建設的な議論が成り立つには、お互いに社会観、人間観、倫理観、洞察力などがある程度の水準以上でなければならない、と私は考えています。ほとんどの日本人はその水準に達していないように私は思っています。日本人集団だと意見がほぼ一致している時だけ口論にならずに深い話ができますが、実際は同調しあっているだけで、建設的な議論では全くありません。意見や視点が違う人とは、「言い争いになる」あるいは「一方が言ってもう一方が聞くだけになっている」のどちらかです。新しい視点を知り、新しい概念に到達し、お互いに知的に満足することなど、まずありません。
私は知性の高い西洋人と議論するのは好きですが、日本人と議論するのが嫌いです。
その具体的な経験や、そのような考えに至った経緯はこちらのブログのいくつかの記事に書いています。読んでもらえると光栄です。
(あまりに傲岸不遜な記事なので、その反省文を次の「五蘊盛苦」の記事に書きます)