五蘊盛苦という仏教用語を知る人は少ないでしょう。四苦八苦の一つで、「自分の容姿と自分の性格が自分の思い通りにならない苦しみ」という言葉です。「キレイになりたい」と思ってもなれない苦しみ、「明るくなりたい」と思ってもなれない苦しみはどんな人でも感じます。
「一党独裁を批判された中国人の反論」で、私は中国人に謙虚さを求めましたが、日本人に謙虚さを求めていません。「日本人は中国人より謙虚なのだから、中国人こそ謙虚になるべきだ」との思い上がりがあったのです。現実の日中関係を見ていると、どちらも謙虚ではなく、子どものように意地の張り合いをしています。そんな場合に譲歩するべきなのは、普通、より成熟した方でしょう。この場合なら、日本です。私はその逆を要求しているわけで、明らかにいびつです。私のような者に外交を語る資格はないのかもしれません。
さらに私は「なぜ日本人は討論下手なのか」の記事で、日本人の人間観や倫理観が劣っているから建設的な議論ができない、だから日本人と議論するのは嫌だ、と上から目線で批判しています。しかし、相手が劣った人間観や倫理観を持っているなら、分かりやすく諭してあげればいいだけです。そんな説得能力がない以上、相手の人間観や倫理観が劣っていると批判する正当性は私にないでしょう。
相手から自分の意見を感情的に批判されたとき、こちらは感情的にならずに理性的に諭せるような性格になりたい、と私はずっと思っています。しかし、どんなに頭で分かっていても、「バカにつられてバカになってしまうなんて、バカな奴の言い訳だ」といくら考えていても、感情を抑えることができません。過去あるいは現在の精神的な余裕がないのです。
私は「今の自分でいい」「どんなに頑張っても自分は自分でしかない」などと思ったことは、この10年間以上、一度もありません。いつも「自分は最低だ」「自分は変わらなければいけない」と強く思って生きています。それくらい自分はダメだからです。
しかし、人間は「口下手な人」から「話上手な人」などとそう簡単に変われません。大抵の人は、一生変わらないでしょう。それでも、10年、20年と長い期間で見れば、必死で変わろうとした人と、自分を肯定してきた人では、大きな違いになる、と私は信じています。だから、私は自分の人間観や倫理観を相手に正しく伝えられる性格になるよう、今も努力し続けています。