日本人のコミュニケーションで最優先されるのは、相手の気持ちを傷つけないことです。自分の意見を言うことは重要でありませんし、正しい意見を言う必要も全くありません。それでは意思疎通の本来の目的が達成されないかもしれませんが、相手を傷つけるくらいなら、そんなことはどうでもいいのです。相手を傷つけてしまうと、相手がこちらに攻撃的になり、こちらも傷ついてしまうかもしれませんから。
たとえば、「中国人は声が大きくて嫌いだ」と相手が感情的に言ってきたら、たとえそう思っていなくても、「そうねえ」と返すのが日本での模範解答です。最悪の返答は「あなたは人種差別主義者なのか!」と批判することです。まず、言い争いになってしまいますから。
一方、西洋では、その最悪の返答が最高の返答になります。というより、それ以外の返答をしたら、人間として許されません。西洋では、道徳が最優先されます。それに反したことを言うと、普通の日本人(女性)ならまず経験しないほど、人格を徹底的に非難されます。
こう書くと、西洋人が道徳を重視する素晴らしい人たちで、日本人は上辺だけの付き合いしかしない下劣な人たちのようです。しかし、道徳や倫理を重視する西洋人よりも、相手の気持ちを尊重する日本人の方が好ましい時はあるはずです。道徳や倫理ばかり重視すると、人間集団がおかしな方向に進んでしまうからです。
第二次大戦時の日本は、人の命よりも国体を重視したために、いまだに消えないほどの汚点を日本だけでなく、アジア中に残してしまいました。その他、文化大革命、冷戦、イスラム戦士たちによる自爆テロなど、自分のたちの信じる道徳や倫理を重視しすぎたために起こった多くの悲劇がありました。それは今もありますし、これからもあるでしょう。しかし、それら全ての道徳や倫理が、それぞれの大きな社会的悲劇を生むほどの重要な問題だったのでしょうか。日本人的な観点からすれば、そんなはずはないでしょう。
道徳や倫理は確かに重要な問題ではありますが、いつも最優先されるのは間違っています。それこそ殺し合いになるまで対立を深める必要は大抵ないはずです。第二次大戦や全共闘などの失敗から、日本人はそんなことを学んできたのかもしれません。だから、道徳よりも和を求めてしまうのでしょう。