前回までの記事にも書いた通り、福田の過去を知人からの証言で探す限り、殺人事件を犯すような暴力性と爆発性は発見できません。それらが公に示されたのは、2007年9月20日、被害者遺族の意見陳述後、福田への被告人質問が行われた時です。以下は「なぜ君は絶望と闘えたのか」(門田隆将著、新潮文庫)からの引用です。
検察「弁護団の中にさえ、遺族の言葉を聞いて、嗚咽を漏らす人がいましたよ。ところで、君は最後まで何か書いていましたね。何ですか?」
福田「証言を書いていました」
検察「しかし、あなたは、ペンで縦にスーッと線を入れて、削除しましたね」
福田「してません」
検察は突然、「嘘を言うな! 縦に線を引いたじゃないか!」と声を荒らげた。
その瞬間、「してません!」と福田も声を荒らげ、立ち上がり、廷吏の隣の自分が座っていたもとの席につかつかと戻ってきた。
激昂していた。狂気を帯びた目だった。福田の顔は傍聴席の側に向いている。泣き止まない夕夏(福田が殺した赤ちゃん)に怒り、叩きつけたシーンを遺族は思い浮かべた(注:赤ちゃんが叩きつけられた自白を弁護団は否定し、叩きつけられた外傷の証拠はない)。
福田は自分の席にあったノートを掴むと、それを検察官のところへ持っていき、「ほらっ」と手渡した。
法廷全体が呆気にとられていた。声もなく、福田の行動を見ていた。
ノートの中身をパラパラとめくってみる検察官。線らしきものは見当たらない。福田は検察官からそれをひったくると、今度は裁判官にこれを持っていった。そして、線が引かれていないことを確認させると、何事もなかったかのように自分の席に戻ってきたのである。福田の目は元に戻っていた。
弁護団「謝罪しろ」
弁護団「今のは、法廷記録から削除してください」
検察「その必要はない」
今枝(弁護団の一人)が立ち上がって、「あなたはこれまでも友だちや家族から裏切られてきました。こういう誤解や濡れ衣をこれからも着せられるかもしれない。あなたはそれでも心が折れることなく、生きていくことができますか?」と質問する。
福田「はい」
今枝「なにか言いたいことはありますか?」
福田「検察官には、舐めないでいただきたい」
(省略)本村は一分前まで涙を流し、反省の言葉を述べていた人間(福田のこと)の突然の豹変を落ち着いて見ていた。「人を殺す人間とは、こういう人間なのだ」と思った。
この記述を見た時、福田の爆発性が裁判で証明されたと私は思えました。福田が人生で爆発したのは、犯行時とこの時だけだったにしても、再発可能性は高いと私は考えます。この程度の侮辱は、福田の人生で今後、頻発するに違いなく、その時に福田が爆発しないとは言い切れないでしょう。
福田の暴力性と爆発性は、動物虐待と父の暴力によって増長されたと考えますが、父も母方の祖父も妻に暴力を振るっているので、生まれ持った福田の特性(遺伝)にも影響されていると私は考えます。
「福田孝行の女性観がいかに歪んでいたか」に書いたように、福田は女性観も歪んだままであり、爆発性も犯行後8年たっても残っているので、福田は手遅れだと私は考えます。死刑はともかくとして、終身刑などの極刑がふさわしいと考える理由は以上になります。
この裁判での福田激昂事件で、私は福田の凶悪性、また再犯率の高さまで判定していますが、福田の激昂を目撃しても、福田の反省を感じ取った者もいます。さらには、福田の激昂は当然で、これと福田の犯した罪に対する反省の深さとは別問題と、私と正反対の解釈をする者までいます。その2つの解釈について、これから2つの記事にしていきます。