未来社会の道しるべ

新しい社会を切り開く視点の提供

狭山事件の非合理的な結論

前回の記事の続きです。

石川一雄は弁護士を全く信用せず、一方で、「10年で出す」と嘘をついた長谷部警部を信用していました。にわかに信じられないことですが、一審で死刑判決が出ても、長谷部警部からの手紙が来ていたせいか(もちろんその手紙には裁判の証拠になるので10年で出すとの言葉はありません)、実際は10年で出られると安心していました。拘置所職員も、死刑判決が出ても石川は全く動揺せず、むしろ朗らかだった、と後に裁判で証言しています。

一審で全く抗弁しなかった石川にとって控訴をする必要はないのですが、刑務所の仲間から「死刑判決を受けて控訴しないのはアタマがおかしい」と言われたのにカッとなって、判決翌日に控訴します。この時、石川は控訴の意味もよく分かっていなかったようです。

その1ヶ月半後に東京拘置所に石川は移監されます。ここで石川は兄に始めて面会し、兄にはアリバイがあることを知ります。石川が自白したもう一つの理由は、兄が真犯人であると長谷部警部に思い込まされたからです。さらにもう一つの理由は、長谷部警部に「おまえを生き埋めにしてもかまわない」と脅されていたからです。自分が生き埋めにされたり、兄が死刑になったりするくらいなら、既に犯した別件の本来の罰である10年で済むのなら、犯していない誘拐殺人についても自白した方が得と考えるのは理にかなっています。

東京拘置所に来た石川に、荻原佑介という石川と同じく被差別部落出身の怪しい右翼が何度も面会しに来ます。荻原は「一雄、頭を下げるな。胸を張れ」と法廷で無実を訴えるように石川を励まし、毎日のように石川の実家にも凄まじい爆音のバイクで来ます。荻原は酒臭く大声でわめき、そこらじゅうに唾を吐き散らして、石川の家族を辟易させています。しかし、インテリで紳士的な弁護士たちよりも、言い方の乱暴な熱血漢の右翼の方を石川は信頼しました。これが長谷部警部からの呪縛から解放されるための儀式だった、と「狭山事件の真実」(鎌田慧著、岩波現代文庫)には書いてあります。

控訴審が始まると、一転、石川は犯行を全面的に否認します。この頃から石川は警察から10年で出られると言われたことを弁護士たちにも話し始めます。石川の自白のカラクリが分かった弁護士は俄然張り切りましたが、なにを思ったか、石川は弁護団全員を解任します。

実は、弁護士たちは全員共産党系でした。石川の兄が同郷の共産党議員に頼んで、手配してもらった弁護士たちだったからです。右翼の荻原は共産党を蛇蝎のように嫌っていました。その荻原の情熱への義理立てとして、共産党系の弁護士たちを解任したのですが、有能な弁護士たちに無報酬で仕事をお願いしていた石川の兄が激怒して石川を翻意させ、なんとか同一の弁護士たちが再任されます。石川はどこまでも世間知らずでした。

後に石川が出版した「獄中日記」からの抜粋です。

「殺人犯にしたてられた経緯を苦しんで、苦しんだ末に理解し、警察の恐ろしさを知らされた時、そして、弁護団に抱いていた私の間違った考えが分かった時、私はこの独房の中で声をあげて泣きました。後から後からつのり来る悔しさにあふれる涙は止まらず、これほどまで見事に、警察のワナに陥ってしまった自分の無知を恨みます」

改めて調べてみると、石川の供述調書はおかしなところが多数ありました。

1,10名以上の警察が2時間以上もかけて2回石川家の家宅捜索をして、なにも見つからなかった後、誰もが気づきそうな石川家の入口の鴨居で突然、被害者の万年筆が見つかった

2,屋外で殺害された後、雨がかなり激しく降っていたのに、遺体の衣服は濡れていなかった

3,被害者の防水加工されていない腕時計が屋外で2ヶ月たった後に発見されたのに正常に動いていた

4,脅迫状を書いた用紙は妹のノートだった、と自供しているが、家宅捜索でもこのノートは出てこなかった

5,自供では扼殺(手で首を絞めて殺す)となっていたが、上田鑑定にて絞殺(ひもなどで締めて殺す)であることが分かっている

その他にも石川の供述調書が事実でない証拠はここに書ききれないほどあります。犯行当時は石川を極悪人に仕立て上げることだけに執心していたマスコミも手のひらを返して、石川を擁護しはじめます。

しかし、控訴審は石川を無期懲役減刑しただけでした。理論的にいえば、石川は犯行事実を全面的に否定したので、それを正しいとして無罪か、それを誤りとしての死刑かのどちらかしかありません。しかし、石川も弁護士たちも訴えていない情状酌量を裁判官は突如として持ち出し、無期懲役としました。「石川の供述調書が事実でない可能性が高いのだろうが、無実とするのはいきすぎなので、死刑ではなく無期懲役で我慢してもらおう」と裁判官の思考を上記の本では推量しています。私にとっても、それ以外の理由が考えられないほど、この判決は非合理的です。最高裁判所も、控訴審の判決を支持しました。結局、石川は31年7ヶ月も獄中で過ごすことになります。

石川は1994年に仮出獄して、その後に再審請求を3度行っています。石川は現在82才のはずですが、いまだ再審は開かれていません。