの話を聞いた弁護団も、全員、唖然としたそうです。これをそのまま裁判で主張すべきかどうかの議論も弁護団内であったようですが、福田の強い要望もあり、主張されました。

光市母子殺害事件での罵倒報道批判」に書いた通り、この荒唐無稽な主張はマスコミで何度も取り上げられ、そのほとんどで被告人である福田の嘘に違いない、と報道されました。主任弁護人の安田が代表的な死刑廃止論者だったので、「死刑を避けるために、安田が創作して、福田に言わせた」という批判までありました。

普通に考えて、こんなバカげた話を、弁護士が考えつくとは思えません。また、光市母子殺害事件を調べた人なら、真偽はともかく、福田なら上記のようなことを言いそうだとは知っているでしょう。

福田が犯行時にどのような気持ちでいたかは、福田にしか分かりません。より正確には、過去のことなので、福田ですら、正確には分かりません。そんなことは自明の理です。

しかしながら、実際の裁判では、「死後に姦淫をしたのは小説『魔界転生』に復活の儀式と書いてあったから」については、「魔界転生」の記述と大きく異なることから、嘘だと否定されています。また、これが嘘だから、他の発言も嘘に違いないとまで判定されています。

福田の虚勢を張る人間性を考えれば、「魔界転生」をろくに読んでいないのに、「魔界転生」の復活の儀式と言ってしまった可能性は十分あるでしょう。本来なら、裁判で嘘と認定されないように、弁護団は「魔界転生」について調べ、福田の虚勢を見抜き、単に「復活の儀式」とだけ福田に述べさせるべきだったのですが、そこまでの時間の余裕がなかったようです。

真実はともかくとして、上告後に行った新供述を「福田が真実だと考えている」ことは、嘘だとは思えません。つまり、殺人罪を避けるため、福田が故意に嘘を言ったとは考えられません。

なお、「福田君を殺して何になる」(増田美智子著、インシデンツ)には、中学・高校の同級生が福田の新供述をウソと思うと述べた後、こう言っています。

 

「けど、ウソだとすれば、タカ君(福田のこと)が考えたウソじゃない。タカ君はすぐバレてしまうような瞬間的なウソはよくついていたけど、きちんと順序立てたストーリー性のあるウソは考えつけない子でした。新供述は『どうして、こうなった』という流れがあるから、タカ君につくり出せるとは思えない」

 

その通りで、福田が一人で新供述を作り出したわけではありません。福田の知性は極めて低く、8年も前の事件を理路整然と語れるほどの能力はありません。自身の自白調書を読みながら、かつ、弁護団の助力を多大に得ながら、作り上げたのが新供述です。理路整然とした部分が弁護士の創作というなら分かりますが、荒唐無稽な部分が弁護士の創作と考えるのは無理があります。

そもそも、新供述では、上記の荒唐無稽な話が論点になっていたわけではありません。「光市母子殺害事件での罵倒報道批判」に書いた通り、論点は「強姦に計画性はなかった」「自白調書は他の事実と一致しない点が多い」「これは殺人ではなく、傷害致死である」でした。

判決では「自白調書は他の事実と一致しない点が多い」の一部が認められたものの、上記の「魔界転生」の例のように、弁護側の主張の枝葉末節な矛盾を指摘し、「強姦に計画性はなかった」「これは殺人ではなく、傷害致死である」の2点は否定されてしまいました。

しかし、これまでの記事に示した通り、強姦の計画性を認めるのは無理があります。

殺人と傷害致死の違いは、殺人の意図があったかどうかですが、これはかなり曖昧な判定で、私自身はこの二つを同一にして広く情状酌量として区別すべきと考えているので、このブログでは論じません。

一方、弁護団の主張にブレがあったのは事実です。このブレがあったので、判決でも「〇〇が否定されると、××と言い出した。発言の信憑性を疑わざるを得ない」という批判がそこかしこに出てきます。こうなった理由は、弁護団の検証不足もありますし、そもそも福田の発言がブレまくっていたこともあります。増田の本でも、「(本来の被害者である死者へ謝罪すべきなので)今生きている人に謝罪するのは抵抗がある」と言った1週間後に、「(死んだ人に償いはできないので)今生きている人に償いをしたい」と平然と言っていた事実が書かれています。以前の記事にも書いたように、過去も現在も、福田は理論的に矛盾する発言を量産しています。

帝銀事件の平沢貞通、とは言い過ぎかもしれませんが、福田の弁護はそれに近いほど、難しかったと思います。別の観点からいえば、理性的に考えれば、帝銀事件で平沢が犯人でないのは明らかであったのに、平沢の虚言癖がひどすぎたため、平沢を有罪にする判決文の作成は容易だったように、理性的に考えれば、光市母子殺害事件は死刑にするほどの罪ではなかったのに、福田(弁護側)の発言があまりにブレたために、死刑の判決文の作成は容易だったのではないでしょうか。

そういった全てを考慮すれば、福田が新供述で故意に嘘を言ったことはないと私は推定します。また、全てを調べたら、旧供述(自白調書)より、新供述がより真実に近いことは、普通の理性的思考の持主なら、分かると思います。もちろん、裁判官も分かっていたはずですが、上告後以降の裁判官は福田の死刑を目的に、屁理屈を並べることになりました。