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知的能力が低くても感情能力が高い人たちはいます

「ケーキの切れない非行少年たち」(宮口幸治著、新潮新書)はひどい本でした。

IQテストを重視しすぎています。「誤解だらけのIQ」の記事でも書きましたが、知的能力を客観的に測るのは難しいです。また、IQは恒常性(年齢が変わってもIQは変化しない)があるものとされていますが、wikipedia知能指数によると10以上変化で85%、20以上変化で35%、30以上変化が9%もいます。正規分布以上の誤差があるので、とても恒常性があるとは言えないでしょう。

ましてIQによって、感情能力まで低いと考えるのは、差別です。私はダウン症児などの知的障害者にも100名以上会ったことありますが、知的能力と感情能力は必ずしも一致しません。むしろ、ダウン症児の方が、一般の方より穏やかという統計すらあります。IQは高くても社会的コミュニケーション能力(感情能力)が低い発達障害もいるのですから、IQは低くても社会的コミュニケーション能力(感情能力)が高い人たちも間違いなくいます。

上記の本では、IQの低い人たちを「計画が立てられないし、見通しも立てられない」と決めつけた上、「そもそも反省ができないし、葛藤すら持てない」とまで書いています。しかし、医学的に反省できない人など存在しません。どんな知的障害者であろうと、学習能力が少しはあるので、反省できないわけがありません。もしこの人は反省できない、更生できないと医学的に証明できるなら、その人たちはどこか特別な施設に一生暮らさせる他ありません。著者のような道徳観の医者が関わっていることが、少年院に入った者たちの再犯率が高い原因の一つでしょう。

上記の本には、こんなひどい記述もあります。

著者は少年院で「アイツはいつも僕の顔を見てニヤニヤする」「睨んできた」という訴えを少年からよく聞いたそうです。しかし、睨んだと言われた相手の少年に著者が確かめてみると、「なんのことか全く分からない」と返答されることが頻繁にあり、「IQの低い人は感情の認知能力まで低い」という結論(偏見と書きたいです)を著者は導きだしました。

普通に考えて、「おまえがガンつけたらしいが、本当か?」と先生に言われたら、「なんのことですか?」ととぼけるに決まっています。相手の証言くらいで「ガンつけたかどうか」が分かるわけがありません。

私はある職場で似たような件でひどい目にあったことがあります。他の人がミスしたら「運が悪かった」「お客さんのせいだ」とかばってもらえるのに、私がミスした場合、私のせいにされ責められることが頻繁にありました。その職場で、私にいつも威圧的に話しかけるAさんに、私も威圧的に言い返すと、なんと、Aさんが私にパワハラされた、と上司に訴えたのです。私がショックを受けたのは、Aさんが私に威圧的に話しかけてきているのは、誰が見ても明らかだったのに、その目撃者全員が「Aさんが私に威圧的に話してはいなかった」と証言したことです。上司との話し合いで、Aさんが威圧的と感じたのは私の被害妄想とまで言われました。Aさんが威圧的でなかったと目撃者全員が証言したことこそ、私が職場でイジメを受けている証拠になったはずなのですが、その理屈は通りませんでした。私は謝罪文を書くよう強要されました。

話を戻します。IQが低いからといって、知的能力に限界があると判断するのは間違っています。まして、IQが低いと感情能力まで低いと医者が判断するなど、科学的にも道徳的にも許されないはずです。