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真犯人よりも私を罰した者を恨む

もし自分が犯してもない殺人で有罪になったとして、真犯人が名乗り出たとしたら、その真犯人に対してどう思いますか。

「ぶっ殺したい!」

それが普通の反応ではないでしょうか。しかし、「冤罪の軌跡」(井上安正著、新潮新書)によると、弘前大学教授夫人殺人事件では、冤罪被害者は真犯人が名乗り出た時、「感動しました」と言っています。なぜでしょうか。

大前提として、真犯人の滝谷福松が名乗り出た1971年の時点で、1949年の弘前大学教授夫人殺人事件は時効を迎え、裁判で懲役15年となった那須隆は仮出獄していました。滝谷が新たに罰せられる可能性はゼロでした。また那須仮出獄中なので、とりあえずは塀の外、一般社会で生活できています。だから、滝谷が「本当は自分が殺した。裁判は間違いだ」と名乗り出たのは、無実の罪で罰せられた那須の名誉回復のためでした。滝谷は国家から罰を受けないものの、正直に名乗り出ることによって過去に見逃されていた罪について、社会から新たに不名誉を被ることになります。それを覚悟して、自分の罪で他人が不名誉を被っているのを見るのは忍びないと思い、那須のために滝谷は正直に語りだしたのです。那須が滝谷に感謝するのは、そんな背景があります。

滝谷がありのままの真実を証言をしたのに、あろうことか、再審請求は一度却下されています。無実の者に自白を強要して、その自白を元に有罪にしたのに、真犯人の自白は嘘だと判断したのです。もし私が那須だったなら「真犯人が名乗り出ても間違いを認めないなら、どうすればいいんだ」と途方に暮れるでしょう。何事も冷静な那須の顔がみるみる紅潮して「意外だ! 全く意外だ!」と叫んだのは当然です。

もっとも、滝谷が嘘をつくメリットがある、と考えられる余地はありました。再審請求して無罪が確定したら、刑事補償が出ます。これは決して安い金額ではありません。たとえば、東電OL殺人事件で冤罪が確定したゴビンダは15年以上も収監されていたため、1日12500円として6800万円も受け取っています(冤罪が確定した後の話になりますが、弘前大学教授夫人殺人事件ではまだ刑事補償の額は1日3200円と少なく総額1500万円ほどでした)。さらに国家賠償法による賠償金の請求も可能です(実際に弘前大学教授夫人殺人事件で認められた額は960万円)。関係者が口裏を合わせて、儲け話を企んだことも考えられます。ヤクザが関わる殺人事件では、「自分が真犯人だ」と嘘で名乗り出てくる者も間違いなくいるので、司法が警戒したのも無理はないかもしれません。

事態を好転させたのは、新証拠の出現ではなく、司法界で有名な1975年の白鳥判決です。再審開始の判定にも「疑わしきは被告人の利益に」の原則が適用される、との判決です。間違った判決が出ないために3回も裁判したのだから、新証拠が出たくらいで再審など開かないと頑なだった裁判所が変わったのです。最も端的にいえば、それまで新証拠によって誤判が生じる可能性が「100%」が求められたのに対して、「50%以上」に引き下げられたのです。この画期的判決によっていくつかの冤罪事件の再審が開始され、無罪が確定しましたが、弘前大学教授夫人殺人事件もその一つです。

再審は1976年に始まり、翌年には無罪が確定します。再審に深く関わった元検事は「(真犯人が名乗り出てから)再審開始までの5年間は、私にとって実に長い時間だった。本人家族にとっては、私の何倍も長かったはずだ」と再審裁判で語っています。その通りでしょう。

那須の母は再審が終わった後、「もう恨んではいない、今の生活を大事にしてほしい、と滝谷さんに伝えてください」と取材に答えています。おそらく、那須本人も同様の気持ちだったと思います。この時の那須の恨みは、真犯人よりも司法制度に向かっていたはずです。冤罪被害者が殺人の真犯人を恨まず、むしろ感謝までして、警察や検察たちを恨んでいるのです。日本の司法制度の欠点が生んだいびつな現象です。